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挿話48 趙括(トント国将軍?)

 何かが飛んでくる。それは嫌な予感か。何なのか。


 振り返る。視線の先にあったのは、先ほど名乗りを上げた男。平知盛といったか。

 その男は落馬しながらも弓に矢をつがえてこちらを狙っている。


 すべては咄嗟だった。

 たひら。突き飛ばした。同時、熱が来た。いや、痛みだ。足。左足を、射られた。


「あ、あんた!」


「ふっ、大将軍に……問題は、ない!」


 嘘だ。すごい痛い。これが痛み。戦場の、痛み。

 痛いが、妻の前で弱音を吐くほど格好悪いことはない。父も、母には弱音は吐かなかった。


「立てる!?」


 たひらが腕をつかんでくる。それを拒むようにして、足に力を入れる。手は借りない。それで立つから大将軍なのだ。


「ふっ、大将軍に不可能は……っ!!」


 痛みが走った。足に力が入らない。見れば左膝の裏から矢が刺さり、膝から矢じりが飛び出していた。痛いわけだ。


「っ! ちょっと我慢して」


 言うが早いがたひらは矢の羽の部分をへし折ると、そのまま一気に矢じりを掴んで引き抜いた。


「っっっっっ!!」


 激痛が全身を駆け抜ける。だが妻の前ではしたないと、悲鳴は飲み込んだ。


「とにかく、あと少し。頑張って走って!」


 腰に巻いた布で左足のももをぎゅっと縛り付けながら言う。そんな彼女も美しいそう思った。


「全軍、総攻撃!!」


 その時だ。背後から怒声が聞こえる。

 そして大地を踏み鳴らす足音も。


「タヒラ様!!」


 城門を飛び越えて、何人かが来た。彼女の部下だろう。


「こいつを運ぶ! 急いで!」


 間に合うか。あと少し。彼女たちだけなら間に合うだろう。だが、私は。無理だ。間に合わない。門に逃げ込んでも、敵がそのまま入って来る。


 ならばやるべきことは1つ。

 そう思うと、心が軽くなった。


「先に行け!」


 たひらの体を突き飛ばした。彼女らの部下が慌てて受け止める。


 そして立つ。右足が残っている。それならば立てる。


「何を!」


「いいから行け! 大将軍の命令だ!」


 そう、大将軍。私は、大将軍なのだ。

 大将軍なら、戦に戦って勝つのが定め。そしてその根本にあるのは守るということ。土地を、王を、民を、そして家族を。

 いや、それは大将軍だろうと何だろうと、軍人である前には変わらない。人である前には変わらない。


「私が守る。そなたは私の妻だ。いりすも。だから大将軍である私が……いや、私、趙括個人が守るのだ」


「なにを、あんたも逃げるんだろ!」


「連れていけ」


 たひらではなく、彼女の部下に命じる。激しく抵抗したのだろうが、人数の差でずりずりと後方へと引きずられていく。


「チョーカツ!!」


 最期に呼んでくれた。それだけでいい。お前を愛せてよかった。そう思った。


「全軍に告ぐ! これより東門を爆破する! 死にたくなかったら退避しろ!!」


 叫んだ。それで敵の足が鈍った。その間、ほんの数秒が今は貴重。


「か、カッつぁん!!」


「退避せよ!!」


 部下たちには悪いことをした。そう思えたのも、やはり彼女に出会ってからだろう。趙国にいては気づけなかった。あの時の自分は、偉大過ぎる父の重荷に耐えかねていた。それが周囲の者からは何かともてはやされて天狗になっていた。部下をいたわることもなく、駒のように使い捨てしていた。


 それが過ちだったのだと気づかせてくれたのは彼女だ。


『東門には爆薬を仕掛けておくよ。本当に危ないと思ったら、火を放って逃げて。そうすれば、敵は東門から敵は入れなくなる。こんなことを他国の人に任せるのは心苦しいけど、お願いしたい』


