挿話9 カタリア・インジュイン(ソフォス学園1年)
ようやくこの時が来た。
学校でやるお遊びなんかじゃない。本当の戦闘。それをあのイリスを相手にしてこれから始まる。
あの気に食わない女に白黒つける。どれだけ待ちわびたか。同時に、どれだけ恐れていたか。
彼女の実力はそれこそ去年、腐るほど見てきた。
あの思い切りの良い采配と、勝負時には自らが突っ込んでいくほどのキレ。そして敵を寄せ付けない圧倒的な武力。
そのどれをとっても、去年の初めのころのイリス・グーシィンとまったく似ても似つかない。別人なんじゃないかと思う。
いや、前のイリス・グーシィンもどこかつかみどころのないものはあった。ただそれを才能と呼ぶにはあまりに安直すぎて嫌な気がした。
「あの、それでカタリア……殿」
重騎兵のソルジュという隊長が遠慮がちに聞いてくる。
挨拶に行っても馬を降りず、むしろこっちに頭を下げろという尊大な態度に腹が立って説教をしてやった。それで堪忍袋の緒を切らした相手がつかみかかって来たのを3人ほどぶん投げて、太守と宰相の名前を出して脅しつけてやったら急にへいこらしてかしこまってしまった。
ふん、名家を盾にしてふんぞり返っている輩なんて所詮そんなもの。栄光あるイース国を背負うわたくしには至極当然すぎる話なのだけれど。
名家に生まれたということはそれだけで責任が生じる。それを分かっていない連中が多すぎますわ。名家に生まれたことが本人の才能だと勘違いしている愚か者が多くて困ります。もちろんわたくしはそこらを踏まえておりますけど。
ノーブレス・オブリージュ。
その精神がこの国には足りてません。気位だけが高いだけで無能な人間というものは、時として敵よりも厄介だというのに。
そういった意味ではイリス・グーシィン。あの子にはそういった精神があるように見受けられる。だからこそ、あの子はこの国の腐った部分には触れない。その気高さこそ、あの子を認めているところであって、同時に気に食わないところでもある。
そんなイリスとの戦闘。模擬戦とはいえ、手加減などできるはずがない。
「その、本当に、やるので……ございますか? その、弓隊との模擬戦を」
「ええ、やりますわ。当然でしょう。ここにツァン国太守様の命令書もありますわ。それでなにが疑問になると?」
「しかし……その……我々は国軍最強の重騎兵です。それが、弓兵が敵と?」
「何か問題でも? 弓兵など重騎馬の敵ではないでしょう?」
「し、しかし! その弓兵は我が友軍なのですぞ!? いくら模擬戦とはいえ、下手したら死人が出ます!」
「だから?」
「へ?」
「それで死ぬんであれば、その兵はそれだけの力量しかなかったということ。そうでないんです?」
「で、ですが、いくらなんでも重騎兵と弓兵では!」
「相手はあのイリス・グーシィンなのです。あの女がわざわざそう指名したのには、深い理由があるはず」
「イリス・グーシィン……まさか『キズバールの英雄』タヒラ・グーシィンの!?」
「ええ、さすがタヒラ様ですわ。ツァン国にもその恩名を轟かせているだなんて! あぁ、素晴らしすぎる。素晴らしすぎて、頭が……ああ、タヒラ様ぁ」
「…………」
「はっ! …………そういうわけなので、手加減は無用ですわ。いえ、こう言いましょう。本気でやらなければ、逆に食われますわよ?」
「そんな、馬鹿な」
「それがイリス・グーシィンというものです」
認めたくない。けどその実力は本物。
だからこそ、一度白黒はっきりつけたかった。ツァン軍の総帥とかいうどうでもいいものに食いついて見せたのもそのため。帝都に着く前に、それは決着をつけたかったのだ。
カーン、カーン、カーン
鐘の音が鳴った。
模擬戦の開始を告げるものだ。
「全員、乗馬! この戦い、一撃で決めますわ!」
一体、あの女が何を狙っているかは分からない。けど、どうでろくでもないことで、わたくしに勝とうとしていることははっきりと分かる。
