第22話 包囲網
「南におよそ1千の敵が東西に展開。縦深は薄いものの、密かに抜け出すのは不可能でしょう」
「西は約500。2つに別れて遠巻きにしているため突破は困難です」
「東には400。数は少ないですが、機動力のある騎馬隊で構成されております。また、木々の密度が少ないためこちらの動きは筒抜けになるでしょう」
「北には1千がまとまっています。敵の本陣らしきものが見えました」
聞けば聞くほどに絶望的な状況だった。
平原に孤立した林。その四方を完全に包囲されている。
こちらは40人に対し、敵は100倍もの敵がいる。
ちょっとやりすぎってくらいの四面楚歌だ。
「さぁて、どうしようかなー」
タヒラ姉さんを中心に、地図を広げて部下20人が集まって軍議をしている。
それを大使館から脱出した人たちが少し離れた位置で静観している。
いや、どちらかというと絶望的すぎる状況に、思考能力を停止して茫然自失していると言った方が正しい。
僕はというと、同じく少し離れていた。
けど茫然自失していたわけじゃない。
自前の地図で必死に考え込んでいたのだ。
もちろん生きてこの場を脱出するため。
最初はタヒラ姉さんの元で一緒に考えようと思ったが、
『あ、イリリはそこで待っててね。あとはこっちでナイスな策を考えるからさ』
と言われ追い出されてしまった。
先ほどの作戦も、最後の詰めが甘かったし、戦いの素人をあてにはできないというのもあるけど。
どこかタヒラ姉さんの中には悲壮な覚悟がありそうで、それ以上は何も言えなかった。
だから1人作戦会議だ。
問題はどうやってこの包囲網を突破するか。
兵力差は100倍。しかも20人ばかりの非戦闘員を抱えたままで。
いやー、絶望しか見えない。
ゲームなら諦めて大人しく壊滅するのを選ぶだろう。
だって壊滅しても討ち死にさえしなければ自動で拠点に戻るし、捕虜になっても外交でなんとかなる。
だがこれは現実。
壊滅した時点で殺されるし、捕まった時点で殺されるし、捕まる前に殺される。
何がどうなろうと逃げきる以外は死しかない。
もうなんというか、ここまで死に直面されるといい加減慣れる。というか考えることも馬鹿らしくなる。
絶望のジェットコースターに振り回されてる感じだ。
かといって生を諦めたわけじゃない。
敗北や壊滅は命取り、完全勝利こそこの戦いの目的。
全員無事であることこそ……。
「ん?」
引っかかる。
全員無事?
本当にそうか?
考える。
ここでの勝利条件と敗北条件とは何か。
勝利条件は全員の生還、無事に国境を超えることだ。
そして敗北条件は全員(特に自分)の死亡。捕虜になることも同義だ。
そこに間違いはない。
――本当に?
待て。何か見落としがある気がする。
そもそも振り返れば、この戦いはなぜ起きた?
ザウス国がイース国侵攻のため、大使館を襲ったのが事の始まり。
そこから逃げ出した僕たちはなんとしてでも生き延びて、イース本国にことと次第を――
「あっ!」
思わず声をあげてしまった。
視線を感じたけど、今はより考えに没頭する。
そうだ。違うんだ。
さっき考えた勝利条件と敗北条件は全く違う。
けど、それは逆にとてつもない犠牲を払う。
この戦いの勝利条件は、全員の生還じゃない。
誰かが生きて“ザウス国侵攻の情報を本国に届けること”だ。
それができれば、ザウス国の奇襲は無に帰してイース国が滅亡するのを防ぐことができる。
それが最低限の、大前提の勝利条件。
だからつまり逆に言えば、“僕ら”が助かれば問題ない。
そしてその“僕ら”の中にタヒラ姉さんら援軍の数は入らない。
国民を守るのが軍の仕事というのであれば、タヒラ姉さんらが全滅しても“僕ら”が生き残れば勝ちだ。
――いやいや、そうでもない。
究極の話、僕らは全滅してもいい。
ただ1人。
たった1人。
ここで見聞きしたことを携えて本国に戻れれば勝ちなのだ。
僕だろうと、侍従長だろうと、セイラだろうと、ウォーリだろうと、トウヨやカミュでもいい。
そして――タヒラ姉さんでもいい。
いや、それが一番確率が高い戦術。
聞けば『キズバールの英雄』とかいう大層な二つ名を持っているほど強いらしい。
だから彼女1人であれば、たとえ4千人規模での包囲網でも突破は可能。
だから彼女1人生き延びれば、勝利条件は達成できる。
その代わり、ここにいる残りは全滅するわけだけれども。
全滅。
すなわち死。
再びこの文字が頭に浮かんでくる。
今度こそ、はっきりとした現実感を持って。
もし、タヒラ姉さんがこのことに気づけば。
軍人にとって守ることも大事だけど、任務を遂行することも大事なはず。
そうなった時に彼女が取る方策は――
「…………まさか、な」
彼女の態度。
どうやら彼女は僕――もといイリスという妹を溺愛しているらしい。
そんな彼女が僕を見殺しにするわけがないとは思う。
けど他のみんなは?
