第52話 二人戦闘狂
土方歳三。
もはや説明不要なほどに有名な、幕末を駆け抜けた新選組の鬼の副長。
琴さんと同じ浪士組に参加し、琴さんと異なり清河八郎が江戸に戻った中でも京に居座り、会津藩主松平容保の庇護を受けて新選組と名乗り京都の治安を守るために奔走。有名な池田屋事件などで、長州をはじめとする不逞浪士を取り締まった。
しかし時代の流れに抗いきれず、戊辰戦争ではひたすらに敗走を続け(新選組は勝っていたが幕府軍全体で見れば押され続けていた)、最終的には北海道の函館・五稜郭にて戦死を遂げる。
まさに剣に生き、剣に死んだラストサムライとも言える人物で、ひそかに自分の中でもかなり好きな部類に入る人物だったりする。
それがまさか。目の前にいるのが?
「隊長! やはりこいつらは例の不逞グループ『エキゾチック・ファイヤー』の連中です! リーダー格のダガナスもいます! 伸びています!」
「おう、じゃあその“えき……なんとか”の野郎は屯所に連れていけ。楽しい尋問の時間を過ごしていただいた後に、帝都の牢にぶちこんでやる」
「はっ……ははっ!!」
うわぁ怖い。これが鬼の副長。
なんというか、そのエキゾチック・ファイヤーとかいう中二病丸出しの連中に少し同情する。僕が倒しておいてなんだけど。
そう、怖いなら逃げればいい。なにも悠長に立ち尽くして彼らのやり取りを聞いていなきゃいけない法律もない。
すぐにでも回れ右してラスと一緒にすたこらさっさですべて終わりだ。距離はまだ5メートルはあるし、ぼんやりとした灯りのおかげで顔が割れているわけでもないだろう。
けど動けない。
さっきから土方は部下らしき人物と話している。だがその注意はすべてこちらに注がれている。一歩でも動けば豹のように跳びかかってくるだろう。
ましてや背中を見せれば後ろから斬られる。まさか無抵抗の一般人をとは思うけど、彼の発する殺気とも言える圧はそれを否定しきれない。
「さて、お待たせしたな、お嬢ちゃん」
と、土方がはっきりとこちらに向き直り、そして左手を腰に差した刀の鍔の部分に添える。右手はだらんとしているが、やや左半身で右肩を前に出した体勢である以上、すぐさまにでも抜刀して斬りかかる準備ができているということ。
指一本でも動かしたら斬られる。そんなあまりに荒唐無稽な状況にもかかわらず、動いたのはラスだ。
「ち、違うんです! いきなりその人たちに襲われそうになって。イリスちゃんは、私を助けてくれただけなんです!」
ラス。この状況、この相手に反論できるのか。
きっと僕を守らなきゃとかいう使命感を勝手に得たんだろう。けど、そうだ。僕が守らなきゃ、誰がラスを守る。ラスの後ろに隠れて嵐が通り過ぎるのを待つなんて、できやしない。
「そうです。そもそもこいつらは聞く限り手配されていたんでしょう? だから僕のは正当防衛で――」
「黙りな」
「っ!!」
「正当防衛っつーのは、ああも軽々しく相手をぶちのめすことなのか? 1人で10人以上の相手を叩きのめすことなのか?」
「うっ、それは……」
もちろん正当防衛なんて勝手に使った都合のいい言葉だ。そこを真面目に論破されれば弱い。
「それに違う。違うんだよ、お嬢ちゃん。どちらにせよなんだよ。お嬢ちゃん、その服。見かけない服だ。他国から来たんだな。他国から来て、しかもこの雑魚とはいえ数だけはいる連中を1人でぶちのめした。それだけで屯所に同行願う理由は十分なんだよ」
「わ、分かりました。その、屯所に同行しますから。だから穏便に――」
「だから違うってんだ、お嬢ちゃん。同行ってのはぶっちゃけどうでもいい。この場に、圧倒的な武をもった奴が存在する。それだけで、お嬢ちゃん。逃がさないって理由は十分にできてるんだよ」
あー……なんとなく分かった。この人、あれだ。戦闘狂ってやつだ。あの林冲と同じ。強いやつを見るとワクワクする、どっかの戦闘民族みたいなやつだ。少年漫画の主人公かよ。まぁ江戸にいたころは道場破りとかしてたらしいからな……。
本来なら何を馬鹿なと、軍師の口先三寸で丸め込んで三十六計逃げるに如かずなわけだけど。
正直、逃げる気は失せている。
だってあの土方歳三だぜ?