馬を借りてさっと乗る。
専用のサイズがないということで、わたくしは鎧を着こんでいない。その分軽いものの、鎧を着こんだ騎馬はかなり動きが遅いと感じる。というか薄い布地のパンツ姿だからか、馬具がこすれて痛い。これが重騎兵。
そして手には訓練用の棒。これで叩かれた相手は戦死扱いとなり、模擬戦から離脱する。それで全滅させるか、部隊長――つまりイリスを討ち取ればこちらの勝ちだ。
そしてわたくしが出ると、それに1千が続く。うるさいソルジュもただ黙って続く。
昨年。デュエン国との戦で率いていた騎馬隊とは軽さが違う。けどその代わりに後ろから伝わる確かな重みがある。
率いているわたくしですらそうなのに、それを受ける相手側からすれば、それはもう恐ろしいの一言ではないのか。
そのイリスが弓隊を率いて出てくる。数は1千。こちらと同じ。けど、なんで。なんで――
「固まっている! このまま一気に突撃で決めますぞ! ビン崩しみたいに、一撃で全滅だ!」
「慌てるんじゃありませんわ。きっとあれにも意味が――」
「撃ってきた!」
調練用の弓矢を放ってきた。けど山なり。距離がまだあるからそうしないと届かないのだろう。
「はっ、無駄なことを! 我が馬鎧は完璧にして鉄壁! 訓練用の弓矢など!」
そう、無意味。
カンっカンっと落ちてきた矢が、鎧に弾かれて地面に落ちる。わたくしは鎧を着ていない分、調練用の棒で払うしかなかったけど、被害はない。
結果、被害はゼロ。
こちらは落馬させられるか、むき出しの部分に矢を当てられるかで戦死扱いとなる。かなりあちら側としては不利な内容ですが、当のイリスがそれでいいというのだから、そうさせてもらった。
「模擬戦のフィールドは平地! 隠れるところもない! このまま突っ込んで一撃で終わらせてくれましょうぞ!」
「焦らないでもらえます!? こんな無意味なことをあの子がするはずが――」
途端、悪寒がした。そう、イリスがこんな無意味なことをするはずがない。そしてあの密集隊形。あそこ目掛けて突っ込んでくださいと言わんばかりの陣形。
そこに明確な悪意を感じる。
あの子の明確な意志を。こちらを倒すという。
ふと何かが目に入った。イリス。先頭から少し後ろにいた。そのイリスが、弓を構えている。先ほどの矢、彼女も射ていたのか。いや、違う。今、イリスは矢をつがえている。撃っていなかった。つまり、これは――
「回避っ!!」
手綱を握り締め、馬を横にしようとする。無理だ。動かない。そもそもわたくしの馬じゃない。ダメ。来る。だから思い切り体を横にした。隣の騎兵に頭が当たりそうなほどに。
次の瞬間。閃光が走った。
それはわたくしがいた場所を貫いて、その背後にいたソルジュを吹き飛ばした。ソルジュの体は後ろを走る数人を巻き込んで落ちていく。落馬だ。脱落だ。
最初から狙っていた。山なりの矢を放ち、上に注意を引いてからの必殺の一射。しかもタイミングをずらして気が抜けた一瞬を狙われた。その狙いはわたくし、つまり部隊長を狙って勝ちをもぎ取りに来たのだ。
「イリス・グーシィン!」
口から名前がこぼれる。
さすがだ。さすが、わたくしが好敵手と認めた女。口が裂けてもそうとは本人には言えないけど、わたくしの前に立ちはだかるのはいつもあの子。
それが悪いとは思わない。いや、心底邪魔でさっさとひれ伏せと思わないでもないけど、それは逆にわたくしを成長させる。
去年の初陣。出来過ぎていた。それがあの子のおかげというか、せいだというなら。あの子と競い合うことで、わたくしはもっと高みに行ける。そう思えた。
体が熱くなる。血が燃える。
今日、イリスを倒してわたくしがイース国で最強になる。
それがなんとも楽しみで、戦いの最中だというのに、先手を取られて一時的に不利だというのに、思わず笑みがこぼれてしまった。




