第209話 勝利なき戦い
朝日が登る。
それを僕は馬上で見ていた。
夜は静かだった。お互い不寝番を置いていたからか、どちらも夜襲はしなかったようだ。
だからというわけじゃないけれど、朝日が登ると同時にお互い動き出した。
いや、動き出すのは攻城側。デュエン軍だ。陣を出て、真っすぐに南門の方へと向かってくる。東門はやはりスルーか?
趙括に一応仕掛けを与えたから、そちらに向かっても初日は撃退できると思うけど。逆に言えば東門からじゃなくとも突破できるという自信の表れかもしれない。
敵の総勢1万ほど。実際は9千いるかどうかだろう。
それが横切っていくのを、少し離れた位置で眺める。当然、相手もこちらを補足しているだろう。何せ身を隠すところがない平原なのだ。
さて、どう戦うか。
相手の動きを見ながら、それを考えていると、
「イリス、イリス!」
パンパンと、手を叩いて僕の名前を呼ぶカタリア。
なんか召使を呼んでいるようで非常に不愉快だったけど、一応、この隊の最高責任者だ。無視するわけにはいかない。
「なんだよ、カタリア」
「なんだよ、じゃありません。あの軍。これから国都を攻めるんでしょう? わたくしたちで止めなければ」
「いや、無理だって。こっちは700。あっちは1万だ。騎馬隊だって数千いるだろうし、あっという間に押しつぶされておしまいだよ」
「それを何とかするのが軍師の役目でしょう?」
「軍師だからって、なんでもできると思わないでくれよ。たとえどんな天才軍師だって、晴れた平地での戦闘で10倍以上の相手に勝てるわけないんだから」
「なら霧を出せばいいでしょう? あるいは地形を変えてしまうのもありですわ」
「んな無茶な!」
どんだけ軍師は万能だと思ってるんだよ。
「カタリア様、さすがにそれは……」
「お嬢、ここはイリスっちの言う通りじゃね?」
彼女の腹心からも、乱心ストップが入った。助かる。
「む……あなたたちもそう言うのね。でも覚えておきなさい。無理だ無理だとなんでも諦めては、何もできなくってよ? 無理なら、何が無理なのかを考え、その無理を解消する方法を考えるのが建設的ではなくて?」
いや、それはその通りなんだけどさ。
さすがに気候と地形をかえるのは人知を超えすぎてるだろ。
「でもイリスちゃん。こう、弓矢を射るとか、物を投げるとか、やり方はあるんじゃないかな」
カタリアとは反対側の横からラスがおずおずと意見する。
「そう、そういうことですわよ、ラス・ハロール。そういったところから物事は新しく展開していくのです。あなたはそこの何も考えない3人よりはマシですわね」
「カタリアちゃんに褒められちゃった……」
「褒めていません! マシだと言っただけです。裏切り者のくせに、調子に乗るんじゃありませんわ!」
「いや、褒めてるだろ。てかまだそれ言ってたのか、裏切り者って。カタリアって執念深いよな」
「なっ!」
「責めないであげてください。カタリア様は少し粘着質なところがあるので。まぁそれがいいのですが」
「ユーン!?」
「この器の小ささがなけりゃお嬢じゃないから。許しといて」
「サン!?」
「あ、あの。私は、いいの。カタリアちゃんと、こうしてまたお話ができてるなら。なんて言われようと」
「ぐっ……ぐぐぐ」
カタリアが女子らしかぬ奇声をあげたところで、勝負はついていた。
完全に器の差が出たな。
というか僕らは何をしてるんだ。
これから国の、自分の命の存亡を賭けた戦いが始まるというのに。
後ろで僕らのやり取りを見ている兵の皆が、しらっとした視線を向けているのが分かる。各隊から騎馬隊を集めたから、僕らのことを直接は知らない人たちも多い。
タヒラ姉さんの推薦だから大人しく従っているけど、若いことも含めて、指揮官失格と見放されることもなくもない。
そういうことも踏まえると、カタリアの言っていることも一理なくもないぞ。
このまま見ているだけなら外に出た意味はない。相手の出方を見るためにも、兵たちの信頼を得るためにも、一度つっかかってみるべきかもしれない。
「分かった。じゃあ一度、敵の後ろをぐるっと回るように動こう。距離は100メートル以上離れたところで」
「なんで100メートル?」
「相手には鉄砲があると思う。弓は見てからかわせるけど、鉄砲は無理だからせめてそれくらいは間隔を開けておく。それに絶対に縦の動きじゃなく、横の動きを心がければ大丈夫なはず」
「鉄砲、ね。確かにあれが脅威なのはわたくしも認めるところですが」
「いや、一番脅威なのは赤備だ。あれが出てきたら全力で退く。いいね」
「赤備……確かウェルズのところでやったという、あの?」
一応、皆には平知盛と山県昌景、望月千代女のことは話していた。もちろんスキルについては誤魔化したけど。
「今、どれくらいいるか分からないけど、少なくとも正面からぶつかったら勝てない。だからぶつかり合いは避ける」
「そんな弱腰で」
「いや、違うんだカタリア。勝っても意味はない、って言った方がいいか。正直に言うと、この戦い。負けはあっても勝ちはない。それだけ厳しい戦いなんだ。その籠城戦の中で、唯一の希望が僕たちだ。僕たちが外で動いているから、敵は思い切った攻城戦に移れない。そうしているうちに犠牲が多くなって撤退する。それ以外は全部負けなんだ。だから僕らは極力、長時間、兵数を減らさずに戦わないといけない。それは分かってほしい」
そう、この戦いは負けはあっても勝ちはない。よくて引き分けだ。
だからこそ、味方の犠牲を極力減らしていかなければ、加速的に負けへと運命が偏っていく。
そして1万の攻撃を一手に受けられるほど、国都の守りが硬いわけではない。だからこそ、僕らがキーになってくる。僕らが生きてこそ、負けない結果になりうるのだ。
そもそもが僕たちと敵本隊では10倍以上の兵力差。僕らが1人倒されるなら、相手も10人は倒さないと勘定が合わない。
それに僕らの部隊、新しく編成したということは烏合の衆なのだ。同じ国の同じ軍同士なのに、と思うかもしれないけど、他の隊でやっていれば部隊の動かし方も合図の仕方もまったく違う。意思疎通の面で細かいニュアンスを感じ取ってくれないこともある。
つまり細かい部隊運用ができないのだ。
それぞれ部隊の精鋭といってもいい人たちだから、簡単な合図は理解してくれたけど、それも集まれとか、分離しろ、反転しろとかそういった本当に初歩的なもの。分離した後に反転して敵を突っ切って挟撃した後に指定した位置まで駆ける、みたいな高度な戦術は取れない。
そう言った意味で、少し部隊を慣らす時間も欲しいのだ。
「分かりましたわ。極力ぶつかり合いは避けていきましょう」
カタリアが分かってくれたようでホッとした。
そういった大局観をもってくれないと、本当に僕らはここで死ぬ。全滅する。
ただ、僕はまだ彼女の負けん気の強さを理解していなかった。
「ただし、ここぞというところでは一気に行きますから」
そう言い切られるとなんとも言えなくなる。
確かにここぞという時には乾坤一擲の勝負が必要になるわけだけど……。そもそもそんな時が来るのかどうかは微妙だ。
まぁいいや。その時は気絶させてでもカタリアを連れ戻せば。
「分かった、それでいい。その時は僕も腹をくくる」
「よろしい」
そしてカタリアは部隊に振り向き、
「では、新生カタリア隊、行きますわよ!」