第44話 出発ときどき出会い
ツァン国の国都から出発する朝は、あいにくの雨だった。
模擬戦とか色々なければすでに出発していたことを考えると、道中で宿も取れるか分からない状態でいきなり雨に降られるよりは前もって準備して出発できるのは助かった。
3月になったとはいえ、すぐに温かくなるものでもなく、涼しい季節に冷たい雨は正直堪えた。
御者には雨合羽を着せて、途中途中で休憩の時に乾いたタオルで体を拭いてあげて、乾いた場所を探して火を起こして温めるということをしないといけないのは偉い時間がかかってしまうわけだけど、仕方のないことだ。
というか多分、現代でもこうやって馬車で旅をするときに雨を防ごうとしても雨合羽を着せるしかないわけで、世界が変わっても時代が変わっても、雨に対する人間の防御方法はあまり進歩がないんだなぁと感じたものだ。
ただ雨はその日の午後には小雨になって夜には完全に上がったのは幸いだった。その日は野宿だったけど、濡れた地面に寝転ぶわけにはいかず、さすがに皆馬車で寝た。
ちなみに帝都行きのメンバーは、僕らイース国関連の9人+御者3人は変わらず。そこにエラさんたち16人が加わっての合計28人が11台の馬車で進んでいく。
リューウェンさんらと傭兵隊長らがいないため人数が少なくなっているが、正直それを補って余りある護衛がいた。
「安心してください。俺たちがしっかりツァン国第二の街ジュナまで送ってやりますよ」
太守の気づかいというか、本人たちの志願というか、ツァン国の弓兵隊500人が僕たちに同行することになった。表向きは長躯の訓練ということだけど、その内実は僕たちの護衛に違いない。
正直、これ以上ないくらいに頼もしい護衛なので、僕たちはありがたくその好意を受け取った。
そして国都から出発して3日目。
「この調子なら明日にはジュナにつきそうだね。そこから港町までおよそ1日半。そこから船に乗ればもう帝都だ」
夜。たき火を囲んだ中でカーター先生がそう声を弾ませる。
「いやー、長かったっすねー。誰かさんが陸路と水路の組み合わせじゃなく河を遡ってれば、もう帝都には着いてたはずですけど」
「サン、何がいいたいの?」
「いやいやお嬢。自分はただ事実を言っただけですよー」
「まーまー、カタリア様。一応、これまで無事に来れたわけですし。それにツァン国の太守様と宰相様の知己を得られたのは大いなる収穫なのでは?」
「ふん、当然ですわ。転んでもタダでは起きない、それがわたくしですわ!」
「転んだって認めるんだ、お嬢」
「サン!!」
いつも通りの漫才を聞きつつ、僕は後ろを振り返る。数か所にたき火が点在し、そこにはエラさんたちや、弓兵隊の皆が思い思いにくつろいでいるはずだ。
「イリスちゃん、どうかした?」
隣に座るラスが聞いてくる。手にしたスープ入りのカップは、まだ残っている。この旅で初めて気づいたけどラスは猫舌らしい。
「ん、いや。なんでもないよ」
「そぅ。いよいよだね、帝都。どんなところかなぁ。うふふ、楽しみ」
ラスが少し上気した様子で語る。
そうか。現代みたいにふらっと東京行きます、大阪行きますみたいな感じはできないのか。同じ帝国領とはいえ、争いをやっているところはあるし、僕たちが遭ってきたように賊に襲われる危険性がある。新幹線で数時間というわけにはいかず、1週間もかける旅行はまさに命がけなのだ。
つまりこの特別派遣研修生は、イース国の子供が一生に一度、帝都に行くかどうかのその1回になるはずで、ラスみたいなイース国で確たる地位にある父親を持つ子供なら、もう二度とありえないかもしれない旅行だ。
それを考えれば、その興奮度合いも分からないでもない。
「私ね、この旅に来て、やっぱり良かったと思ってるんだ」
「帝都に行けるから?」
「ううん。それもそうなんだけど、こうやってイリスちゃんやカタリアちゃんと一緒に旅ができて、私、嬉しいの」
「まぁその割には色々と危ない目に遭ってるんだけどな」
「そういうのも含めていい思い出になると思うの。確かに怖かったとか、危なかったところもあったけど、それもまた素敵な思い出に変わっていくんだなって」
うーん、そういうものかな。梁山泊といい、ヤマゾら盗賊に襲われたことといい、ツァン国太守にスカウトされそうになったことといい、色々と危険な目に遭ってきて、それがいい思い出で収まるとか。
ラスってどこか肝が座ってるとこがあるよな。これも武道の成果なのか。
「だからね。私、幸せだよ。イリスちゃんと一緒になれて。だからこれからも、ずっとずっと一緒でいようね!」
「…………ん」
……なんかプロポーズの言葉っぽいけど。うん、流そう。今はそれが正解だ。そう本能がささやいている。
くそ、こんなの。女の姿じゃなければ感涙していえいえこちらこそな案件なのに。いや、そもそも僕がイリスだからラスもそう言えるのか。うーん、難しい。
と、その時だ。遠くで炎が揺らめいて、何やら人の声、しかも騒がしい怒声のようなものが風に乗って聞こえてきた。
「ん、なんだ騒がしいな?」
「イリス、さっさと見ていらっしゃい。それで報告。いいわね」
