挿話3 ヤバリ・シノウ(ザウス国将軍)
ザウス国がイースを滅ぼす。
それはもう決定事項だ。
もともとザウス国はイース国の一部だった。
そのイース国の権威が落ち、東にトント、北にノスル、西にウェルズ、そして南に我らがザウス国が独立を果たした。
それら4国の親とも言うべきイース国は、猫の額のようなわずかな領土で四方を囲まれることになった。
これまでは外敵の脅威から国を守るため――何より他の3国が力をつけないようにするため、イース国は砂上の楼閣ながらも安全を保っていた。
だがそれももう終わる。
3年前、不幸にも先王が戦死して、5か国のパワーバランスが変わったかと思ったが、現在の王はなかなかのやり手だ。
一気に軍拡路線を展開し、5か国で最大の軍を持つようになった。
さらに南の大国、トンカイとの同盟を結び、こうして後顧の憂いなく進軍できるのだから、我らが王は100年に一度の名君に違いない。
だからこそ我らザウス国が、イース国を平らげ、他の3国より優位に立ったまま奴らを滅ぼす。
そうすれば、ザウス国は列強の仲間入りし、果ては中原へ躍り出ることも可能だろう。
ぜひとも、我らが王にその栄誉を与えたいと思う。
そのための第一手。
それに自分が任命されたのは光栄でしかない。
すでに包囲は完成し、あとは連中を狩りだすだけだ。
「私はザウス国将軍ヤバリ・シノウである! イース国の弱者どもめ、逃げ惑うがいい! 貴様らは我らが狩りから逃れられぬ! 醜く逃げ惑い、泣き叫び、我らが先陣の生贄となれぃ!」
そう、これは狩りだ。
逃げ回る相手を追い詰め殺す。
だからこその狩り。軍事演習を兼ねた、楽しい人狩りだ。
「出るぞ!」
500の精鋭が林に踏み込み南下していく。
300の騎兵に200の歩兵。
林立する木々の中、騎兵にとって進むのに難儀するはずだが、今は関係ない。速度は出さないからだ。
相手にもう逃げる場所はない。東西南北すべてを兵で封鎖している。
だからこの戦いに速度は必要ない。
そもそも戦いではない。狩りなのだ。
狩りには速度よりも重要なものがある。
それは恐怖。
相手に一切の希望を見せつけず、圧倒的な強さによって裏打ちされた恐怖で絶望へと突き落とす。
涙でぐずぐずになった恐怖に満ちた顔。
それでもまだ希望を捨てずに1秒でも長く現世にしがみつこうとする愚か者どもを、背後から槍で突き刺す。それが狩りで一番面白いところだ。
これまでも多くの愚者を討ってきた。
我らが王に意見し、無駄な抵抗を試みた反逆者ども。
それと今回も同義だ。
イース国侵攻のため、口封じしなければならない。
そう王が決めた。ならば黙って首を差し出すのが道理だろう。
だが感謝もしている。
無駄な抵抗をしてくれたおかげで、こうして狩りに興じることができるのだから。
「来たぁ!」「逃げろぉ!」「いやぁぁぁぁ!」
悲鳴が聞こえてきた。近い。
愚かにも奴らは火を手にしていた。
薄暗いこの場所には光が必要だからだろう。
だがそれは自らの位置を明かしているだけのこと。自ら目印をつけているとの同じ。
舌なめずりをする。
もう少しだ。もう少しで、あの愚か者どもに圧倒的な恐怖を教えてやれる。
「シノウ将軍、獲物の動きが妙です」
部下の言う通り、確かにおかしい。
今も悲鳴をあげながら逃げていく獲物の動き。火の動き。
それが距離をとって逃げようとするのではなく、東へ進行方向を変えていったのだ。
「ふん、猿知恵よ」
南には1千の軍が展開している。
それに対し、東はわずか400。
そちらの方が抜けやすいと思ったか。
あるいは、東に若干膨れた木々という地形から、少しでも生き延びる時間を稼ごうとしたのか。
「かはっ」
自然と笑みが漏れた。
生きの良い獲物は好みだ。
少しでも生き延びてどうするつもりなのか。
それだけ恐怖の時間を長引かせるだけだというのに。
こちらとしては好都合だが、あまりに哀れで……残虐な気分になる。
「笛を鳴らせ。奴らは東へ向かった」
万が一に備えて、この場合の取り決めもしていた。
獲物が東に逃げた場合のこと。
東の兵が臨戦態勢を取り、北と南の兵が東へずれる。
そしてできたくぼみに、西からは我々が蓋をする。それで終わりだ。
「ん……」
夕闇に包まれた林。
その中に見えた。
逃げ惑う獲物の姿。哀れな生贄が。
「追いついたぞ! かかれ!」
ここで一気に解放する。部下たちの残虐な本性を。そして自分の力を。
最後尾にいた人物が振り返る。
それは美しい少女だった。絹の着物から上流階級の人間だろうと分かるほっそりとした少女。
怯えの色が多く残った少女に、槍を突き立てる。
それだけでも恍惚とした気分になれた。
だが、
「追撃ご苦労さま、けど、ここがあなたたちの死地だ」
「しち?」
何を言っているのか、この少女は。
この狩場において、もっとも似つかわしくない歌い上げるような朗々たる叫び。
そんなものじゃない。
欲しいのはそれじゃない。
悲鳴を。
絶望と苦痛と羞恥と汚辱に満ちた末魔の叫びを!!
