第31話 父と兄と
若い男の声だ。
父親の声? タヒラ姉さんが20歳とか言ってたから、その上に兄がいるとして、中世だから結婚も早いとしても30代後半から40前後と思ったけど。
それにしては若々しい。
ただ、その答えはタヒラ姉さんが出した。
「げ、ヨル兄もいる」
ヨルス・グーシィン。
4兄妹の長兄で、今は父親の手伝いをしているとか。
まさかの他人の肉親2連発か……さらに緊張してきた。ばれないようにしないと。
「入りまーーーす」
若干及び腰になったタヒラ姉さんが、静かにドアノブに手をかけて奥に押しだす。
僕はその後ろに隠れるようにして中に入る。
それは広々とした執務室だ。
本棚が並ぶほかは、ちょっとあの死神がいた部屋と似ている。
そしてその奥。
大きな机に座る厳格そうな顔に立派な口ひげを持つ40前後の男。
そしてその横に立つ、ビシッと礼服を着こなして薄く青い髪を固めた青年。
間違いない、座っている方が僕らの父親、カーヒル・グーシィン。
そしてその隣に立つのが長兄ヨルス・グーシィンだ。
「報告を」
父親、カーヒル・グーシィンが告げる。
肉親が無事だったことの安堵もなく、気に掛ける一言もなく、ただただ業務を果たすだけのマシーンのような物言いに、背筋が伸びる想いを感じると同時、どこか反感のような思いが沸き上がってくる。
「はっ、それでは報告します」
本人はどう感じているかは分からないが、タヒラ姉さんは感情を表に出さずに実直に答える。
タヒラ姉さんは、僕から聞いたことを余すことなく、そして自分の行動をごまかすことなく話した。
10分ほど。その間、カーヒルとヨルスは微動だにせず、口をはさむこともせず、ただ黙って聞いていた。
そして報告が終わると、カーヒルは椅子の背もたれに体を預け、
「ふっ……あの馬鹿ものが」
小さく独白した。
血のつながった弟を失ったのだ。無念だろう。
そう思ったのだが、
「それで? “そんなこと”はどうでもいい。ザウスの様子は?」
唖然とした。
弟の死を“そんなこと”扱いするなんて。
僕には兄弟はいない。父母ももういない。
けど人間としての情はあるから、父母が亡くなったときは悲しかったし、もし兄弟がいてもそう感じるだろう。
それなのに今、この男は、父親を名乗るこの男はそれを否定した。
まるでムシケラが死んだように、弟の死を放置した。
「それだけ、ですか」
思わず声が出る。
震えていた。悲しみじゃない。苦しみじゃない。
「イリス、でしゃばるな」
長兄ヨルスが厳しく叱責する。
その兄の方にも怒りが向いた。
そう、怒りだ。
不義に対する激しい怒り。
正直、一度会ったばかりの他人のために、なんで僕がここまで怒らなくちゃいけないのか。
分からない。あるいはこのイリス・グーシィンの魂がそう叫んでいるのかもしれない。
けど思い出してしまった。
タヒラ姉さんの報告を聞いて、あの日、最初で最期の叔父さんとの出会いと会話。
それを思い出してしまったら、僕はもう、黙ってなんかいられない。
「託す、と言っていました。僕に、いえ、あなたたちに、です。そして……すまないと。それなのに、馬鹿で終わりですか! “そんなこと”で済ますんですか! それであの人が救われると思っているんですか!? 兄弟でしょう! なんとも思っていないんですか!」
「イリス……!」
カーヒルの剣幕が増す。子供に説教されるなんて、いい歳した大人からすれば屈辱だろう。
怖い。けど負けてられない。
僕は託された。
トウヨを、カミュを、そして……この遺言を。
それを渡し終えるまでは死ねないと思ったし、何より期待に応えてやりたいと本気で思った。
なのに、その本気を、叔父さんの命をかけた想いを、こうも踏みにじるなんて。
血はつながっていないけど我が親ながらにぶん殴ってやりたい。軍神の力でぶん殴ってやりたかった。
だからカーヒルが顔色1つ変えず、憐れむように、
「なんとも思っていない……? ふん、その通り」
「なら――」
そこが我慢の限界だった。
父親だろうと関係ない。こんなやつはクズだ。ならどれだけ言い放とうと、罵詈雑言を並べようと構わない。
そう思っていた。
「――のわけなかろうが!」
一喝。
部屋の中なのに突風が吹いたような気がした。
それほどの圧。
そして驚いた。
見れば、カーヒルの瞳からは滂沱の涙があふれ出てきている。
そして異変はそれだけじゃない。
「うぉぉぉ、あの馬鹿め。なぜ死んだ! なぜ死に急ぐ……ロンドリーネの元に急ぎ過ぎだ! お前には2人の子供がいるというのに! この馬鹿者め! 馬鹿者め!」
急に吼えるように泣きじゃくる父親に、さらに圧倒された。
……えっと、なにこれ?