いや、見に行こうとは思ったよ。けどお前にそう言われるのはなんか癪だな、カタリア。
ただここで問答している場合じゃない。「私も行く」というラスと琴さんを連れて僕は騒ぎの場所、弓兵隊のたき火の元へ向かった。
「どうかしました?」
「あ、これはイリス殿」
近くにいた兵に話しかけると、それは弓兵隊の隊長で僕に向かって敬礼してくる。
模擬戦は結局、決着つかずで終わったけど、弓兵隊の皆はツァン国最強の重騎兵と互角に戦えたことに満足したらしく、その感情を感謝の気持ちとして僕に向けてくれたので、それなりに友好的な関係になれたと思っている。
「やめてくださいよ、僕はただの他国の一般人ですから」
一般人なら軍のもめ事に介入するな、って話だけど、今は旅の運命共同体。何かもめ事が起きたなら、把握しておかないとガチで命に係わることになりかねない。
「はっ、ではそうですね。実は不審な人物を捕えまして」
「不審な人物?」
「ええ、そこにいるのですが」
と、隊長が示したのは弓兵隊が集まる中でぽかりと空いた場所。そこに後ろ手に縄でぐるぐる巻きにされた男がたき火に照らされて座っているのが見える。
「おーい、放してくれよ。僕は怪しくないからさ。ほら、荷物だって着替えとリュートだけだぞ? 全然怪しくない、ただの旅人だよ」
男がのんびりした声で無実を訴える。
その声に、なんだか惹かれたように僕は彼の元へと歩き出す。
「お、美女……と思ったけど、子供か。つまらん」
「は?」
「あと5年、いや、3年だな。惜しいなぁ、素材はいいんだがいかんせんまだまだ発育中ってところだな、2人とも」
イラっと来た。
なんで名前も知らない初めて会った男にそんなこと言われなくちゃいけないんだ。
男を監察する。薄汚れた赤い平服を身にまとう男。薄汚れたとはいえ、ただ雨に打たれて泥に汚れた程度のもので、初めて出会った時の小太郎のような小汚い印象はない。
顔はよく分からない。サングラスをかけていて目元が見えないからだ。ただ、少し細長の顔にシュッとした顎のラインからイケメンなんじゃないかと思う。(というかこんな夜中にサングラスってどうなのさ)
髪の毛は茶系で、無造作ヘアーというかつんつんした感じが大学生のあんちゃんという感じを醸し出している。そう、多分若い。20前後といったところか。
けどその胡散臭い空気とチャラけたナンパな態度に、隊長が言っていた不審な人物という言葉がピッタリだと思ってしまう。
「イリスちゃん、この男。ちょっと聞き捨てならないこと言ってたよね? 目が腐ってるのかな? その目玉をほじくり出して、イリスちゃんの美をゼロ距離で見させてあげようか」
「いや、待ったラス。怖いから。それ、僕の方もめっちゃ怖いから」
ラスのスイッチが入らないよう抑えるのは疲れるんだよなぁ。
「お、そっちの美女」
と、男が視線を琴さんに向ける。
その目はサングラスと夕闇であまり見えなかったけど、態度と空気からにやけているのではと感じ取った。
「その格好は……いや、いいね。兵の中にも女性はいるが、大概がゴリラで食指が動かん。いや、そういった人間が良い兵ってのもあるだろうけどね。ただ君は違う。武の中にひと際立った美がある。どうだい、これから僕と三千世界の果てに飛び立たないかい?」
「いりす。この者が向かうのは三千世界の果てではなく、冥府の門の先だということを教えてもいいかい?」
「いや、待った。琴さんも待った。お願いだから血なまぐさいことはNGで!」
「けどこいつは早めに始末しておいた方がいい。ボクの勘がそう言っている」
「勘ならやめておいてー!」
はぁ。人選間違ったかな。いつも冷静な琴さんにしては珍しく猛っている気がする。
「イリス殿、どうします?」
弓兵隊長が聞いてくる。てか僕がまだ指揮官みたいな感じで来るの困るよな。明日にはお別れなわけだし。
けどこの男。胡散臭いし不審だし女ったらしだし不快極まりない。けどどこか気になる。
言動というより雰囲気。
おちゃらけた感じの中でも、こちらを圧倒してくる何かを感じているのだ。
「被害は?」
「被害なんてものはないですよ。ただふらふらっと近づいてきたので、見張りが止めて、それでも入ってこようとしたので捕縛した感じです」
「はぁ……」
何がしたかったんだ、こいつ? わざわざ軍の警戒網に入ってくるなんて。
「いや、ここ最近まともに食ってなかったからさ。たき火が見えたから何か食べさせてくれないかなぁって」
なんだ、ただの物乞いか。食事の。
多分危険はないだろう。今も殺気や闘気といったものは感じない。もちろんこの男が斥候で、他に賊が潜んでいる可能性もなきにしもあらずだけど、それは隊長に警戒を呼びかければいいだけの話。
というかこんな斥候がいてたまるかって話だけど。
「名前は?」
「いえ、まだ。おい、お前。名前はなんだ?」
「名前を知りたいなら自分から、って言ってもこの状況じゃ僕から言うしかないか」
そう言って男はこきッと肩を鳴らすと、
「僕のことはチョーフとでも呼んでくれ。可愛らしいお三方。よろしくね」
男は口を開き、豪快に笑った。それがなんだか様になっている。そんな風に思えた。




