第21話 乱入
牢を出てそのまま北に走る。
ラスとはそこで別れた。
『お前のお仲間は島の東にある小屋に閉じ込められている。そのまま船に乗せて、お前らの国に攻め入るって算段だろう。今は手薄だろうから、清河を倒してそこにいる人質を助けたら島の南に来い。一艘、船を確保していある。その脱出手段は、俺との殺試合いと交換だ』
林冲の言葉を鵜呑みにすることはできなかった。
けどそうも言ってられない状況だし、信じるしかないというのもある。
『大丈夫。この人の言うことは嘘じゃないよ。なんとなくだけど、そう思う』
ラスのその言葉は、僕の覚悟を後押ししてくれた。
『分かった。信じよう。ラスにはカタリアたちをお願いしていいか。僕は清河をなんとかする。そうしないとイース国が危ない』
『分かった。けど、イリスちゃんも気を付けて。私はカタリアちゃんたちを助けて、船着き場でイリスちゃんを待ってる。大丈夫。イリスちゃんはとても強いんだから』
初めてと言っていい分担作業。ラスに任せるのはちょっと不安だったけど、それ以外に手はない。
だから僕は走る。林冲が返してくれた、赤煌を手に。
『これがお前の得物だろう? 船上での暴れぶり、見てたぜ』
どうやら林冲もあの船での戦いを見ていたらしい。そこから目をつけられたのかもしれない。
『けど挙兵を潰すったって、どうするかな』
『簡単だ。兵たちは清河に騙されて奴を妄信している。その強さにもな。だがそれが公衆の面前で負ければ?』
『目が覚める?』
『確約はねぇ。だがああいう奴は求心力が武器だ。それをぶち壊すものがありゃ、兵はあっさり寝返る。梁山泊がそうだったからな』
『梁山泊……王倫か』
『なんだ、うちらのこと知ってるのか。ますます興味深いな。ま、そういうことだ。頭を潰せば蛇は死ぬ。それだけだ』
『けど、そんな公衆の面前なんて……』
『あるじゃねぇか。いや、今やその最中だぜ。島の広場で乳繰り合う準備の儀式なんかしてやがるのさ。それには島中の人間が集まる。なんてったって、頭領の祝言だからな』
『っ! まさか、琴さん!?』
足を動かす。まだ体力はある。本当に若い子の体はすごい。
そしてたどり着いた。
見下ろす斜面の下。そこにある広場では数万の人が集まり、その視線の先には1つの壇がある。ところどころに煌々と燃え盛るかがり火があり、それが弾正の袴姿に正装した清河と、白無垢の女性を照らす。
琴さんだ。
まさかとは思ったけど、なんで。本当に祝言なんて。
裏切られた。そんな思いが胸によぎる。
保身のために清河の言いなりになったのなら、それはもう僕たちに対する背信行為でしかなく、とても許せるものじゃない。
けど思い直す。
そんなことを琴さんがするか、と。
あのどこか男前らしくて、中二病こじらせてて、一本気な彼女が。僕らとこれまで共に戦ってきた彼女が。そんなことを考えるだろうか。
彼女の真意が知りたい。
それがここに来る一番の目的になった。清河の野望を阻止するという林冲との約束は、正直ついでと言ってもいい。彼自身、できたらでいいと言っていたし。
そう考えれば、やることはシンプル。
結婚式の途中で花嫁をさらって、逃げる。それだけ。昔の映画みたいだ。まぁ助けるのが同性なわけだけど。
ただそれを難しくしているのが、この数万の人だかり。
ダメだ。とてもじゃないけどこの数万の海を突っ切って琴さんの場所までたどり着けない。無理にでも入ろうとすれば、そこは凄惨な殺し合いの場所となってしまうだろう。
何かないか。周囲を見渡す。何もない。ここは島に作られた村落。そうそう、都合のいいものが――いや、見つけた。
それは一本の糸だった。ロープという方が正しいか。
ロープは今僕がいる高台から、宙を伸びて琴さんらがいる広場の上空を通り反対の地面へと伸びている。ロープが結わえられたあたりにある歯車の装置を見る限り、おそらくはゴンドラみたいな感じで物を下から上へ、あるいはその逆に運ぶためのロープなのだろうと思う。
