第204話 風神
斬った。感覚。いや、斬れていない。切断できていない。浅い。
それでも確かに肉を斬ったのは確かだ。
巨大な足首から気味が悪いほどに血液があふれ出ている。
「いっでぇぇぇ!!!!」
巨大な悲鳴。
「こんの野郎……人が優しく殺してやろうと思えばつけあがりやがって……ぶっ殺す!」
小太郎の顔から、声から余裕が消える。
化けの皮が剝がれてきたか。その方がありがたい。抵抗感がなくなる。こいつを斬る、抵抗感が。
まず足を斬る。そうすれば立っていられなくなる。そうやって下がった喉を斬る。巨大化しようが人体の弱点は同じ。だから――
「いりす、避けて!! 上から――」
途端、聞き覚えのない声がした。
上? 何が、と見上げたそこには、小太郎――じゃない。あの黒衣の少女、さらがいた。今のは彼女の声。けどその意味するところは……。
「っ!?」
彼女の顔の背後、つまり上空。そこから落ちてくる何かが見えた。
それは圧倒的加速度をもって、こちらに降り注ぐ。
木だ。小太郎がさっき投げた木。その数本がこちらに向かって落ちてくる。
回避、は間に合わない。このまま串刺しに――
「いりす!!」
衝撃。
そのまま地面を横に転がった。
次の瞬間、目の前を上空から落ちてきた木が着弾して爆発を起こす。あのまま走っていれば直撃していただろう物体。
それから助けてくれたのは――
「琴さん!!」
見れば琴さんが肩で息をして僕の上に倒れていた。
その目はまっすぐ僕を見ていて――
パンっ
頬を張られた。油断していたわけじゃないけど、完全に不意を突かれた。
「闇に呑まれるな、いりす。業魔に駆られた怒りの焔は胸に秘めよ」
何を言っているか、やっぱり分からない。けど、僕の頬に痛みをくれた手のひらからは、熱いほどに思いが伝わって来た。
その熱と、死に直面した事実が急速に頭を冷やす。
「ごめん、冷静になった。ありがとう、琴さん」
「ふっ。いりすに法神の加護よ、あれ」
琴さんが微笑んで頷いてくれた。
そうだ。確かにトルシュ兄さんやカタリアたちのことは心配だ。
けど、今僕がやるべきことは破れかぶれになって勝てるかどうかわからない勝負に乗り出すことじゃない。
皆の無事を祈りながらも、ここでしっかり時間を稼ぎつつ、そして隙を見て何としてでも逃げること。
「良かった……いい、いりす。私の力は重さ――あぁ! このクソがぁ! 何ネタ晴らしてんだ!! あとちょっとだっただろうが!!」
さら――いや、小太郎が空に叫ぶ。その急激な変わりようが、人間から隔絶した様子で君の悪さを感じてしまう。
けど、今のはなんだ? さらの人格。僕を助けようとしてくれたのか? 分からない。分からないけど、今すべきこと。それだけは間違いなくここにある。
それにしても今、さらは何を言おうとした。力が重さ? 力とは、やっぱりスキルのことか。それが重さ……そういうことか!
琴さんにビンタされて、さらに死に直面して冷静になった頭が、軍師スキルで高速回転する。
重さがスキル。何の意味だって話だけど、これまでの小太郎の動きを見ていればなんとなく分かった。
重さ、つまり自重。それを自在に操れるスキルだとすれば?
あの巨体にも関わらず、圧倒的な跳躍力を見せた小太郎。さらにこの突き刺さった木の幹は、ただ投げただけではこうはならない。つまり、小太郎の跳躍については自重を軽く、木の幹については質量を重く。それによって、俊敏性と破壊力を得ていたのだとすれば。
勝利への道しるべが見えてきた。
「琴さん、ちょっと耳を」
琴さんに耳打ちして策を授ける。もし、さらの言うことが嘘であれば、僕らは真正面から相手の罠にかかることになる。
けど、先ほどの小太郎の動揺は真実だろう。そして、もしそれが嘘であっても、この方法ならデメリットは少ない。十分にやる価値のある策だ。
「理解したよ。けど、本当に……いや、疑うまい。いりすにこの命を賭けよう」
琴さんも頷いてくれたから、作戦開始。
小太郎に向かって突っ込む。狙いは当然、足。
「ちらちらとウザいことを……知盛を待ってもいいが、この僕が踏みつぶしてやる!!」
小太郎が木を逆手に持って叩きつけようとして来る。
「琴さん!」
「承知!」
合図で同時に逆に跳んだ。僕が右、琴さんが左へ。
そしてそれぞれが小太郎の左右の足を狙う位置へと。
「小癪なことを……なら、2人同時に潰れちゃえよ!!」
小太郎が跳んだ。巨体に似合わないほどの跳躍。それはスキルによって自重を軽くしているということだと判断。
そして次に来るのは、逆に自重を重くしての落下。
だからそれが来る前に勝負!
「今だっ!!」
叫ぶ。それを待ってか待たずか、琴さんは大きく足を広げ踏ん張りを利かせると、
「舞え、月華乱舞疾風陣・風神!!」
薙刀を頭上、小太郎の方へと振り上げる。
そこから起きるのは突風。敵の騎馬隊を止めるほどの強風が、地面から空へと向かい巻き起こる。
普段ならそんな突風でも、巨体化した相手には一時的な足止めができるくらいだろう。
だが今は違う。
「うぉぉぉ!? しまっ、体が!」
小太郎の体が、人の何倍もある巨体が軽く舞い上がる。
スキルによって自重を軽くした結果、突風をもろに受けたその面積の大きい体は簡単に風に運ばれるのだ。
「ボクのいりすに手を出すなど、三千世界の果てまで消し飛ぶがいい」
「くっ、重さを……間に合わ――ぐあぁ!! てめぇ、いりす! 次会ったら、絶対ぶっ殺――うぉぉぉぉ!!」
物騒なことを叫びながら、小太郎の体は天高く舞い上がり……見えなくなった。
死なないよな。多分、重量操作があればなんとかなるだろう。
ともあれ、一番の脅威を排除で来た。それは安堵できることで、ひとまず僕らの安全が確保できたということ。
「琴さん、今のうちに――」
逃げよう。そう言おうとして、言葉が出ない。ふらつく。こんな時に。ダメだ。ここで倒れたら、もう二度と皆に会えなくなる。
「いりす、走るぞ」
琴さんに肩を抱かれた。
ダメだ。僕に構っていたら、デュエン軍に追いつかれる。それなら先に逃げてくれ。
けど口が動かない。声が出ない。
誰かを犠牲にしてまで生きようとは思わないのに。なんでここまで僕は人に迷惑をかけるのか。
そんなことを懺悔したいわけじゃないけど、もはや体は意思に反して動かず。
暗黒が僕を呼び、そして意識を失った。
切野蓮の残り寿命31日。
※軍神と軍師スキルの発動により、13日のマイナス。