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第8話 一時休憩

「ふひぃぃぃぃぃ、疲れたぁぁぁ」


 心構えしていても、間の抜けた声になってしまった。

 でもしょうがないって。こんな高純度の温泉に浸かるなんて、そうそうないんだから。


 山奥にある、天然の温泉。そこに今、僕はいる。


 こんなところでのんびりしている場合じゃないのは知っている。

 ただせめて、あの後味の悪さは消し去りたい。そう思っても悪いこととは思わない。


 結局、戦闘は昼前に始まって、陽が傾く前には終結した。

 結果は僕らの圧勝。敵の騎馬隊は壊滅。残りのトント正規軍の歩兵約5千は、武器を捨てて投降した。そもそも歩兵たちは矢を射込まれていないし、無駄な抵抗らしい抵抗もしなかったから犠牲らしい犠牲はない。

 元々高圧的に捨て駒扱いするガオらにトント正規軍の士気はどん底。直前に部隊長をガオにより殺されていたこともあり、包囲されたと分かった時点で投降する腹だったそうな。


 これから味方となり、ゆくゆくは取り込んでいきたいと思っているので、犠牲がないのはこちらとしても嬉しい限りだった。


 さて、残ったガオ・エイリュだが、死んではいなかった。

 あの状況でも脅威の粘りで逃げ場を探っていて、最期の力を振り絞って脱出――のところが、駆けつけた山県昌景の炎の一撃を食らって昏倒した。


「さすが昌景」


「最後の手柄の上澄みを掬い取ったようなものだ、自慢はできない。主人のお望み通り、生かしてはあるぞ」


「ああ、あとは後送するなりでトント国に対して交渉のカードにするもよし、奪還に来る部隊を迎撃するもよし、だな」


「そのことだが――」


 と、昌景が何かを言おうとした時だ。


「よくも、ガオ・エイリュが!!」


 わっと、兵が何やら口にしながら倒れたガオの元へと集まる。

 何をするのか、そう思った瞬間には叫んでいた。


「よせ!」


 だが誰も僕の言葉なんて聞かない。

 誰もが倒れたガオに寄ってたかって何かをしている。それが肉を打つ音だったり、何かを刺す音だったり、その中には人のうめきみたいな音も入っていたような気がする。


 それはしばらく続き、やがて熱が引いたように人々は我に返ると、1人、また1人とその場を去っていく。

 そして残されたのは、ボロ雑巾のような人だったもの。うつぶせのままピクリとも動かないのはそのままだが、それが二度と動かないのはもう自明の理だ。


「死んだ……のか」


「あれで生きてたら、それこそ化物だ」


「うっ……」


 これまで、自慢じゃないけど何度も戦陣に立ってきた。人と人が殺し合うのを間近にして見てきた。

 だがこれは。無抵抗どころか意識を失っていた人間を、複数の人間で寄ってたかって殴り殺したのは。

 これまで見てきたものと違って、胸糞悪いというか、気持ち悪いというか。吐き気がする。


 いや、本質的には同じだ。人が人を殺す。それが無抵抗だろうが抵抗ありだろうが、あってはいけないこと。

 なのに無抵抗だからというだけで、これほどまでに気味が悪くなるのはなんでだろう。


「ご主人は優しいんだな。いや、肝心なところで鈍感というべきか」


「な、なんだよ……」


「あの男は恨みを買いすぎていた。それで捕まればああなるのは誰でも分かる。自業自得という奴だ」


「でも……」


「それにあの男がやすやすと捕まるようなタマか? 生かしておけば後々必ず災いをもたらす。なら斬首でも良かったが、ああでもして兵士たちのうっ憤を晴らす場として設けるのも効果的ではある。あいつがこうなった時点であいつの命運は決まった。ご主人が嘆くようなことじゃない」


