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第228話 決着

「イリスちゃん!」


 声。ラス!? 馬鹿な。なんで来た!?


「あうっ!!」


 衝撃。そして悲鳴。


 血が、舞った。


 馬から跳び、僕の体に覆いかぶさるようにしたラスの背中から血が噴き出る。

 同時、刀を振った知盛からも血が舞う。ラスが剣を投げたのは見えた。それが彼の右肩、ちょうど鎧の隙間に刺さったのだ。


 それで知盛はひるんだ。


「ラス! なんて無茶を!」


 馬からラスが落ちないよう引き上げ、叫んだ。無謀にもほどがある。馬の速度を重視したためか、ラスの着こんだ鎧は背中を完全に覆っていない。


「死んじゃ……嫌だよぅ!」


 ラスの叫び。それでどうしようもなくなって、抱きしめた。血の匂いがした。

 それが自分の中の、男性としての情欲を掻き立てる。


 思えば、彼女はいつも必死だった。

 必死についてきて、必死に僕と一緒にいて、必死に僕を守ろうとした。


 いつもそうだ。

 そして今。身を挺して僕を、イリス・グーシィンの命を守った。


「生きて」


 その言葉が、何かのスイッチを押した気がした。


 腕の中、見上げてくるラスの顔。美しい。血にまみれてなお、輝こうとする。

 彼女を口説きたくなった。場所と時間が許すのならば。いや、僕があと10年若ければ、いやいや、この世界において同性とならなければ。


 最初は仮初めの友達だった。見ず知らずの世界で、情報収集にちょうどいいくらいの思いで手を差し出しただけだ。

 だがいつの間にか彼女が当たり前になっていた。いないとどこか心の隙間に風が吹くような、そんな印象を抱かせる存在になっていた。

 世界も、時代も、年齢も、性別も違うのに。

 そう思えることは、とても不可思議で、とても素晴らしく、とても嬉しいことなのだ。


 だがその存在が、今にも消えようとしている。

 無情にも、奪われ


 誰から?

 何から?

 何処から?


「いりす! 守られるとは、それだけか!」


「お前が!!」


 吐き出す。ラスを抱きながら、赤煌しゃっこうを知盛にたたきつける。湧き出る怒りと共に。

 レイク将軍が討たれた時も、アトランが討たれた時も、怒りはした。だが、これほどまでに、相手を自らの意志で殺したいとまで思うほどの激情を覚えたのは初めてだ。


「くっ!」


 知盛が下がる。

 刀を左手に持ち替えていた。右腕の傷は深いのかもしれな――それがどうした!


 知性を放り捨て、全ての思考と感情とエネルギーを殺戮に向ける。

 もはや相手を撃滅する以外止まる方法はない。


 それが軍神。

 軍団の先頭に立ち、率いるだけの存在ではない。

 その軍団だけでなく、一個人だけでも戦局を徹底的に叩き潰すがごとく破壊する存在。


 それが軍神。

 戦の神。


 神ならば、人に負けるわけにはいかない。たとえどれほどの武、そして知を持とうとも。

 それを一蹴してこその軍神。


 そしてこの男は、その逆鱗に触れた。


「軍神の――」


 赤煌しゃっこうを振り上げる。

 平知盛が顔をしかめ、刀を上げて受ける構えをする。


「怒りを知れ!!」


 叩きつけた。


「がっ!!」


 受けようとした刀が折れ、平知盛の頭部を破砕――する寸前に首をねじって避けられた。だが左肩は砕けたはずだ。何かを砕く嫌な感触が赤煌しゃっこうから伝わってくるのがはっきり分かった。


 外した。だが相手に反撃する力はない。逃げる暇もない。

 もう一撃。それで終わりだ。


 そう思って赤煌しゃっこうを振り上げ、


「紅蓮に燃えよ、赤備!」


「なにっ!?」


 熱が来た。いや、炎。山県昌景!


