挿話2 タヒラ・グーシィン(イース王国下級将校)
キズバールの戦い。
それを聞かれたのは久しぶりだ。
だって、全国民が知ってると思ったから。
外国に勤務している人たちも知っているから、それはもう当然のことと思ってたけど。
「それを知らないってどういう意味かなぁ、イリリー?」
「あっ、あー、えっと、いや。その、もう一度聞きたいなぁって。ねぇねぇの武勇伝を」
「もう、こんな状況で」
けど許す。
ねぇねぇって呼んでくれたから何度でも。
甘い?
そんなわけないじゃない。
激アマなだけよ!
ただしイリリ限定ね。
「もう、しょうがないなぁ。そこまで求められちゃ話さないわけにはいかないわよね」
「隊長、顔が緩んでますぜ」
「黙れ」
ナマイキ言った部下にアッパーカットを食らわせる。
うるさい部下を黙らせたことで、さっそく始めましょうか。
「あれは2年、いえ、もう3年前になるのね……」
当時は、ザウス国はイースと同盟を結んでて、東のトント、北のノスル、西のウェルズとも手を結んでいた平和な時代だった。
事件が起きたのは西のウェルズ。
そのさらに西にある大国デュエン国に侵攻されたのを機に始まった戦いに、同盟国のよしみで各国から援軍が派遣された。
そして一致団結してデュエン国を追い払ったわけだけど。
結果から見ればそのままだけど、現場は全く違っていた。
どの国も援軍を出したものの、結局は他国の戦。本気でデュエンと戦おうという国は、ウェルズ以外なかった。
戦力的には連合軍が5千、敵が1万5千と3倍もの兵力差があった。
けど実際の“戦力”を計算すると10倍くらいの兵力差があったと思う。
あたしはその時、600の援軍を率いる将軍の副官として従軍していた。
「あ、将軍。どうでした?」
当時あたしの上司の馬鹿将軍が軍議から帰って来た。
うちの重臣だけど、戦いにはあまりできず、今回みたいな形ばかりの援軍のためにはもってこい。権力はあるけど腕力はない、それでいてちょっとおつむも足りない頼りない上司だ。
「帰国する。ウェルスはデュエンと和睦することになった」
「ふーん? 降参するってことです?」
「そうではない。ここら一帯の領土を割譲して兵を引いてもらうのだ」
「それって降参ってことじゃないです? しかもここら一帯はほぼデュエンが制圧してる」
「ふっ、まだまだ青いな。これは高度な政治取引というやつなのだよ」
全然分かんない。
だって、デュエンは勝ってるんだ。
せっかく勝ってるのに、和睦して制圧している地域をもらって、兵を退くなんて馬鹿げてる。
兵を起こすなんて単純じゃない。
村から農民を集めて、長い距離をだらだらと歩くだけで時間がかかる。時間がかかれば飯を食べさせるためにお金がかかる。
そんなことをして出した兵を、和睦だけで終わらせる?
「よく覚えておくのだ。戦わずに勝つというのが兵法の極意。逆に言えば、戦わず負けないのも真理ということだ」
将軍が得意げに語ってくるけど、なんか違う気がする。
こういう兵法? というのは正直よく分かんない。けど直感が告げる。違うと。馬鹿め、と。
「まぁ1万以上も出してきたんだ。この戦果は妥当だろう」
「前もあったんですか?こんな大軍を率いて?」
「さぁな。少なくとも前代未聞の大軍だからこそ、我々に援軍要請が来たんだろう」
「前代未聞、ねぇ」
だとしたらやっぱり気になる。
前代未聞の兵を出して、一部地域を得るだけで終わるか? それで収支がつくのか? 嫌な予感がする。
「将軍、逃げるなら早く逃げた方が良いと思います」
「逃げる? 馬鹿な、帰国だよ。我々は援軍としてはせ参じ、見事和睦の仲介を務めた。それを逃げるなどと卑下するにもほどがある。今日はよく休め。明日、帰国を開始する。そう諸国には伝えている」
「しかし――」
「もう言うな。わしは疲れた」
と言って、将軍はさっさと自陣に帰ってしまった。
あたしは納得できず、嫌な予感も消えないためその日は不寝番を立て、横になることはなかった。
そして――
「て、敵だぁ!」
遠く、悲鳴が聞こえた。
そして金属がぶつかり合う音。
夜中にもかかわらず、西が昼のように明るい。炎だ。戦乱の匂いがした。
「な、何事だ!?」
将軍が慌てた様子で宿所から飛び出してきた。
その慌てっぷりときたら、もうおかしくて。下着以外何もつけないまま飛び出してきた将軍は、滑稽以外の何物でもなかったね。
「敵の夜襲でしょう」
「て、敵!? 敵とは誰だ!?」
はぁ、この期に及んで……。
「敵っつったらデュエンしかないでしょう」
「馬鹿な! 条約違反だ!」