それに強いと認められたんだぜ?
元の時代に生きていたらありえなかったこと。漫画やゲームで空想にふけるだけだった事柄。
あるいは林冲との戦いの時も、そういう思いはあったのかもしれない。最強と呼ばれる人間と戦うこと。どうやら僕の中にも戦闘民族の血が流れていたらしい。
「ごめん、ラス。ちょっと待ってて」
「え、でもイリスちゃん……」
「大丈夫。すぐ済ますから」
さっきと同じ言葉。けど、そこにある覚悟は全く違う。
あるいはその言葉は守れないかもしれない。二度とラスには会えないかもしれない。
けどここにある興奮は、それを凌駕してやまない。
僕は上着を脱ぐと、ラスに渡す。この制服の1枚の重みが勝敗を分ける。そんな気がした。
そして2歩、前に出る。
「ふっ……ふふふ、いいね。いいぞ、お嬢ちゃん。それでこそ、だ」
土方が笑う。対する僕の頬も緩む。
本当、他人のことを馬鹿にできない。いつからか僕も、立派な戦闘狂だったのか。
「そんな鉄棒でいいのか?」
「軍神は筆を選ばずってね」
「はっ、軍神ね。いい覚悟だ。なら――」
始まりの言葉はない。
先に動いたのは僕だ。先手必勝、という言葉ではない。ただ相手は居合いの構え。いつ来るか分からない斬撃を待っていれば、こちらが後手に回って劣勢になってあっという間にケリがつく。
だから攻める。少しでも相手のタイミングをずらして、初手を外す。それしか勝つ方法はない。
だから突っ込んだ。無防備とはいえ、相手の右側。刀がない方へから近づく。だがそれは相手も心得ている。こちらに体の向きを変え、
「っ!!」
来た。
抜き打ちの刀。兼定が来る。対して狙うは籠手。刀を持つ右手を打てば、それで終わ――――いや、無理無理無理無理!! こっちが終わる!
「ぐがっ!!」
無理やり体をねじって地面に倒れ込むようにして回避。追撃を受けないよう地面を転がって、膝立ちになる。
胸元に風を感じた。同時、何かが服を濡らす。汗。違う、血だ。胸元が斬られて薄皮一枚で血が流れている。あと数ミリ、深かったらそれで終わりだったと思うと、冷や汗が出る。
「やはりな。その反射神経。さっきの乱闘を見て思った。化け物の類か」
「見てたなら手伝ってくれてもよかったのに」
「あいにく、俺は他人のケンカの獲物を横取りするような奴じゃないんでね。勝った方と正々堂々、喰らいつくす。それがおもしれぇ」
子供のように土方は笑う。だが眼は狂気に染まっている。怖い。けど、もう逃げ場はない。
相手が刀を構えた。基本的な正眼の構え、と思ったが違う。
少し右肩を前に出して少し手首を返す形。刀の切っ先をこちらに向ける、この構えは――
「天然理心流、平正眼の構え……」
「お、知ってんのか。まさかこんなところで流派を知る奴に会うとはな。近藤さん喜ぶだろうな」
近藤さん。近藤勇。
新選組の局長で、元は多摩の天然理心流道場の跡継ぎとされていた。
その最大の特徴は型や精神を重んじた道場剣術と異なり、完全に実践を想定した剣術と言えるだろう。そしてその中でもこの平正眼の構え。正眼より隙が多い分、確実に相手を殺すとなった時の構えで、向けられた切っ先がその覚悟を示しているとも言える。
「行くぜ」
今度は声と共に土方が動いた。
 