 赤煌しゃっこうを風車のように回す。それで炎が四散した。

 平知盛の奥。そこから赤備の山県昌景が乱戦を駆け抜けてきた。


「赤備! 全軍、総大将を守り退却せよ!」


「隊長を置いていけるわけありません!」


「馬鹿! ここが私の居場所だ!」


 山県昌景はそのまま平知盛を押しのけるようにして、僕に向かってきた。

 どこにそんな力があるのか。右腕はへし折って、あばらにもダメージを与えたはずだ。なのに。どうしてこうも動く。


「死ぬ気か!」


「その通りだ!」


 怪我人の動きかと思えるほど、その動きは神がかっていた。たった1人を逃がすため、今、山県昌景は決死の猛攻を加えてくるのだ。


「三郎ちゃん!」


 女の声。望月千代女か。


「千代女! 知盛を頼む!」


 山県昌景は振り返りもしないまま、そう叫ぶ。


「分かった! じゃ、さようなら」


「ああ! 黄泉路でまた会おう!」


 それきり。それきりでいいのか。お前ら。それが、この世の別れで。

 何かとても嫌なものを、だがそれ以上にすがすがしいものを見た気がした。


 それは僕の心に迷いを産む。

 同時、退きがねが鳴っていた。敵。逃げていく。平知盛も、おそらく。千代女らしき巫女装束によって馬で駆けていくのを見た気がする。


「勝負だ、いりす!」


 だがその流れに逆行するように、山県昌景は僕に馬を寄せ、刀を振り下ろしてくる。

 赤煌しゃっこうを振り上げた。金属音。飛んだ。山県昌景の刀が、天高く飛んだ。


「……殺せ。いい勝負だった。何も言うことはない」


 諦めたような、だがどこかすがすがしい笑顔で、山県昌景は言った。

 赤煌しゃっこうを振り上げる。


 だが僕の中に迷いが出ていた。

 怒りの熱が収まったというべきか。


 もう平知盛を追うことはできない。いや、敵は撤退していく。今度こそ本気で。だからこの戦いは勝ちだ。勝ちなのだが、この憤然とした気持ちはどこへもっていけばいいのか。

 不愉快だ。不愉快だから、この山県昌景の頭を叩き潰すのか。

 でも僕は知ってしまった。この人もまた、この世界で生きる日本の人間。いや、そうじゃなければ殺していいなんてことにはならない。人殺しは最悪の罪。それを助長する戦争なんてものは、その最たるものだ。


 なのに僕はその罪を、積極的に行おうとしていた。

 それが僕を愕然とさせる。怒りの熱を覚まさせる。


 けどラスが。ラスが傷ついて、それで何もせずに黙っていられるなんてことはできない。

 それが今から、僕が山県昌景を、人を殺す動機。それ以上でもそれ以下でも――


「イリスちゃん、ダメだよぅ」


 ラス。

 ラスが、ギュッと僕の腰に手を回して、抱き着いてきた。

 それはすべての罪を許すような、聖母の抱擁。怒りも悲しみも溶けて消えていく。


「ふぅ」


 ため息をついた。周囲を見渡す。闘争は止んでいた。むしろ撤退していく敵を見て、歓呼をあげて喜ぶ皆がいた。姉さんも、カタリアも、ユーンも、サンも、クラーレも。誰もが勝利に湧きたっている。

 そしてこの場所だけが静かだった。


 終わった。

 そう思うと、もう血を見たくもない。


「殺さない。僕は、もう誰も殺さない」


 そう山県昌景に告げる。これでいい。そのはずだ。


 だからあとは、最期の心残りだけ。


「ラス」


「なぁに、イリスちゃん」


 青ざめた顔。それでもまた、君は美しい。

 その言葉を飲み込んで、


「今までありがとう」


 そう言った。


 消えていく。切野蓮きりのれんという存在が。魂が。


 あぁ、イリスを助けることはできなかった。そしてラスも。

 きっと彼女はこの後、必死に泣くのだろう。その姿さえも愛おしいものに思えるはずだ。


 けど仕方ない。

 これは決まっていた運命さだめ

 変えられなかった未来。


 そう思うと、とても申し訳ないような気がした。

 僕が介入しなければ、イリス・グーシィンはあの時に死んでいて、ラスと友達になることもなく、こうして悲しい別れをしなくてよかったのだから。


 余計なことをした。

 だから謝りたい。

 けど出てきたのは感謝の言葉。

 相手をおもんぱかっているようで、自分のことしか考えていない最低の言葉。


 本当に申し訳ない。

 けど、それが僕らしい。

 最期の最期、道を誤る僕にとって。


 消えていく。


 体は動かないまま、意識だけが飛んだ。そう感じた。

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