 お願いもなにもないのだ。愛する者のために戦うのは当然のこと。

 そして命を捨てることも。


 それが大将軍、それが軍人、それが、私。


 だから――


「受けよ、我が威光! 轟け、我が威明! これぞ――」


 放つ。それで終わり。そのはずだった。


 痛みが来た。何が、と思う前に、上体が崩れた。

 右肩。そこに矢が刺さっていた。


「降伏せよ。趙括」


 先ほどの男だ。平知盛と名乗った男が馬に乗って悠然と距離を縮めてくる。その手には弓が。この男が。そう思った。


「趙括。思い出した。史記における、趙国の将軍。長平ちょうへいの戦い。そこで白起はくきに敗れたという」


「そんな覚えはない。だが趙国における大将軍とは我が父、そして私しかいない!」


「……そうか。そうだな。つまり死の直前の記憶はないということか。それは私も同じだな」


 何かをつぶやくように言う平知盛。意味は分からなかったが、自分のことも言っている。そんな気がした。


「まぁいい。それにしても女を狙ったが、上手くかばったものだ。いや、それが貴公の弱点だったか」


 弱点? いや、そんなものはどうでもいい。この男は狙ったのだ。我が妻を。それだけで万死に値する。


「もう一度言う。降伏せよ。もはや城門は抑えたも同然。あとは私の号令1つでここは落ちる。祖国ではない土地に殉じるほど、えにしは強くあるまい」


 祖国。そう。私の祖国は趙国。そこを守るために、父を超えるために、私はひたすらに努力したのだ。

 だが――


「祖国と同じく、ここには私の守りたいものがあるのだ。そのためには、一歩も引かん」


「……残念だ」


「忠告は、聞いていなかったのか」


 ふらっとした。けどそれは耐えた。血を失いすぎている。そう思った。

 だがあと少し。あと少しだけでいい。私に時間をくれ。そう思うと、意識が冴えた。まだ戦える。そう感じた。


「忠告……ああ、先ほどの爆破というものか。……千代女、爆破とはなんだ?」


 平知盛が隣の少女のような、いかがわしい衣服を着た者に尋ねる。

 よし。これで時間が稼げる。あと少し。あと少しだ。


「はぁこれだから馬鹿盛は。火薬を使って物を破壊するもの。十分な量があれば、城門くらい吹き飛ばす」


「ふむ。なるほど」


「そういうことだ。さっさと諦めて帰れ」


 自分もいりすに言われて初めて知った。そういったものがあるとは全く知りもしなかったし、実際に東門が破壊されるのかは半信半疑だった。

 だが今は信じている。理由は簡単。愛する者がそう言うからだ。


 だからあと少し。もう少し。


「それはできん。ここへは太守のめいをうけているからな。では押しとおるぞ」


 来た。勝った。


「残念だ。では我が妻の策を披露しよう」


「なに」


 たひらが、城門を通ったのを見て取った。そこで左手を城門へ突き出す。そこから発せられるのは大将軍・不羅津死遊ふらっしゅ

 賭けだったが、何度か使ってコツがわかった。そして見事、それは狙い通りのところに飛んだ。


 城門。その天井部分。そこに熱が加わる。


「なんだ、何をした?」


「知盛、何か、ヤバい!」


「これが、大将軍の力だ」


 次の瞬間。大轟音が響き、続いて突風、そして熱が自分を包み込む。


 これが爆破。

 砂埃が周囲を覆いつくす。


 これが好機だった。動く左手で腰の剣を抜く。そして右足で跳んだ。

 位置は最前まで敵大将がいた場所。そこ目掛けて剣を貫く。


「そしてこれが大将軍の一撃っ!!」


 発せられた気迫が、砂埃を舞い上げ敵――敵将の顔を浮かび上がらせる。驚愕に満ちた敵の顔。貫いた。思った瞬間に何かが来た。


「ぐっ……」


 胸に何かが入って来る。それによって、突きがずれた。ずれた剣先は、敵将の左頬をわずか斬るだけで逸れていく。ならここで剣を薙ぐだけで首を取れる。思ったが、力が入らない。右手から剣が零れ落ちるのを感じた。


「知盛は殺させない」


 すぐ目の下に少女がいた。先ほどの敵将の傍にいた少女。その無感動とも言える漆黒の瞳で睨みつけたまま、私の体に剣を突き立てていた。


「千代女……助かった」


 千代女というのか。この少女。体格に似合わず、いや、体格通りのすばしっこい動きで、さらに容赦のない一撃。


 視界が崩れた。いや、体が崩れ落ちた。

 倒れる視界。城門が見えた。いや、城門だったもの。

 今はそれが崩れ落ちて、瓦礫の山になっている。ちょうど天井だけが崩れ落ちた形になっていたので、城門の防御力に変わりはない。いや、むしろ通行できる場所がなくなったと見れば、防御力は各段に上がったと言っていいだろう。


「くっ、東門が……」


 敵将が悔し気に吐き捨てる。ざまを見ろ。そう思った。


「知盛、こいつのせい。しっかり殺す」


 少女が、暗いほどに残酷な言葉をつぶやく。

 そうか。ここで死ぬのか。それが感想だった。


「いや、待て」


「なんで」


「なんでも」


 不意に少女の気配が消え、代わりに敵将の顔が視界に現れる。

 なぶり殺しにする気か。そう思ったが体は動かない。声も出ない。だから何をするつもりかを見ていると、


「趙括、将軍」


 敵将が拱手きょうしゅの礼を取って来た。


「史書での貴殿しか存じ上げませんが、今の貴殿は大将軍の器でありました。今日は私の完敗です」


 不意に涙が出た。

 痛みではない。彼の言葉が、胸に、魂に触れた。


 嗚呼。そうか。私は認められたかった。

 周囲に親の七光りと蔑まれ、側近は父親に取り入るためにおべっかと誉め言葉しか投げかけない。


 彼女だけだった。

 本気で怒ってくれたのは。


 彼女だけだった。

 友のように接してくれたのは。


 いりす。そしてたひら。


 この姉妹は、私の最期を彩り、そして私に生を与えてくれた恩人だ。


 だから満足だった。

 彼女を守れたこと。敵に認められたこと。


 大将軍ではなく、趙括として生きて、そして生き切った。


 空が青い。


 そう感じたのは、生まれて初めてだった。

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