あとから聞いた話だと、ロンドリーネというのは亡くなった叔父さんの妻らしい。
「あー、はじまっちゃった」
「あの、タヒラ姉さん。これって……」
「イリリは初めてだっけ? パパはねー、なんというか感情を表に出すのが得意じゃなくてね。基本、仏頂面の極みでいるんだけど、一度感情のメーターが振り切れるとこんな感じで爆発しちゃうのよ。一応、今は公の場だからね、取り繕ってたみたいだけど、イリリがここまで踏み込んじゃったらねぇ」
それって……要は超絶不器用ってこと?
「そうとも言うかなー」
それでいいのかよ……。
机に突っ伏して、おんおん泣きまくる40代のおっさんを見て、なんというか。冷めたというか、さっきまでの怒りはなんだったんだと思う。てか若干引いた。
「お前たち……」
と、呼ばれ振り返ると、いつの間にか長兄のヨルスがすぐそばまで来ていた。
仏頂面というか、苦虫を噛み潰したというか、親の仇のようなすごい剣幕でこちらを睨んでくる。
「あー、ヨル兄。えっとね――」
タヒラ姉さんが何か言いとどめようとしたが、それよりヨルスの方が早かった。
彼も2つの瞳から涙を流すと、
「お前たち! よく戻った! よく生きて……くくっ……」
一歩前に出たと思ったら、僕とタヒラ姉さんの肩を抱いてギュッと引き寄せてきた。力任せに。思い切り。
「ぐ、ぐぐ!? 苦しい!」
「本当、イリス。お前が遊びに行った先であんな事件が起きたなんて聞いた時には……本当に! 本当に! もう胸が張り裂けそうだったぞ! それからタヒラ! お前の独断専行は責める! だが今は私人だ! だから褒める! よくやった! 俺はお前を誇らしく思うぞ!」
なにこれ。もう情報処理が追い付かない。
さっきまで冷酷の非人間のロボットみたいな感じだったのが、今じゃあ感情を爆発させてこちらも男泣き。
「こっちも入ったかー」
「タヒラ姉さん?」
「ヨル兄もね。感情が振り切れるとこうなるの。パパと違って基本、激情家なんだけど、それを隠そうと必死に難しい顔してるっていう」
なんだそれ。なんだその親子。なんだこの家族!
「おおおおお! そうだ、イリス。よく無事だった! タヒラ、お前は本当によくやってくれたぞー!」
暑苦しいのが増えたー!
「よし、ヨルス。今日は祝勝会だ! あの愚弟も、楽しく送ってやった方がいいだろう!」
「分かりました、すぐに用意します。国民にも今日は2人が帰国した感謝祭としましょう。それにトウヨとカミュの2人も呼んで」
「うむ、それだ!」
「それだじゃなーーーい!」
はしゃぎ続ける大きな子供2人に、大音声で抗議の声を発した。
切野蓮の残り寿命314日。




