挿話34 平知盛(デュエン国軍師)
「で、逃げられちゃったわけ?」
千代女が呆れたようにつぶやく。
「仕方なかろう。あの異能。それほど強力なのだ」
“ざうす”と“とんかい”の軍を蹴散らして再起不能にし、あとは“いいす”にケリをつければすべてが終わる。そう思って北上したものの、その時にはすでに逃げ出した後だった。
しかも足止めを命じていた小太郎は、何が起きたのか、天高く舞い上がり遥か西へと飛んで行ってしまったのを見た。
あの巨大化した小太郎につぶされるでもなく、逆に撃退したというのだからそこにいるのは、あの“いりす”という少女だろう。そしてそれを裏付けるように、そこに残っていたのはわずか2名の女。
そこに向かって山県を突っ込ませた。
彼女自身、あの蘭陵王との一騎討ちで怪我を負っていたが、相手が“いりす”ということで気負っていたようだ。
だが山県は見事に撃退された。突如として起こった突風が、騎馬隊の足を乱して進めなくしたのだ。
この状況で突風が都合よく吹くわけがない。
そして風と聞いて思い出したのは、あの“いりす”と出会った戦場でのこと。巻き起こる風。それを乗り越えた先に彼女たちはいた。あの時の異能使い。
風が収まった時には、2人の女の姿は嘘のように消えていたという。
本来ならそのまま“いいす軍”を追撃といきたいところだったが、それは断念せざるを得なかった。
というのも、予想以上に“とんかい軍”が――というより、蘭陵王によって受けた損害が多かったのだ。
たった1と500。
それなのに死傷者が1千近いというのはどういうことか。
まぁその大半は死兵として使わせた“のする”の兵だから、こちらとしては大きく痛手を受けてはいないわけだが。
そう考えると、あの蘭陵王を討った山県の功績ははるかに大きいと言えよう。
それを考えれば、こうやって千代女の意地の悪い愚痴を聞くのも耐えられる。
「すぐに出る?」
「ああ。死傷者の対処が完了すれば、すぐ。今更急いだところで“いいす”の本隊には追いつけまい。それに山県のこともあるしな」
「私ならすぐに出れる」
千代女と話しているところに山県が姿を現した。馬には乗っておらず、左肩を包帯で巻いて吊っている状態で歩いてきたらしい。
「休んでなくていいのか」
「なに、かすり傷。すぐに出ても問題な――ぐぅ……」
山県の顔が苦痛に急にゆがんだ。
見れば千代女が横から山県の傷口の部分をつんつんしている。
「嘘じゃん。めっちゃ痛がってるし」
「直に触られればな!!」
まったく。緊張感のない。
それでもこのやり取りにも慣れた自分がいることに気づき、苦笑しないでもない。
それにしても山県昌景。この小さな体でよくもやるものだ。
その武力と闘争心。敵でなくてよかったと今更ながらに心から思う。
「まぁいい。山県がいるなら話は早い。千代女」
千代女に向き直って聞く。
「別動隊の方は?」
「本国から3千の増援で、“のする”の降兵と共に“いいす”の国都へ向かって進軍中。邪魔な遊撃隊は蹴散らして、明日には着くだろうって」
「アレはしっかり準備しているんだろうな?」
「見てきた」
「よし」
いよいよだ。
正々堂々ではないこの戦。心に引っかかるものがないとは言えない。
だが平家再興のため。ここで失敗は許されない。
「では、最後の総仕上げといこう」
この“いいす国”侵攻作戦。
これにて決着とする。
あの娘とも。すべて。