第25話 空城の計
借りた馬の首にしがみつきながら、ひたすら南下した。
隊長はなんと彼の馬を貸してくれた。その心意気に感謝しつつ、やはりいきなり馬は無理だったかと悔やむ。
けどそうしないと間に合わない。
だからどれだけ辛くても、振り落とされないよう必死にしがみついく。
やがて、それは見えた。
「はあああああああ!」
「と、取り囲め! いや、そいつらはいい! 北に逃げた者を追うんだ!」
「行かせないって、言ったぁっ!!」
悲鳴。
それを生んだ人物は、数百の人間に取り囲まれながらもまだ立っていた。
しかし、今や彼女を乗せていた馬もなく、彼女と共に戦う仲間もおらず、全身に疲労と傷をまとって幽鬼のように立っている。
その周囲には、人や馬が転がっていて、彼女がどれだけの間、戦い続けてきたかを証明していた。
そんな彼女――イリスの姉に、胸が突き動かされる。
「姉さん!」
「イリリ!?」
叫び、そして彼女が振り返った。
それは悪手。気おされていた敵を解放する、最悪の一手。
「い、今だ! 殺せ!」
敵が一斉に包囲を狭めてくる。
弓で狙わないのは同士討ちを避けるためか。どうでもいい。来るなら――蹴散らすだけだ。
スキル『軍神』、発動。
「おおおおおおっ!」
叫び、飛んだ。
鎧を着た兵士たち。それぞれが剣を構えて進んでくる、そこへ落ちる。
同時に、右手に持った穂先を払った槍で、向かってくる敵を薙いだ。
敵はまさか向かって来ると思わなかったのだろう。虚を突かれて反撃してこない。
その隙に、僕は踵を返す。
「乗って!」
「でも!」
「いいから!」
今度は僕が問答無用でタヒラ姉さんの肩を取ると、そのまま借りた馬に放り投げる。
「行け!」
馬上の人となったタヒラ姉さん。
その馬の尻を、槍で思いっきり叩く。
悲鳴を上げて、姉さんを乗せた馬が北へと走る。
僕もそちらへ駆けた。
「こ、殺せ!」
敵の怒声。背後から殺気が群がってくる。
そこから突出してくるのは、移動速度が速い騎兵だ。
「イリリ、こっち!」
タヒラ姉さんが馬上から手を伸ばしてくる。
馬に乗せようというのだろう。
けどそうすれば速度が遅くなる。それは避けたい。
「いや、こっちがいい!」
僕は一番最初に追いついてきた騎兵、その槍をかわすと、逆に飛んで相手を石突きで突き落とし、そのまま馬上の人になる。
「やるね、イリリ」
「姉さんほどじゃないよ」
「言うわね。けど、これで時間は稼げた。他のみんなも散り散りになってるだろうからそれを集めて――」
「いや、まだだ姉さん。なるだけ相手を引き込む」
「え……」
「姉さんの名前を借りちゃったけど、大丈夫。なんとかする。それより来る!」
さらに敵の騎馬が来た。
だがそれは部隊として、というよりてんでバラバラに、だ。
誰もがたった2人というのを侮って、単騎で突っ込んでくる。
それを返り討ちにしていると、
「くっ、一旦退け!」
敵の騎馬隊長らしき人物の号令で、騎馬が退き始める。
そのまま歩兵と合流して、さらにこちらに来る。
約3千の軍勢。
それがたいまつを燃やしてこちらに駆けてくるなんて、ほんと悪夢でしかない。
けど、ここで怖がっていられない。
ここを乗り切らないと、僕に明日はない。
だから僕はタヒラ姉さんに先導され、つかず離れずの距離を保ちながら北上していく。
ここで重要な点は敵の部隊から逃げ切らないことだ。
少なからず打撃を与えておかないと、敵はまた来る。
そのために迎撃の策を隊長に伝えたわけだけど、そのためには敵には砦まで来てもらわないといけない。
このまま逃げ切ってしまえば、僕たちの要は餌としての役割が失敗になる。
「……あれは!」