「…………」


「ま、その優しさは嫌いじゃない。かくいうお屋形様も、あれほど嫌っていたお父君を追放にとどめたのだからな」


「父君……武田信虎たけだのぶとらか」


「やっぱり色々知っているんだな。我らのこと。少し気にはなっていた。いずれ、話してくれるのを待っている」


「あ、ああ……」


 待ってる、と言った時の昌景の笑みには、すさんだ心が少しだけ晴れたような気がした。


「では私は兵といる。次の行軍先が決まったら言ってくれ。ではな、ご主人」


 そう言い残して昌景は去っていってしまった。


 こんなわけで後味の悪いまま、トント軍との戦いは終わった。


 それからの戦後処理は、それこそ大将のクラーレがやることだし(軍師としては色々と手伝うこともあっただろうが、僕はまだ学生の身分だし、クラーレが望まなかった)、タロンさんら反乱軍との政治交渉もあるのでちょっと暇になったのだ。


『この近くに天然の温泉があります。どうです? 戦後処理で明日まで身動き取れませんから、皆さんだけでも休憩なさるのは』


 明日からはおそらく、トント国の国都へ向かっての進軍になるだろう。

 そうなれば今が最後の骨休めの瞬間。


 ガオという強力な敵は倒したものの、まだまだこの国は死んだわけじゃない。

 どんな敵が立ちはだかるかと考えると、確かにそれはありがたい提案だった。


 というわけで、僕らは温泉に来たわけで。

 もちろん僕らというからには、僕1人じゃない。


「げっ、なに先に入ってるのよ、イリス・グーシィン」


 カタリアが来た。その左右にはもちろんユーンとサンもいる。

 その当たり前の光景だが、当たり前でない部分が目に眩しい。


 そう、ここは温泉。

 温泉ということは、当然服なんざ着てはいけないわけで、そうなるともうタオルを巻いただけの生まれたてとほぼ同等の姿ということで。

 身長はそれほど高くはないが、鍛えているからだろう。それなりに突き出した胸部、キュッとしまった腰回り、そして無駄のない脚線美は完璧なボディラインを形成し、一種の芸術的な美しさというものを表しているように見える。

 たぶんイリスより完璧じゃないか。ぶっちゃけそこらへんは自分自身だから見えないこともないけど、やっぱり外から見た方が楽しい。自分じゃ全体が見えないからなぁ。


 それにしても、黙ってりゃ美人なんだよなぁ、こいつ。

 横のユーンも高身長が手伝ってスタイル抜群だし、サンもカタリアより低身長だがそもそもが持つ野性的な美しさを兼ね備えている。


 その光景に見とれていたのか、あるいは引き込まれていたのか(同じか)、カタリアのふんっという鼻息にハッと我に返る。


「まったく、メインのわたくしより先に楽しむなんて。軍師失格ですわ」


 まだ言ってるよ。


「あ、待ったカタリア。先に体を洗わないとダメだぞ」


 そのまま温泉に入ろうとしたカタリアを制する。

 この世界とか土地のルールとかあるのかもしれないが、温泉についてはやはり温泉大国ニッポンに生まれた人間として、一家言持っておきたい。


「変なところで几帳面ですのね」


 妙な顔つきをしたものの、納得した様子のカタリアは大人しく僕の言葉に従って体にお湯をかけて戦塵を落とし始めた。

 そう、この世界に何か足りないと思ったけど、お風呂文化があまりない。大衆浴場とかあるけど、シャワーもなければ洗面器すらない。思い思いにお湯をかけて洗った気になっている。それはやはり問題だ。この時代、この世界、それほど医療技術が進歩した世界じゃない。その中でやはり一番大事なのは清潔感。ペストとか天然痘とか疫病は結局、不衛生によるものが爆発的に広まった最たる理由で会って、それを防ぐためのその最たるものがお風呂で、それがこうまで適当にないがしろにされてていいのだろうか良いわけがない(反語)。だとすると、今後の政策の大きな指針の1つとして――


「何をぶつぶつ言ってますの」


 と、いつの間にか体を洗ったカタリアが僕の対面。2メートルほど離れた場所で温泉に浸かっていた。ちょっと残念だったと思わないでもない。そこは僕も男の子(?)。


「まったく。横からやってきては手柄を横取りして。あれくらいわたくしとお姉さまなら楽勝でしたのに」


「気にしないでやってくださいね、イリスさん」


「そーそー。お嬢、昨日なんて『イリスはいつ来ますの!』とか待ち遠しいみたいに言っちゃってさ」


「お黙り、あんたたちは!」


 あー、いつも通りだなぁ。このやり取り。

 しばらく聞いてなかったから、なんだか逆に新鮮だ。


「ふんっ、とにかく! わたくしとあなたの勝敗はまだついてないのですからね! こんなんで勝ったと思わないでいただきたいですわ!」


「なんの勝負だよ……」


「ふっ、ただそれもまたしばらくはお預けということでしょうが。ふふふ」


 ん? なんか意味深な笑い方してるけどなんだ?


