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第227話 軍神の見た夢

「イリスちゃん、これ……」


 ラスが絶望に満ちた声を出す。


 僕は答えられない。喉に何かが絡んで声が出なかった。声が出たとしてもなんて答えればいいか分からなかったともいう。


 その時だ。


「伝令っ!」


 歩兵から離れ、騎兵が1騎こちらにかけてきた。

 伝令。おそらくタヒラ姉さんからか。


「カタリア隊にクラーレ隊長とタヒラ隊長より命令です。今すぐ国都へ退き、太守様と共に落ちよ、とのことです!」


「……っ!!」


 絶句した。姉さんたちが何を考えたのか分かったからだ。


「それって……」


「負け、ってことだよな」


 ユーンとサンがつぶやく。


 そう、負けた。

 負けたから、僕らには逃げろと言っている。太守様と共に落ち逃げろだなんて、あの姉さんが言うわけがない。だからこれは家族を連れて逃げろということ。

 それを僕に託したということは……。


 ちらとカタリアを見る。

 その顔は青ざめ、歯をぐっと食いしばっている。


 彼女も気づいたのだ。

 歩兵にいるタヒラ姉さんと、カタリアの姉のクラーレ。2人は逃げられない。ここで歩兵が逃げ出せば、がっつりとかみ合った状態で即追撃となる。そして国都につくまでそれは続き、逃げ延びる者はほぼいないだろう。

