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第16話 水のほとりの物語

 流れる水の音が独りの僕の耳を打つ。

 目の前にあるのは、果てしない水。対岸がわずかに見えるが、それまでの距離はとても泳いで渡れるようなものではない。


 僕は今、イエロ河に浮かぶ、小島の岩壁に立って景色を眺めていた。

 といってもただ眺めるだけじゃなく、どうやってここから逃げ出すか、それを模索している毎日だった。


「ふぅ……もう2日だもんなぁ」


 梁山泊頭領・清河八郎に招待され――もとい捕まって2日が経った。

 はじめは緊張したものの、清河が言った言葉に嘘はなく、僕らを賓客として扱ってくれた。


 ここ、イエロ河に浮かぶ小島――梁山泊に連れて来られ、それからひたすら宴会に誘われ、与えられた住処も僕ら8人まとめてだが一軒家を与えられ、そこで寝起きが許された。


 この島。小島と言ってもそれなりに広く、沖縄本島のその半分くらいの広さはあると思っている。

 そこを要塞化し、中には居住区が設けられ、さらに畑や家畜を育てる牧場もある。工房や造船所もあり、船着き場には10艘を超える大型船を有しているのだ。

 そんな様々な設備を有した小島には、およそ十数万の人間が暮らしているという。それはもう、いわば1つの国だ。


 そのトップに立つのが清河八郎。


 ぶっちゃけて言うと、僕の歴史上の人物としての清河八郎の評価はそこまで高くない。

 というのも新選組関連の書籍を読めば、彼は卑怯で裏切り者で調子こいて呆気なく早期退場するという、あまりに小物として描かれるからだ。

 しかも幕府を裏切っておいてわざわざその本拠地である江戸に戻ってくるとか何考えてんだと思う。危機管理が足りないというか、死ににいくようなものでバカなのかと思ったこともある。


 だがそれは新選組側視点から見たもので、歴史上の清河八郎と言えば、幕末における尊王攘夷の先駆けみたいなものだ。彼がいなければ、維新はかなり遅れ外国の植民地になっていたかもしれない。


 現に今もこうして十数万の人間の上に立ち、1つの国を形成し、周辺の船頭に恐れられている存在になっているのだから、かなりやり手だというのは間違いない。


 そしてその清河八郎像が正しいものである場合、こんなところに人数を集めてその頭領として君臨していることに、どこか不吉な予感を感じないでもない。


「ただ、それはそれとして……そろそろ行かないとまずいよなぁ」


 そう、僕らはまだ旅の途中なのだ。

 そして清河は僕らがここから出て行くことを許していない。はっきりと拒絶というわけではないが、


『しばらくここで旅の疲れを癒してはどうだろう? なに、ここは美味しい魚も取れる。精一杯おもてなしさせてもらうよ』


 そう言った時の清河の笑顔といったら、いい人なんだろうけど、なんだろう。どこか違和感。


 とはいえ、いついつに帝都に到着するというのはすでに伝わっているから、期日までに着かないと色々問題になるんだよな。というかイース本国に僕らがここにいるということが知られていないのもマズい。最悪の場合、国際問題に発展する恐れもある。


 だからもてなしをしてくれる清河には悪いけど、さっさとここから出て帝都に向かいたいところなんだけど……。


 ふと、殺気を感じた。

 いや、殺気というより痴気というべきか。


「イーリースちゃーん! わぎゃ!」


 とっさに身をひねると、飛び込んできたラスが目標を見失って地面に突っ伏した。


「あーあー、もう。何やってるんだよ。制服が汚れるだろ」


「えへへー、さっすがイリスちゃん! 私の気配にちゃんと気づいてたんだね!」


 倒れながらも、こちらを見上げて笑顔のラス。くそ、可愛いな。


 なんとかラスを起こし、彼女が持っていたハンカチで目立った汚れを落とす。


「うふふー、ふきふきー」


「いつも以上にテンション高いな」


「そりゃもう! だってイリスちゃんとの旅行だから!」


 はいはい、さいですかー。

 そういえば先月の2人旅もあったからなぁ。また身の危険を感じる日々が始まるのか。


「それにカタリアちゃんも一緒だし、ユーンちゃんとサンちゃんもいるし、先生とコトさんも一緒だし! 生徒かいちょーさんは初めましてだけど……あ、お兄様にはきちんと挨拶しないとダメかな!? 高級なお菓子を用意しないとダメかな!?」