「そういえばラスは?」


 この3人が来て、残りの1人が来ないというのはどうしたことか。


「そういえば……おかしいですね、私たちより先に着替えは終わったと思ったんですが」


「ユーン、あの裏切り者のことは放っておきなさい」


「といいつつ心配そうに周囲を見渡すお嬢でした」


「サン!」


「ははは……」


 とはいえ気になる。いつもなら「イリスちゃーん」とかいってすぐに飛び込んできそうなものを。いや、別にラスの裸がみたいとかそんなことは全然ちっともこれっぽちもまったく皆目思ってもいないからね本当だよ?


 まさか事故……いや、ここは敵地! ということは――


「はぁ……はぁ……イリスちゃんの……」


「殺気!」


 背後に気配を感じ、体を回転させると同時に左手は体のタオルを固定(マナー違反だけど是非もなし)、右の手は平手打ちの形を作って、そのまま――


「討つ!!」


 軍神の平手打ち。

 だがそれは湯煙を切り裂くだけで、


「手ごたえ、なし!」


 だが今の殺気。次。来る!


 ――が、


「ひっ!」


 ゾクッとした。自分の胸部に違和感。タオル越しに伝わる何かが、衝撃を伝えてくる。

 それは快感なのか、それとも嫌悪なのか。どちらにせよ、これは危険だ。もはや手加減してられない。そう思って振り切った右手を肘打ちに変化。そのまま真下に、叩き落す!


 だがそれすらも空を切る。胸部にあった感触は離れ、そして現れたのは――


「おぅおぅ、危ないのぅ」


「てめぇ……このエロ爺!」


 元イース国太守にして現ソフォス学園理事長を務める男、コイトゥ・イグナウスがそこにいた。

 いや、こんなやつ。エロ爺で十分だ。これまでも色々と手間かけさせて。


「理事長!? なんでこんなところに!?」


 どうやらカタリアも知らなかったらしい。


「しょうがなかろう。ちょーっち温泉に入りたいのぅと思って来てみれば、なんとイリスちゃんたちがいるじゃあないか。これはもう、一緒に入るしかないと、それはもう先祖に誓ったのじゃ」


「ここ、トント国の温泉なんですけど」


 ユーンの言う通り。一応、イース国にとっては今日まで敵国だったわけで。そこに護衛もなく、1人で来るなんてありえない。こんなのでも一応前太守。そして学園での影響力を考えると誘拐、いや暗殺だってイース国には脅威だ。


「それを、こんなところにのこのこと……」


「こんなこととはなんじゃ。わしはもとより衛生面について熟慮を重ねていたんじゃ。疫病が起きた時はどうするか、防ぐには何か手立てはないか。その中で発見したのは、不衛生による感染拡大。その対策として温泉に目を付けた。これをもっと広く一般に開放していけば、感染拡大は防げるのではないかと!」


「本音は?」


「もちろんイリスちゃんたちのHADAKAを見に来たんじゃい」


「よし、そこになおれ。叩き斬ってやる」


「しかし、ひょほほーい。イリスちゃんのHA・DA・KA…………うぅん、まだまだこれからじゃぞい。大丈夫じゃ、必ず大きくなると思えば発育が楽しみということじゃて。ようし、わしが育ててやろう!」


「真面目な顔して言うな、このエロ爺!!」


 と、今気づいたけど、爺さんの後ろ。温泉そばにある岩にもたれるようにラスがいた。鼻血が出ているのか、鼻に手を当てて幸せそうな顔をしている。

 なんなんだよ、まったく。

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