 仮に逃げたとしても、背後にはデュエン軍がいるから、門を開けると同時にデュエン軍が国都になだれ込む。そうなればイース国は滅亡だ。


 退けない。

 歩兵は逃げられない。


 だからこれは2人の姉が残した、家族への想い。

 僕らに生き延びて、そして家族を守ってほしいという2人の願い。


 それが分かるから、僕は、カタリアは何も言えない。


 ――はずだった。


「撤退します」


「カタリア!」


 声が出た。同時、唾だか血も出た。


 まさかあのカタリアがそう言うとは思わなかった。

 だって彼女は姉のクラーレを尊敬していて、それ以上に、タヒラ姉さんのことを崇拝していた。それがこうも簡単に切り捨てられるとは。

 敵対する家系にありながらも、カタリアのタヒラ姉さんに対する敬意は本物だった。だからそれが裏切られた、という気もした。


「わたくしが、何も考えずにそう判断したと思って……?」


 歯を食いしばり、握りしめた手からは血を、そしてその双眸そうぼうから涙を流しながらカタリアが肩を震わせながらそうつぶやく。


「カタリア……」


 そうだ。悔しいのは、悲しいのは彼女も同じ。

 情に厚くて、何事にも真剣で、何より家族を大事にしていた彼女だ。敬愛する姉と、尊敬する人を犠牲にしてまで生き延びようとは思わないだろう。

 だがそれ以上に守らなければならないもののため、未練を断ち切ってでも、個人の感情を殺しきってでも、そう判断しなければならなかったわけで。

 逆に僕が感情におぼれていたのだ。今、この時だけはこいつの方が真っ当な判断をしたということだ。


「カタリア様! 敵が来ます!」


 無念を噛みしめうなだれているとユーンが叫ぶ。

 ハッとしたようにカタリアが顔を上げ、


「全軍――」


 号令を出そうとしたその時だ。


「ノスル全軍! 俺様たちが輝く舞台はここだ! 友軍の撤退を援護するぞ! 俺様に続け!!」


 げきが聞こえた。

 敵と味方の最前線。アトラン。馬上から剣を振りかざし、兵を鼓舞しているのが見えた。さらに前に出て馬上から敵を数人斬って捨てた。


 あの男のどこにそんな力があったのかと思えるほど、その雄姿は味方に力を与えた。


 一時、前線が押し気味になる。

 1人の人間の行動で戦局が変わる。それを目の当たりにしたように思えた。


 だが、その快進撃は長く続かない。

 兵数差と挟撃で有利な状態の敵は慌てることなくアトランの突撃を防ぎ、そして――


「ぐっ!!」


 アトランの体に1本、2本と槍が突き立った。歩兵の中で馬上という目立つ場所にいるから、集中して狙われるのは当然といえば当然。

 ただそれを僕は、見知った人物の体に異物が入りこむという現象を、まるで夢か幻かのように眺めていた。


「カタリア! イリス! お前たちは、生きろ!」


 アトランが天に向かって叫ぶ。そして馬から落ち、視界から消えた。消えた。この世から。アトラン・ピレートという男が。


 そう認識した瞬間、何かがキレた。


「お前らぁ!!」


 叫ぶ。そして手綱を握り、馬首を敵軍の方へ向けた。


「イリス!」


「止めるな、カタリア!」


「いいえ、わたくしも行きます! この想い、ぶちまけねば気が済みません!」


 初めて意見があった。そんな気がして、こんな時でも嬉しかった。

 だから口角を上げて、叫ぶ。


「イース軍、突撃!!」


 駆けだす。後ろからは怒号のような喚声が響く。全員が続く。僕と、カタリアの後ろ。


 突っ込んだ。歩兵の中。敵が反応する。遅い。すべての敵を弾き飛ばした。

 叫び。打ち。払い。突き倒し。かち上げ。薙ぎ払う。


 とにかく腕が動く限り。馬が行く限り。暴れに暴れた。目の前を遮るものは打ち倒す。誰にも邪魔はさせない。


 愚策だとは思う。

 今や包囲が完成しようとしているところ。それを防ぐために、姉さんは離脱を勧めてくれた。それを蹴って、敵の中に入り込む。自殺行為でしかない。

 それでも止まらない。止めようはずもない。


 そんな怒れる自分とは別に、冷静に視野に入るものを分析する自分もいることに気づいている。


 目の前の大軍。だが突き倒されるとはまったく思わない。敵の動きがコマ送りのようにして見える。恐怖はない。むしろ背後から来る圧に勇気づけられ、どこまでも走っていける。そんな気分にさせる光景。


 これが軍神の光景なのか。


 もはや遮るものはない。


 それなのに敵は湧いてくる。僕の邪魔をしようとする。

 なぜ来る。敵うはずがないのに。軍神に。死ぬと分かって前に立つのか。


 まったくもって不条理だ。この戦いも。なぜ戦う。なぜ傷つける。なぜ奪う。なぜ殺す。

 大人しく自分の分限だけ守っていれば、傷つくことも死ぬこともないのに。なぜ。


 いるからだ。

 この世には。何もかも奪わないといけない強欲な誰かが。それが自分は安全なところにいて、他人に血を流させる。


 敵だ。

 それが僕らの本当の敵。平知盛も、山県昌景も、望月千代女も、小松姫も蘭陵王も敵じゃない。本当の敵は、そんな僕らにこんなことをさせる大罪人だ。


 けどそれを今すぐどうこうできるわけでもないし、それを相手に言い募っても仕方ない。

 だからこの状況を終わらせる。どうやって終わらせるか分からない。とりあえず、敵の総大将。それを叩き潰せば終わる。それだけは、分かっている。


 だから行く。

 敵を断ち割って。最短ルート。


 敵の総大将がいる場所へと、一直線に向かう。


 敵。見えた。歩兵集団の向こう。姉さんたちを挟み撃ちする別動隊。

 ああ、姉さん。そうだ。彼女は無事か。父さんは。兄さんは。皆は。自分の大切なもの。それを傷つける者。それだけでも彼らは敵。だから倒す。今はそれしかない。


 斬られたような気がした。気のせいだろう。痛みはない。痛みなんてものは。

 吼えた。敵が呑まれたように一歩引く。


 途端、爆発音が聞こえた。

 自分の声に反応したのか。そんなわけがない。それでも敵が悲鳴をあげて、崩れていく。

 勝ったのか。それすらも分からない。何が起きたのかもわからない。


 それでも敵大将の首をあげないことには勝ちとはいえない。

 だからあと一歩だ。あと一歩で勝つ。負けの寸前から、大逆転。それができる。今の僕なら。きっと。


 たとえ命を失おうとも。

 死の向こう側に、勝機がある。そう信じて。僕は駆ける。

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