これだ。
これが琴さんへとつながる、文字通り頼みの綱。
やることは単純。あとは恐怖を乗り越える覚悟と、運だけ。
「……ま、“ちょっと危険”なだけだ。見捨てるわけにはならないよな」
ロープに近づきながら、琴さんとの出会いを思い出す。初めはぶらりと西地区に出かけた時に和服を見かけたのが最初だ。そこからトーコと共に知り合い、共に戦った。次はラスと一緒に出かけた時。サーカスで猛獣から助けてくれたと思ったら、急に薩摩だとか言い出して戦うことになった。
それから凱旋祭、ウェルズ国への使者、ザウス・トンカイ連合軍との戦い、そしてデュエン国との最終決戦と、数々の戦いを共に潜り抜けてきた。いわば戦友だ。
ロープはそこそこ頑丈そうに見える。重いものも運ぶだろうから、それなりにしっかりしていないと危ないのだろう。それは僕にとって僥倖だった。
そのロープの発着地点に立つと、下の広場を見る。
高さはおよそ10メートルほど。地上5階分ほどの高さで、少したじろがないでもない。
けど、それも助けない理由にはならない。
第一、約束もあるし。
『コトさんを助けてあげて、お願い、イリスちゃん』
別れ際に、ラスがそう言ってきた。彼女も、なんだかんだ琴さんに懐いていた。
そして彼女も琴さんに表裏がなく純朴なものを感じ取ったのだろう。
ラスの悲しむ顔は見たくないし、何も言わずさよならをしたくもない。
だから、行くしかない。
「ふぅぅぅぅ」
大きく深呼吸。赤煌をロープの上に沿うようにセット。その両端を手でしっかり握る。僕の手か、赤煌か、あるいはこのロープを支える土台が限界を越えたら落ちて死ぬ。それだけ。それだけだ。
「行きます」
自らを励ますようにしてそうつぶやき、そして地面を蹴った。
行く。
宙を舞った。浮遊感。風。加速していく。
そう、赤煌を滑車がわりにして一気にロープを滑空する。それが僕の考えた、たった1つの冴えないやり方。
耐えろよ。
何に言ったのか。僕の腕か、赤煌か、それともロープか土台か。あるいは琴さんへ向けてだったのかもしれない。
何もわからないまま、目まぐるしく景色が移り変わり、それでもタイミングだけは見逃さないと、歯を食いしばり、目を凝らす。
まだ誰も気づいていない。
まさかこんなところから人間が来るとは誰も思っていないのだろう。あるいは結婚式に夢中なのかもしれない。
琴さんと清河の結婚。
2人を並べてみる。その違和感ありまくりの構図に吐き気がした。
そんなもの――
「その結婚式、待ったぁ!!」
叫ぶ。同時、赤煌をロープから離した。その際に、思いっきり下にぐっと赤煌を引いてやった。地上付近というのもあっただろう。ロープも少したわんでいたから、その行為ができて、それによって下への力、すなわちブレーキがかかった。
一瞬の浮遊感。
まだ速度がある。地面。激突。いや、赤煌を振った。何かを叩き割った。そんな音がした。
次の瞬間。左肩に激痛。跳ねた。体が毬みたいに地面を跳ねる。歯を食いしばり、上も下も分からない混迷とする視界は切り捨てて感覚を研ぎ澄ます。地面。そこ。足。かかった。
衝撃と共に足が地面を認定し、天地を定める。あとはその地面から離れないよう、足裏と赤煌をひたすらに地面に縫い付ける。それで止まった。
止まった。確かに止まった。死んでない。それならそれでいい。
危なかった。まだ鼓動が破裂しそうなほどに胸が高鳴っている。呼吸も荒い。変な汗をかいたようで寒気がする。
けど、来れた。
「な、なんだ、貴様!」
清河とその周囲が慌てふためいた様子でこちらと距離を取る。いい気味だ。
あー、ちょっとくらくらする。それにいくらブレーキをかけたって、それまでの加速と高さがあった。だから足がビリビリとしびれているし、左肩はひょっとしたら折れてるかもしれない。
けどここまでやったんだ。格好つけないでどうする。
だから痛みをこらえて無理やり立ち上がり、
「イリス・グーシィンがその結婚式に待った、だ」
そう言ってやった。