第43話 ある武士の本心
模擬戦が終わり、くたばったように力尽きてむさぼるように寝た翌日。
疲れも出たことだし、羽を休めるようカーター先生は出発を1日延ばした。
僕は一緒に行動したがるラスを撒いて、ある屋敷の前に立っていた。
家人に来訪の理由を告げると、中に通される。飾り気1つ、埃1つない廊下はこの屋敷の持ち主の心を反映しているようで、緊張感と息苦しさを感じた。
そして豪華とはいかないまでも整った調度品に囲まれた一室に通されると、
「これはいりす殿。いかがされましたか」
屋敷の主人、高師直が座っていた。
今日は太守を含め、政庁が休日に当たるので屋敷にいると聞いていたのでこちらにきたわけだけど、出かけていなかったようで何よりだ。
というより、一国の宰相が他国の旅人に面会するはずがないのだけど、すんなり会ってくれたのはどこか拍子抜けした。
「今日は聞きたいことがあってまいりました」
「ええ、そうでしょう。どうぞ、おかけになってください」
勧められた椅子に腰かける。すると執事らしい格好の人がすぐにやってきて、温かい紅茶を出してくれた。
僕はそれには手をつけず、まっすぐ高師直を直視して、そして言った。
「昨日の模擬戦。結果はどうあれ、僕たちを総帥に選ぶつもりはなかったでしょう?」
「…………」
高師直は答えない。だからそのまま続ける。
「太守はどうかは知りませんが、あなたは総帥を変えるつもりはなかった。今のトーギョという人物を据えておきたかった。ただその現総帥は太守と仲が悪い。その状況に悩んだあなたは策を講じた」
「…………」
「それが僕たちの起用です。僕たちを新しい軍総裁に担ぎ上げ、新しい総帥にする。それがあなたの策」
「…………」
「もちろんあなたに僕らを総帥にする気はさらさらなかった。どこの誰とも知らない僕らを、しかも他国の重臣の小娘を軍のトップに据え置くなんてリスク以外の何物でもないですからね。だからあなたはホッとしたはずだ。カタリアがしっかりと断ってくれて」
「…………」
「それにあいつはちゃんと指摘した。この軍の問題点を。ツァン国の兵が脆弱だという点を露呈してくれた。模擬戦という形でね。模擬戦にはあなたもいいチャンスだと思ったのでしょう。言葉で言っても分からない人に現実を突きつけるために」
「…………」
「ツァン国には久しく大きな戦いがなかったと聞きます。それは平和で良いことなのですが、軍にとってはよくないことだった。そんな時です。デュエン国大敗の報告を聞いたのは。そう、僕らイース国に負けたデュエン国。それは長年、宿敵となっていたツァン国にとっては千載一遇のチャンス。けど軍は弱い。国境でデュエン国と小競り合いをしていた兵はまだしも、侵攻となる時に必要な主力が平和ボケして使い物にならなくなっている」
「…………」
「そんな時に現れたのがトーギョという将軍でしょう。彼の改革は軍を生まれ変わらせるのに十分な働きをする、はずだった。けど太守がそれを嫌った。領土を広げるチャンスを棒に振ってでも、太守は私情を優先させた。あなたはそれに失望した。だから僕たちを、いわば当て馬に使って太守の目を覚まさせようとした」
「…………」
「一応、うちにも色々と調べてくれる人がいましてですね。この国の太守と宰相、それと総帥の関係について色々と。あなたとトーギョはかなり近しい仲で、軍拡について色々と動かそうとしていた。違いますか、高師直さん?」
「…………」
高師直は答えない。
その沈黙が、怖い。僕が今言ったことは一晩、泥のように眠った後にふと思いついたこと。
はっきり言って証拠はない。状況証拠と、そうなるだろうという想定が入り混じり、そこに小太郎が調べてきてくれたことをトッピングした願望に近い推察だ。
だから「何言ってんの、馬鹿じゃないの?」とあっさり切り捨てられる可能性もなきにしもあらず。
だから――
「……っ……く……」
何か音が漏れた。
だがそれは次第に音量を上げて、
「っく、くくく! あーーーーはっはっははは!!」