 なんの挨拶だよ……。


 けどまぁ。ラスのテンションの高さも分かった気がする。

 彼女としては嬉しいのだろう。友達と一緒に旅行することへの喜びが、テンションゲージを振り切らせているのだ。

 去年にウェルズに向かった時は、一応使者としての仕事だったわけだし、それ以前はカタリアの奴隷みたいなポジションだったから、こうも気楽な旅ということはなかったのだろう。


 そう考えると、彼女のことを悪くは言えない。

 僕自身だって、昔はそっちタイプの人間だったから。


 ただ――


「セクハラ厳禁!」


 胸を触ってこようとしたラスの手を叩く。まったく、油断も隙もない。


「けちぃー」


「けちとかじゃない! ラスは女の子なんだから、もっと恥じらいと清楚さをだね」


「うふふ」


「なんだよ」


「なんかイリスちゃんって面白いね」


「面白い?」


「うん、言うこともやることも面白いよ。なんだか、男の子と喋ってるみたい」


「!?」


 まさか、バレたのか。僕が、本当は男だと……。


「でもその男の子っぽいのがイリスちゃんの魅力だもんね。うふふー」


 よかった、バレてない。いや、バレるわけがない。まさか目の前にいる友人が、すでに死んでいて、男の魂が乗り移って転生したなんてこと。

 万が一、そうだと思っても口にはしないだろう。した途端に、あいつ大丈夫か、と神経を疑われること間違いなしだ。


「まったく、お前は悩みがなさそうでいいなぁ」


「ぷー、ひどいなイリスちゃん。私だって色々悩み事があるんだよ」


「どうせ僕がどうだとかそういう話だろ」


「違いますー……いや、違くはないかな。半分はイリスちゃんのことだし」


 ほれ見ろ。


「でもね、もう半分は違うんだ。もう半分は、もっと皆が仲良くなれますようにって」


「え」


「昔からね、思ってたの。なんで皆、争うんだろうって。悪いことをするんだろうって。お父さん、いつも言ってた。悲しいけど皆が皆、他人を思いやる心を持っているわけじゃない。だからその心を取り戻す手伝いをするんだ、って」


 そうか。忘れがちだけどラスは捕吏ほり長官――要は警察庁長官の娘。

 犯罪や人の心の醜さの近いところにいたわけだ。


「そのころはそうなんだ、としか思わなかった。カタリアちゃんと一緒にいて、私には何もできないんだと思ってた。けどね。違ったんだよ。そうじゃないってことを見せてくれた人がいたんだよ」


 そしてラスはこちらを見る。いつものおちゃらけた感じじゃない。真剣な眼差しで、僕を見据える。


「それは、イリスちゃんが教えてくれたんだよ」


「僕?」


 何か言ったっけか? そんな人のごうみたいな偉そうなこと。


「うん。だってイリスちゃん。カタリアちゃんと一緒になって攻めた私のこと、許してくれたから。あの時思ったの。あ、こういうことができれば、人は人と分かり合えるんだって。つながることができるんだって。だから、私はイリスちゃんが大好き」


 それは、ひとつ間違えれば愛の告白ともとれる言葉で。

 それでいて、大きな感謝の気持ちを伝える言葉でもあって。


 心が痛む。

 もちろん僕がラスを許したのは、そんな慈愛に満ちた聖者の気持ちがあったわけじゃなく、打算に満ちた小悪党の悪知恵だったわけで。


 でも。たとえ勘違いだったとしても。ラスがそういったことを思ってくれれば、1人でも多くの人がそうだと感じてくれれば。その思いは広がって、やがてこの世界から争いさえもなくしてしまうのでは。

 そう思ってしまう僕がいて。そんな絵空事のような、青臭い願いだとしても。それはそれで、きっととてつもなく美しいことだと想うから。


「はぁ、はぁ……というわけで一緒に愛を確かめよう? 大丈夫、ここなら誰もいないから。さっきじっくり調べてたから」


「確かめるか!!」


 締まらないなぁ! こいつ!

 せっかくイイ感じのこと言ってたのに。台無しだ。


 と、僕がラスの暴走を押さえつけていると、


「イリスっち、ラスっちー」


 振り向けばサンがこちらに向かって手を振って駆けてくる。

 さすがに人前ではという気持ちが動いたのか、ラスがパッと離れた。助かった。


 そしてやって来たサンは、少し息を切らせながらもこう告げてきた。


「お嬢がすぐ集まれってさ。なんでもあのおっさんが、大事な話があるって」


「大事な話?」


 ラスと顔を見合わせる。

 その顔には不安な表情がありありと出ていて、この後に起きる波乱を暗示しているように見えた。

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