第71話 帝都の月夜
夜。
僕は暗がりの居間に残って待っていた。
もうすでに遅い時間で皆寝てしまっている。これ以上遅くなると明日に支障が出るけど仕方ない。
あの件について“彼”と話さないとどうにもならない。眠れない。
だから僕は静かに、気を静めるようにして目を閉じて待ち続け、そしてようやく玄関のドアが開いて目を開いた。
「ようやく帰って来たか」
「おや、いりす殿。まだ起きてたんすか? ええ、どうも馴染みの女が放さなくて」
風魔小太郎が宿舎に入って来る。
もう馴染みを作ったのかよ。本当こいつ、チャラ男だな。
「ちょっと大事な話があるんだ」
「はぁ、えっと明日でいいです? もう自分もさすがに眠く――」
「平知盛が死んだ」
「…………なんですって?」
居間の空気が変わった。それは張りつめたような圧迫するような何かで、小太郎が中心だというのは分かった。
僕は説明した。
デュエン国に起こったこと。詳細は分からないから、推論をいくつか交えてのものだけど、大筋は合っていると思う。
「そうすか……あのお貴族様が」
小太郎が少し遠い目をする。
彼は一時期、知盛の下にいたことがある。というか僕のところと二重スパイみたいなことをして、それによって僕らは大打撃を受けたわけだけど。こっちも十分に活用させてもらったからおあいこってところはある。
「まったく、馬鹿なやつっすよ。真面目で融通が利かなくて、いつも千代女と山県に馬鹿にされてたなぁ」
「…………」
「それでもあの3人の会話を聞いてるのは、なんか面白くてですね。ええ、好きでしたよ。しかも戦にめっぽう強い。ちょっとお屋形様に似てたかな」
「…………」
「要は切り捨てられたってことですよね“でゆえん国”に。裏切ったのは現場で指揮していた知盛だ。その首を斬ったから、それで許してくれって」
「そう、だな」
「ほんと、馬鹿なやつっすよ。馬鹿正直に、馬鹿太守の馬鹿な命令を聞いて。それで自分が貧乏くじ引いて……本当に……」
月明りしかない暗がりでよく分からなかったけど、小太郎の頬に光る何かを見つけたような気がした。僕はそれを見ないふりをした。
「ちなみにっすけど、あいつの消息は聞いてないすよね」
「あいつ?」
「千代女です」
「ああ……残念ながら」
「っすか。あいつは知盛が好きだったからなぁ。殉じたのか、逃げたのか……」
寂しげな風につぶやく小太郎。
望月千代女。僕にはあまり良い思い出はないんだけど、それは敵だからで、味方として付き合えばあるいは違った感情を覚えていたのだろう。
「小太郎……デュエン国に行ってもらえないか?」
思わず言っていた。
それは千代女を探すためでも、平知盛の供養をするためでもあるけど、それ以上に僕自身が情報を求めていた。
デュエン国で一体何が起きているのか。滅びるのか、滅びないのか。他の国はどこまでやるのか。そこらを見極めないと、イース国は下手を掴む可能性があった。
けど――
「お断りっすね」
断わられた? なんで?
「あいにくそれは今の行動範囲外なんでね。この帝都と西を探るという。まぁ200万出してくれるなら、もう全身全霊で調査しますけど?」
「それは……無理だな」
「それに“でゆえん”にはあいつがいる。あの女はそう簡単に死ぬものか。風魔とさんざん渡り合ったあの忌々しい『歩き巫女』の女なら。情報ならそこからもらえる。必ず……」
「小太郎……」
北条の風魔、武田の歩き巫女。
この2人は昔はライバルみたいな関係だったのかもしれない。僕とカタリアみたいに。それはなんだか少し羨ましい気もした。
「……いや、すまないっすね。本当は情報が欲しいのはいりす殿でしょうに」
「それは、まぁ、そうかな」
「けどそこは今は本国の人たちに任せておいた方がいいっすよ。いりす殿はいりす殿で、やることがあるでしょう。少しは自分の家族のこと、信じてあげてもいいんじゃないすか?」
それはある意味衝撃的な言葉だった。僕がまるで家族のことを信じていないような……いや、確かにそうなのかもしれない。さっき僕は『僕じゃなければイース国は判断を誤る』と勝手に思ってた。それは傲慢以外の何物でもなく、あのアイリーンと同じようなものだと思うと愕然とした。
本国には兄さんたちや姉さんが、父さんがいる。政敵だけど国を守る意味ではインジュイン・パパだっている。
そうそう下手な舵取りはしないだろう。
「そうだね。信じよう」
「そうっすよ。というより、今白刃の上にいるのはいりす殿すからね」
「僕が?」
「というより皆さんですよ。お隣の国、いよいよきな臭くなってきたんで、そろそろ向かおうと思います」
「そっか。デガスか」
「そうすよ。用心しておくにこしたことはないでしょう。ここは敵地じゃないにせよ、本拠から遠く離れた異国。いざという時に素早く動けるかが生死を分けるのは当然のこと。あの知盛が死んだなら、自分の雇い主はいりす殿しかいないすからね」
「そっか……ありがとう」
「じゃあ、自分は行くすよ」
「この時間から?」
「このもやもやした気持ち、飲まないとやってけないってね。いりす殿はどうです?」
「遠慮しとくよ。明日も学校だしさ」
「すか。じゃ、自分はそのまま西に出るんで」
「うん、じゃあ気を付けて」
「そちらもすよ」
「お休み」
「おやすみなさい」
そう言って小太郎は、音もなく家から出て行った。
僕にとって知盛は敵だった。それなのにこの空虚な気持ち。小太郎はそれ以上だろうと思うと、なんとも言えない気持ちになった。
それにしても西。デガス国か。
本当にここに来るんだろうか。これまで結局何の動きもないわけだし。いや、でもあの小太郎が用心しろっていうんだ。それに越したことはない、か。
ふと窓を見る。
厚く曇った窓ガラスの向こうに、映る月が泣いているように見えた。
いや、泣いていたのは僕の心か。