笑声へと変わっていく。
信じられなかった。目の前にいた人物。穏やかで笑みが絶えない表情の男だったはずだ。
それが今、顔を引きつらせ、狂気に染まった瞳で哄笑をたたえている。
「1つ、聞こうじゃないか。それは誰かに入れ知恵された問いかな? それとも自分で考えた問いかな?」
これまでよりも低い、どこか邪悪を感じさせる声色で高師直は言った。
「…………自分で、考えました」
気圧されている。そう思って歯を食いしばってなんとか答える。
「ぶらっぼぉ!! 素晴らしい! ん? 違うのか? この世界では相手を褒めたたえる時にそう言うと習ったが?」
ブラボーのことだろうか。間違っちゃいないけど、なんだかこの人が言うと違和感。
「ふん、まあいいさ。今のはお主の言葉だ。誰かに入れ知恵されて話せるような内容でもない」
面構えも声色も、態度も崩しての高師直は、これまでの人の好さそうな昼行燈な男とはまったく違った、いわば別人のような印象でしかなく、かなり不気味な印象を植え付けてくる。
おそらく、いや間違いなくこちらが本性なのだろう。
「そういうことだ。こっちが俺の本性ってやつだ。俺。私。いや、俺だな。最近、こっちが出て話すやつがいなくてね。トーギョくらいのものさ。昔は良かった。どれだけ蔑んで罵倒しても、刀を振りかざして突っかかってくる武士ばかりだったからな。ま、すべて言葉と実力で叩きのめしたが」
うわぁ、鎌倉武士こわ……。
「昔……足利尊氏公のことですか?」
「ほう! お主も尊氏公のことを知っているのか。いや、尊氏公はよかった。強く、決断力に富み、皆に慕われ、そして愚かだった。あのお方の執事の家系に生まれて心底よかったと思えたよ」
……うん? 今、賛美の中に変な語句が混じってなかったか?
「いいか? あのお方ほど優れた才能を活かす能力を持ったお方はいない。そんなお方だからこそ、俺も思う存分に腕を振るえたものよ。ああも操りや――洗の――いや、人の意見を聞き入れてくださる人はいなかったなぁ……。あ、いや。でも今も太守の豚も同じものか」
今絶対、操りやすいって言おうとして、洗脳って言いなおそうとして、綺麗どころに落ち着いたけど、最後は豚と同格呼ばわりした!?
なんだ、こいつ!?
「ああ、聞こえてしまったかね。別に誰かに言いふらしても構わないぞ? 俺が太守の無能の雑魚を鬼畜豚畜生となじっていたことを。まぁその次の日には、憐れな“いいす国”の旅人の死体が原野に転がるだけだが」
怖っ!?
てか豚よりグレードアップしてる!?
「あ、あのえと……そ、そんなことはしません!」
「ほぅ。そんなことはしないというのは言いふらすということだな。それはいい。これで旅行者の事故死がなくなった。ただ言いふらさないというだけで、“そう思った”のは否定しないということか。太守が無能雑魚変態鬼畜豚畜生塵屑馬鹿阿呆だということは? これは不敬罪で処刑かな」
「それ全部あんたが言ったことだろうが! しかもさらにグレードアップしてるしっ!!」
あまりの問い詰めに、思わず素でツッコんでいた。しまった。
「くっ……くく。なるほど、それが素か」
「謀られたってことですか?」
「いや、ただの意趣返しだよ。俺がこうしてさらけ出しているんだ。そっちも丁寧ぶったカワイ子ちゃんでいられるのは腹立たしいからな。それだけだ」
こいつ。本性さらけ出して、ますます嫌な奴になったな。
けどいいや。こっちも遠慮なしに喋れるってことだから。
「で? どうするかね。お主らをだしに使ったことを国の問題にする気か? それともさっきの太守の悪口を告げ口するかい?」
「……どっちもしませんよ」
てかそんなこと、後が怖いに決まってる。
「ただ、気になったから聞いてみただけです」
本当は問い詰めに来たんだけど、なんかそれどころじゃなくなってきている。
「は…………」
高師直はぽかんと口を開け、その顔がわなわなと震えると、