不意に少女が何かを投げた。
少女が手にした、たいまつだ。
「ふん」
剣を抜き、たいまつを切り払う。
こざかしい。児戯に等しいその行為に、逆に欲望の炎が沸き上がる。
辺りはさらに暗くなった。
だがこちらもたいまつで照らしている。
相手の背中が見える。逃げ出したのだ。
遅い。追いつく。だからその無防備な背中に、柔らかい肉に突き立てる。それを想像し、口を大きく開け――
その時だ。
「ぎゃああああ!」
悲鳴が聞こえた。
先にとられたか。
いや、少女にしては野暮な、品のない悲鳴。
しかも方向が違う。それは前からではなく後ろから。
何が起きた?
少女を追うか、後ろを確認するか一瞬迷う。
いや、迷うまでもない。少女はもう袋のネズミだ。ならば背後の悲鳴を確認するのが先決。
だが悲鳴はそれだけに収まらない。
断続的に続く悲鳴は、背後で何かが起こっていることを事実としている。
「何が起こっている!?」
「分かりません、暗くて。ただ後続の歩兵が……」
歩兵?
忘れていた。少しムキになったのか、後続との距離が離れてしまっている。
だからその後続に何かが起きたかを不審に思い、
「敵襲!」
その言葉に、全身に緊張が駆け抜けた。
同時、悲鳴が近いものになる。
金属がぶつかる音。それも少なく、悲鳴がどんどんと近づいてくるのが分かる。
「何が……」
いや、分かっている。敵襲だと言われた。だから敵だ。
だがどこに敵がいる?
敵は前だ。後ろにいるわけがない。
ましてやこうも抵抗できる敵など、いるわけがない!
その間にも事態はどんどん進展していく。
悲鳴が悲鳴を呼び、恐怖が恐怖を呼ぶ。
そして――
「だ、ダメだ……」「逃げろ!」「退け、退け!」
部下たちが恐怖に駆られ、てんでばらばらに馬を走らせていく。
「待て! 逃げるんじゃない! 敵は少数だぞ!」
怒鳴るも、圧倒的力を見せられた彼らには通じなかった。
くっ、軟弱者め。こうなったら私も……。
「どこ行くんだい、大将?」
そこで呼ばれた。
近く、女性の声。
振り返る。
そこには女神がいた。
古より伝わる、慈悲深い女神ではない。
荒く猛々しい、戦闘の女神だ。
彼女は鎧を血に染めて、体格に似合わない太い剣を肩に担ぎ、20人ばかりを従えた姿。
美しい。
先の少女とはまた違う、成熟した美しさ。
欲しい。その柔肌に槍を突き刺してやりたい。
だから、
「恨みはないけど……いや、いっぱいあるな。叔父さんとか、イリリのこととか。だから、イースのタヒラ・グーシィンがその首、もらい受ける」
冷徹な、感情を交えない声で女は言う。
何をナマイキな、と感じたが、はてと思う。
言われた名前。そこに聞き覚えがあった。
記憶にある名前をひっくり返して探す。
そしてそれはあった。
今度のイース侵攻に際して『要注意人物』として名前が挙がっていた人物。
「タヒラ……グーシィン。キズバールの英雄!」
「大正解」
言いながら、剣を携えたまま馬をゆっくりと走らせる。
その行為に明確な殺意を感じて慌てて声を発する。
「待て! イース国の大臣の娘が! 私を、ザウスの将軍を殺すか!?」
「ザウスが先に手切れしたんだろ。叔父を殺し、今も多くを殺そうとした」
「違う! あれは私がやったんじゃない、私は――」
「ザウス国の将軍なんだろ。それが知らぬ存ぜぬで通ると思う?」
「ま、待て! 助ける! お前たちと、彼らが国境を越えられるよう護衛する! 約束だ!」
もはや恥も外聞もない。
部下は散り散りになった。
ここはすでに20人に囲まれた私しかいない。だから命乞いも平気だ。
「そんなことを信じると思う?」
「誓う! だから助けて!」
「それを逃げてる人に言われて、あんたは許したことがある?」
それは――ない。ありえない。
命乞いしようが、泣きわめこうが、その背中に槍を突き刺す。それが私のルール。
「当然です! 私は嘘など――」
途端、衝撃が来た。
視線が舞う。何が起きたか分からない。
「嘘だって見え見えだね。あたしの妹に、家族に手を出そうなら容赦はしない。それがあたしのルール」
どさり、と地面に落ちた。
見上げる視線。
そこに女が、剣を振り切った形の女がいた。
その瞳には、なんの感情もない。
家畜を見下すようなひどく冷酷な瞳。
その瞳に吸い込まれるようにして――やがて視界が真っ暗になった。