第230話 新しき世界へ
頬に当たる風が、生を実感させる。
広大な平地には緑が生い茂り、風に揺れて静かに音を鳴らす。
平地の奥には山々が連なって見え、決して東京では見られない光景に、一時心を奪われた。
今ここに生きている。それを再確認するように、目を閉じた。
「生き返った気分はどんな感じ?」
背後から声をかけられた。
その声を確かめるようにして、一つ頷くと目を開いて振り向く。
「悪くないよ、タヒラ姉さん」
腕を組んで立つタヒラ姉さんがニッと笑みを見せた。
そう。僕は、イリス・グーシィンは一度死んだらしい。呼吸は完全に止まり、心配も停止。まさに非の打ち所がないくらいに立派に死んでいた。
あの死神から与えられた寿命が尽き、これ以上ないくらいに死んだのだ。
その時の周囲の狂騒はとてつもないことだったらしい。
ラスが泣き叫び、それをカタリアが張り倒して諫めたというし、ユーンとサンはそんなカタリアをなだめに回る。クラーレは誰彼構わず当たり散らし、トーコは茫然自失。
そして一番色々危なかったのが、この姉さんだった。
怪我を押してでも、たった1人で追撃に出ようとしてそれを30人でなんとか押しとどめたという。めちゃくちゃだ。
たかが僕が死んだだけなのに、それほどまでの騒ぎになるとは思ってもみなかった。
まぁその僕はその直後に息を吹き返したらしく、さらに皆を騒然とさせたらしいけど。
正直、なんで息を吹き返したかなんてよくわからない。
とはいえその時は、もう皆に滅茶苦茶にされてしまって、それ以上考えられなかったわけで。
『ふぇぇん、良かった! 良かったよぉぉ!』
涙に鼻水によだれと全部の穴という穴から水を出して抱き着いてくるラス。
『まったく! 死ぬならしっかり死になさい! 中途半端に死んで、生き返って……往生際が悪すぎですわ! ……ぐすっ』
『と言いつつ、嬉しそうなカタリア様なのですね』
『ま、イリスっちがいなくなると張り合いがなくなっちゃうからなぁ、お嬢』
カタリアとユーンとサンも喜んでくれた。
そして、
『このばかイリリン!! 死んじゃうかと思った! 死んじゃうかと思ったぁぁぁ!!』
平手を一発食らって、子供みたいに泣きじゃくる我が姉を見て、なんかもう生き返った理由なんてどうでも良くなった。
けど、一応、その一端を知ることができたのは、皆がようやく落ち着いた後。怪我人の手当と輸送に一区切りがつき、原野に散らばる遺体を敵味方問わず近くに埋葬して、念のためにウェルズ国の国都近くで陣を張り、デュエン軍の完全撤退を知るという戦後処理を行った後のことだ。
『やっぱりイリスの姐さんには何かあるんだろうな。弟が死んで、正直うちの国ももう持たない。どうか、イース国の庇護下に置いてくれ』
ノスル国のパーシヴァルが、神妙な面持ちでそう告げてきたのだ。
それは口頭ではあるが、事実上の降伏宣言だった。
だがそれだけではなかった。
『さすがはかつての宗主国イース。デュエンを見事追い払っていただいた』
ウェルズ国のレイク宰相から、慰労の使者が来て、僕とタヒラ姉さん、そしてカタリアの3人が呼ばれたのだ。
その使者は琴さんで、レイク宰相を命がけで救ったという。
『ボクの法神力もまだまだみたいだ。このままでは守るべき人を守れない。不甲斐ないボクを許してくれ』
と琴さんは自分を責めていたが、宰相は命があるだけでありがたいということ。
当の宰相は戦闘で傷を負い、ベッドから起き上がれない状態だという。そのため会談は、彼の私室となった。
そしてウェルズの太守がすでに逃亡していて、国としてのていを成していないことを語り、
『我がウェルズ国は、数多の将軍を亡くし、私もこうして病床から離れられない始末。もはや単独でデュエンの侵略に対抗する術を持ちません。どうか、イースの傘下に入れさせていただくよう』