「くっははははははは! これはしたり! これはしたり! なんと面白き人材か! 尊氏公! ここにあなたの理想を具現化した者がおりますぞ! まぁ、あんたの理想なんて知りやしないけれども!? くっくっく……」
こいつ……実は、いや、なんとなく気づいてたけどヤバい奴だ。メンヘラというか、サイコパスというか。こんなのに権力持たしちゃいけないでしょ。
「いや、失礼。くくっ……ああ、もう失礼じゃなくていいな。笑える。笑えるぞ、お主。お主ほどの人材がいたら、あの鎌倉の馬鹿どもももうちょっと早く皆殺しにできたものを。残念だよ」
「はぁ……」
現代に生まれて良かった、と心底思った。
「ふん、だがその通りよ。俺がこの国を一から作り直すために、お主らを謀った。それはすまぬ」
急に真面目な顔をして、両手を握り締めてテーブルについて頭を下げた。武士のお辞儀だ。
けどその急変貌には驚かざるを得ない。
「い、いや! 頭を下げてほしいわけじゃなく……」
「ん、そうか。じゃあ下げるのももういいか。頭を下げるのはタダだが、失ったものも確かにあるでな」
……こいつ。調子のいいことを。
「まぁそういうわけだ。許せ、とは言わんが気にするな」
「それグレードダウンしてるって」
「あいにく外来語は分からんのでなぁ」
はぁ、だめだ。何を言っても通用しない。
これが高師直か。
「ただ礼は言っておこう。あの馬鹿太守もこれで少しは懲りるだろうし、これで俺も裏で色々動きやすくなる。あとはトーギョが戻ってくれば、我が策は成る」
「はぁ……」
「礼を言われても一銭にもならぬという顔をしているな。強欲な奴め、いいだろう。何か謝礼をしておこうか」
「あ、いや! そういうわけじゃなく!」
「ほぅ、なるほど。交渉ごとの引き際をわきまえているということか」
いや、だから違うっての! 話を聞け!
「まぁいい。ではそうだな。1つ情報を与えよう。それでこの一件は手打ちだ。良いな?」
いいも悪いも、別に僕はただ事実を確認をしにきただけなんだけど……ま、いっか。情報をもらうくらいなら。
「そうだな、これからお主が向かう“あかしや帝国”だったか。それに関する情報をやろう。滅ぶぞ、あの帝国は」
「っ!!」
滅ぶ!? アカシャ帝国が!? これから行こうとしているってのに!?
「聞いた話では“あかしや帝国”を狙う国がいる。その最有力は西の大国“ぜどら”だと」
ゼドラ。
確か大陸の一番端にある大国。山に囲われ帝国の前に一本の河があり断絶された陸の孤島になっているが、それでも立地がよく、平地が広がり多くの兵を養うのに適した地形。
かくいう僕も、最初に目を付けた国で、わけあってイース国からのスタートになってしまったわけだが。
それが、帝国を狙っている? 帝国、つまり絶対帝政。国を名乗っていても、そのトップである太守は(イース国を除いて)帝国から派遣される役人でしかない。
それが帝国に侵攻する……それって、謀反!?
「あるいはお主のいる間に、帝国は戦場になるかもしれん。引き返すなら今のうちだぞぅ?」
絶句している僕を見て、他人事のように――いや、実際他人事だからか、高師直はにやにやと愉快そうに笑う。
こいつ、マジで性格最悪だ。
「そんなものかな。ああ、そうだ。今年中にはお主の国にも招待状が届くだろう。楽しい楽しい祭りの招待状だ。せいぜい軍を鍛えて待っていろ」
「招待状……?」
「おっと、これでは情報が2つになってしまう。剣呑剣呑。何事も過ぎたるはなお及ばざるが如しとな」
それ意味わかって使ってる?
「それではな。楽しかったぞ。また会おう。ふん、嫌そうな顔をしているが、また会うぞ。これは事実だ。お主とは必ず、な」
そう言った時の高師直の顔は、ひどく歪んでいながらも、遊びの約束をする時の子供のように輝いていて、どこか心に重しをのっけられたような気分になった。
くそ。問い詰めようと来たのに、逆に痛烈なカウンターを食らったような気分だ。
帝国のこと、ゼドラ国のこと、招待状のこと。
新たに増えた問題点を胸に、僕はすごすごと師直邸を後にすることになった。