姉さんが叫んだ。
視線の先。暗がりの中に、火をともした砦が見える。
その門。開いている。どうやら隊長は指示に従ってくれたようだ。
「なに!? なんで開けてるの! しめて!」
「いいんだ、姉さん!」
「そのまま入って!」
僕と姉さんの馬はそのまま、砦の門から中へ入る。
その直前、僕は馬から飛び降りた。
振り返る。
そこには横に大きく広がった敵が、大地を揺らしながらこちらに進撃してくる。
さて。敵はどう来るか。
かの名軍師・諸葛亮孔明は、わずかしかいない守備兵で城を守るために、わざと門を開け放って敵を待ち構えた。
対するは孔明のライバル司馬懿仲達。
司馬懿は無防備な城に罠を感じ、撤退したという。
三国志の中でも白眉のシーンだ。
攻めていれば勝っていた状況で、司馬懿を臆病だと非難する人もいただろう。
けど、考えてほしい。
部隊を指揮する将軍は、その手に数万の命を握っているんだ。
勝てるだろう、で戦っていいものじゃない。
戦で難しいのは勝っている状況で兵を退くこと。
それをやってのけた司馬懿は、臆病者ではなく、間違いなく名将なのだ。
だから司馬懿レベルの知者なら相手なら撤退する。
だが――
「愚か者め! 敵は砦を開けっ放しだぞ! なだれ込め!」
歓声と共に敵が速度を上げる。
こちらはまだ門が開いている。そこになだれ込めば、もうあとは蹂躙があるだけだ。
「イリリ!」
背後から姉さんの声。
馬に僕がいないのを知ったのだろう。こちらに駆けてくるのを背中に感じた。
「大丈夫。相手は司馬懿じゃなかったみたいだ」
「はぁ? そんな場合じゃないでしょ! すぐに来て! 門を閉めるから!」
姉さんの手が僕の左肩にかかる。
それを拒否するように、僕は右肩を挙げた。
穂先のない槍が、夜空を突くように伸びる。
そして、言う。
この戦いを終わらせる一言を、
「全軍、射よっ!」
次の瞬間、林に潜んでいた守備隊の全員が、弓やら鉄砲を敵に向かって叩き込む。
遮るものも防御もない敵は、バタバタと倒れて行く。
あからさまに敵が混乱するのが分かる。
前列は弓鉄砲にさらされ恐怖で足が止まる。だが後ろは何かが起こっているとわかりつつも、まだ危機を受けていないから命令のままに前へと進もうとする。
その押し問答、その混乱にさらに火をくべる号令を、僕は発した。
「“イース国軍3千”! 全軍、突撃ぃぃ!」
歓声があがる。
そして悲鳴もあがる。
両側の林から飛び出した兵たちが、左右から挟み込むように敵に突っ込んでいった。
その数、3千――のわけがない。守備隊の500だ。
けどこの暗闇。そして混乱しきった敵にはそれが嘘だと判断できない。
だから敵は襲われると一目散に逃げだした。
彼らにとって戦功は大事だけど、何より大事なのは自分の命。
大軍で一気呵成に蹂躙するのは得意だが、逆に攻められる展開になると弱いのだ。
だから一部が崩れれば、それは全軍に波及する。
敵がずるずると押されはじめ、そして決壊が始まった。
それから敵のかがり火が視界から消えるのはすぐだった。
ホッと胸をなでおろす。
大使館からの脱出からここに来るまで。民間人は誰1人犠牲なく、国境を越えた。
さらに敵の大軍をこうも打ち払ったのだ。
叔父さんやタヒラ姉さんの部下という犠牲が出てしまったけど、最終的な戦果を考えれば軽微な被害だ。
だから僕は心の底から安堵した。
始まって早々にゲームオーバーというのも避けられたわけで。
「これは……」
僕の肩をつかむタヒラ姉さん。その手から力が抜けていく。
だから僕は言うんだ。
振り返って、姉さんに向かって、笑みを浮かべ。
「勝ったよ、姉さん」
10/19 一部表現を修正しました。