ここでも非公式ではあるが、実質的な降伏宣言がなされたのだった。
ウェルズとノスルの2国の降伏。
それは別に敵兵を殺しつくしたり、国都を落としたり、太守の首を取ったわけでも、滅亡したわけでもない。
それでも国が降ったのだ。降伏勧告で国が滅んだのと等しいこと。
それはつまり、僕の寿命を延ばす条件を達成したということ。
だからきっと、僕はこうして生きながらえたのだろう。
『そういうわけだから。よろしくねー』
そう考えていた時、死神から端末に電話がかかってきて、お気楽に全肯定したときには軽く殺意が湧いたけど。
『ま、本当は君の寿命のあとの降伏だから、これでゲームオーバーにしても良かったんだけど、さ。ほら、君の罪状を鑑みて、地獄をもう一回りしてもらうことになったから』
『適当だな。地獄ってなんだよ。元に戻っただけじゃないか』
『俗世こそ、この世の地獄とはよく言ったものさ。君はその地獄でせいぜい苦しむがいいさ、ぐわっはっは』
『本音は?』
『妹がまた好き勝手やってるから止めてください!』
という、心底どうでもいい会話だった。。けど、若干感謝しなくもなくもないような気持ちが微レ存ある気分だった。
「イリリ、考えごと?」
タヒラ姉さんの声に呼び戻される。
「これからどうしようかと思ってね」
咄嗟に出た言い訳みたいな言葉だけど、実際、どうしようとは思う。
ウェルズ国とノスル国を傘下に置いたものの、今回の戦いで国は大きく疲弊した。イース本国は人の犠牲は少ないとはいえ、国都の復興や各地の慰撫を考えると、経済的な打撃は相当なものになる。
そんな状況下で、さらに版図を広げようなんて無理な話。向こう2,3年、少なくとも1年は大人しく国を富ませることに集中しないといけないだろう。
だから僕の寿命が少し伸びたところで、焼け石に水。再び迫る死に怯えながらも暮らす毎日が来ると思うと、あの死神に文句の1つでも言いたくなる。
けど――
「ふふーん、そんなの決まってるじゃない。家に帰って、おねーさんといちゃいちゃ――きゃう!!」
「変態姉貴」
「えーん、イリリがぶったー」
まったく。この姉は。
なんか幼児退行してないか? もしかして僕のせい?
「家に帰ろう。パパも心配してるだろうし、ヨルにぃはストレスで胃に穴があいてるだろうし、トルルンは……ま、いつも通りかな。それでもうちだからね! きっと祝勝会ですっごい料理作ってくれると思うよ、ミリエラさんが!」
帰ればきっと、そうなるだろう。
そしてそれは、悪いものではない。
脳裏に思い浮かぶのは、独りの食卓。勝手に作って、勝手に食べて、勝手に寝る。それだけの日々で、家族と食卓を囲むなんてことはなかった。
それが今や、少し楽しみにしている。そんな自分がいることに驚いてもいる。
そしてそれが悪くはないとも。
「イリスちゃーーん!」
ラスが呼んでいる。その横にカタリア、ユーン、サン、クラーレ、トーコ、琴さん、小太郎が並ぶ。
この世界で出会った人たち。守りたいと思った人たち。
それを再び目の当たりにして、未来への不安とか死への恐怖とか、そんなものはどうでもいいと思える気がした。
この人たちと一緒にいる。それだけでいい。
「帰ろうか、あたしたちの家に」
そうだ。帰ろう。
そして生きていく。
僕は。彼らと。
この世界で。生きていく。
第1章終了となります。
前作と変わって、学園ものを入れてみたら結構ぐだぐだしてまた長くなってしまったと思います。
その中でも、読んでいただいて大変感謝しております。
第2章は7月14日(日)を目安に開始していきたいと思いますので、お待ちいただければと思います。
またブックマークやいいね、評価いただけると、2章への意欲もよりわきますので、していただければ幸いです。
改めまして、ここまで読んでいただきありがとうございます。引き続き、精進してまいりますのでよろしくお願いします。