「まだ口約束でしょ? それは条約じゃないって」
「ぐ、ぐぐ!」
顔を赤くしたり青くしたりと忙しい将軍に、今後の方針を問いかける。
「どうしますか?」
「ど、どうする……?」
同じ言葉を返すしかない将軍は、完全に目が泳いでいる。
はぁ、こりゃダメだ。
「撤退しましょう」
「て、撤退。し、しかし……わしらだけ逃げては……」
将軍は撤退という言葉に喜色を浮かべるが、すぐに意気消沈したように顔をうつむかせる。
命が助かると聞いて喜ぶのもつかの間、体面のことを考えたのだろう。
「我々は和睦が決まった翌日に帰国すると伝えたんでしょう? すでに日は変わってますよ。その言葉通りにしても問題ないのでは?」
「そ、そうか! そうだな! よし、逃げ――いや、帰国する!」
「はい、お気をつけて」
「ぬ? お主はどうするのだ?」
「ええ、ちょっと敵の様子を見てから退きます。将軍の退路を確保するために。その代わり兵の半分を残してもらえると」
「む、そうか。その心意気やよし! ならば先にわしは戻るぞ! 国都でまた会おう!」
「はい、お気をつけて」
二度と会いたくないね。
そうあたしは心の中で舌を出した。
「さって、それじゃあ行きますか」
自分の部下100と200の兵を集めて、騒乱を見つめつぶやく。
「隊長。どこへ?」
副隊長が問いかけてくる。
グーシィン家に縁の深い男だ。
「ちょっと敵にご挨拶をね」
「隊長……いえ、お嬢。我々はグーシィン家に仕える者。御当主様と兄上様よりタヒラ様をお守りするべくついてまいりますが、危険な真似はお停めいたします」
「別に危険じゃないよ。相手は他国の軍をさんざんに打ち破るのに無我夢中でしょ。その横っ面をぶん殴るのにそんな危険はないって」
「しかし、崩れるお味方に巻き込まれることがあれば……」
「大丈夫。すぐに兵は退くから。ここから南東に隘路と高台がある。ウェルスの国都に向かう一本道だね。そこを利用すれば、追撃にやられることもなく、逆に相手に痛い目見せることはできるでしょ」
「おお……」
部下たちからため息が漏れる。絶望じゃない。安堵だ。
「さすがのご慧眼。ならば上手くいきましょうぞ」「グーシィン家も安泰だ。政治に優れた兄上様と、軍略に長けたタヒラ様」「それだけじゃない。弟御も秀才として名高い」「イリス様は……お元気でいらっしゃる」「がはは! 子供は元気が一番よ!」
部下たちのはしゃぎよう、そして兄妹評が心に染みる。
「ははっ、期待しすぎだって。じゃあ、行こうか」
多分照れくさかったのだろう。
あたしは苦笑すると、そのまま馬を走らせた。
それからあたしたちは敵の側面を突き、敵の勢いを止めた。味方が逃げる時間を稼いだ。
そして途中で合流したノスル国の兵500とともに国都に続く隘路で敵を足止め。
態勢を立て直したウェルス軍も参戦したことで、敵はそれ以上の進軍を諦め撤退していく。
結果として兵の損害はこちらの方が多かったけど、敵の侵攻を止めるという意味では大勝利だった。
今後、二度とデュエンの侵攻を行わせないため、5か国の絆の強さを知らしめるため。ウェルスは、あたしとノスルの将軍を大いに褒めたたえ、キズバールの英雄として持ち上げたというわけだ。
あ、ちなみにその時にザウス国の国主が死んじゃって。
その後継者がやけに鼻息荒いんだけど、それが今回の事件にかかわってくるんだろうね。
「という感じ。むふふー、どや!」
「え? 1万を300で追い払ったの? 友軍を入れても800? 1万対800なんてゲームだったら鎧袖一触というか、一瞬で溶けるよね。ランチェスターの第一法則的をぶっちぎりで無視するとか……どんだけチートだよ」
「うん? よく分かんないけど、要は『さすがねぇねぇ』ってことでいいかな?」
「あ、はい。うん、それでいいです」
イリリの答えに、なんとなく釈然としないものがあったけど、ま、いっか。
妹には格好つけてなんぼだからね!
「えっと。で、今の話に戻すんだけど……その、タヒラ姉さんの武勇を見込んで、ちょっと危ない橋を渡るんだけど……やる?」
イリリがおずおずと、気まずそうにそう話を戻した。
もぅ、そんな遠慮することないのに。
やっぱり伝え聞く話だけじゃダメ。もっと目の前で、『ねぇねぇ素敵! もうどうにでもして!』って言わせるくらいの偉業を見せつけないと。
それに、ここまでイリリが立てたという策。
まだまだ詰めが甘いけど、あのイリリが策を立てるというだけで驚きで、他が気になるというのもある。
だからあたしは言うんだ。
特に考えもせず、内容も危機もせず、妹のためならなんとでも。
「やる!」