彼女がやろうと思えば、1人と言わず部下20人と共に脱出するのは可能だろう。
そこに、僕1人を抱えたところでやれそうな気がする。
けど、けどだ。
そうなった時、ここにいる人たちは。
侍従長は、マーラは、セイラは、ウォーリや他の人は。トウヨとカミュは。
助からない。
究極のコストカット。
大を生かすために小を殺す典型。
これまで経験してきた僕にはわかる。
それが最善で、最良で、犠牲が――損失が少ない方法だと。
けど、それは圧倒的強者の、上の立場から判断したこと。
それを受ける側に僕が立ったのは一度も――いや、最後の最後の、あの解雇通知を受け取った時だけ。
あれもまた、大を生かすために小を殺した結果だ。
あんな想いはもうごめんだ。
そしてそれを、強要するのも。
被害者になって分かる、加害者の気持ち。
死なせたくない。自分自身も、タヒラ姉さんとその部下たちも、大使館の人たちも、何より――自分を姉と慕ってやまない幼い兄妹を。
だから考えろ。
必死に。
何がなんでもこの場を切り抜ける方策を。
40人全員が生還できる方法を!
それからどれだけ時間が経ったか。
不思議と辺りはまだ静寂に包まれている。
静寂?
そういえば何でだ? あれだけの兵力差があるんだ。四方から一気に押し包んで来ればいい。
なのにそれをしない理由はなんだ?
『せっかくの楽しい“狩り”を邪魔して』
その言葉。先ほど倒した相手が漏らした言葉だ。
そうか、これは“狩り”なのか。
圧倒的な実力差を持った強者が行う“狩り”。
だとすれば、これは――
「……よし」
少し時間が経って、方針は決まった。方策は定まった。
あと、懸念材料は……。
だから僕は立ち上がり、まだあーでもないこーでもないと議論を続けるタヒラ姉さんらの輪に近づき、聞く。
「タヒラ姉さん」
「もぅ、“ねぇねぇ”って呼んでって言ってるでしょ。というか今大事な話をしてるから後に――」
「こっちも大事な話なんだ、ねぇねぇ」
「あっ、もうっイリリったら。そんな本当に呼んでくれるなんて。いいわ、ちょっとだけ聞いてあげる」
「ねぇねぇは」
「ん?」
「ねぇねぇは僕たちを見捨てて国境へ戻る?」
「どうして、それを……?」
その反応を見て、僕は彼女があるいは、と考えていたことを悟る。
「答えてほしいんだ。それが一番、ここでの“勝利条件”に近いやり方だから」
真剣なまなざしを向ける。
当然だ。この答えによっては、僕らの命の行先が決まる。
だからタヒラ姉さんが、ふっと静かに笑い、
「そうね……それが一番確実な方法。だから――」
そう言った時には、やはり、としか思わなかった。
だが――
「なめるんじゃないわよ、このタヒラ様を!」
衝撃。
ぶたれた、チョップで、頭を。軽く。
え? なに? なんでぶたれた!?
混乱する頭に、さらに目を怒らせて憤まんやるかたない表情で叫ぶ。
「いくらイリリでも、姉さん怒るからね!」
「え、じゃあ……」
「当たり前でしょ! あいつら全員ぶっとばして、ここにいる全員。欠員なく国に帰るわ!」
その宣言に、みんなが振り返る。
きっと敵にも聞かれただろう大声。
それがなんとも心地よかった。
頭の痛みなんてどうでもいいほどに。
「よかった。それならきっとできる。一か八かだけど、危険な賭けだけど、賭けるに値する策を実行できる」
「イリリ?」
「その前に1つ聞いていいかな。キズバールの英雄ってなに?」