第201話 進撃の小太郎
「でかすぎだろ……」
誰かがつぶやく。
その言葉通り、小太郎の体格は人知を越えた高さ。ビルの3階に相当する身長の人間など、巨人族でなければ幻覚を疑った方がいいレベルのもの。
だがそれを可能にするのがスキル。
その日、これまで数か月付き合ってきた中で、初めて彼のスキルを目の当たりにしたのだ。
「さぁ、いりす殿ぉぉ。覚悟してくださいっすよぉぉ」
頭上から小太郎の声が響く。
そんなありえない状況に、さすがの僕も混乱していたのだろう。適切な対処を取るのを忘れた。
そして信じられないことが起こった。
10メートル近い小太郎の体が消えた。いや、上。その巨体にも関わらず――違う、巨体ゆえか、はるか上空にその姿がある。
跳ん――
「逃げろ!!」
咄嗟に叫ぶも、まだ現実を理解できていない兵たちに動きはない。
小太郎の体は跳躍した。その後に起きる事象は、たとえ巨大化しても異世界であっても重力がある以上は変わらない。落下だ。
しかもあの質量に高さ。明らかにヤバい。
自分は身をひるがえし、予測される位置から必死に離れる。
そして爆発が起こり、悲鳴が起きた。
土ぼこりが突風に巻き上げられ、それを腕で塞ぐ。それでも容赦なく砂利が頬を打つ。それこそ生きている証。
土ぼこりが収まってくる。そこには巨大な小太郎が立ち尽くしているのが見えた。
少し小さくなった。いや、そうじゃない。足首から先がない。陥没している。両足が数十センチ地面にめり込んでおり、そしてそのくぼんだ地面の境から、何やら細いものが飛び出しており、それはどうやら金属製のプレートで覆われているようで――
「あー、あー、ダメじゃんか、いりす殿。避けるなんて卑怯ですよ。っと、これ、ちょっと気持ち悪いな」
小太郎が足の裏を引き抜いて、何かで濡れたその足裏を地面でこする。
彼が踏み抜いた陥没した位置。そこに最前まで何がいたか――誰がいたかなんて考えたくもない。
「ば、化け物だぁぁぁ!!」
瞬間的に、周囲が恐慌に襲われた。これまでトンカイ・ザウス軍との厳しい戦いに明け暮れながらも、泣き言1つ言わずに耐えてきた兵たちが。こうも簡単に崩れ去るなんて。
「化け物、ねぇ。そういうこと言われると傷つくんだけど。ちょっと撫で斬り(皆殺し)したい気分かも」
そう言って小太郎は近くにあった10メートル近い大木の幹に手を伸ばすと、それを軽々と引き抜き、
「というわけでこれからは道具でやりますからね。さぁ、逃げろ逃げろ、あはははは!!」
高笑いしながら大木を軽々と振り回す小太郎。
そこには今までの陽気な大学にいそうな兄ちゃんの様子はなく、乱世を生きる酷薄な男の姿がそこにはあった。
同時、走り出していた。
赤煌を構え、そして小太郎の足――弁慶の泣き所をしたたかに打った。
だが返って来たのは、数メートルの厚みがある鉄板を叩いたかのような激しい反発。
「無駄だよ、いりす殿。君の棒きれじゃあ、自分の体には傷つけられないっすよ。いくら硬かろうが、強かろうが無駄無駄」
小太郎は今の打撃もまったく意に介していない様子で、こちらを憐れむように見下してくる。
言う通りかもしれない。
けど。それでも。だとしても
「お前の横暴を許せるわけにはいかないんだ」
「あー、それ傷つく。これまで仲良くやってきたじゃんか、いりす殿」
「元から裏切るつもりだった!!」
最初に出会ってから。今に至るまで。
あのパリピ太守にいいように乱暴されたのも、僕と主従の契約を結んだ時も、ウェルズへの旅程のことも、死にそうになった僕を心配してくれたことも、僕の家に住み込みに来てくれた時も、何もかも。嘘だった。
正直。彼の正体を知った時の気持ち。それは喜びだった。
風魔小太郎という有名人に会えたからじゃない。この知り合いも誰もいない完全に迷い子となっていた僕にとって、時代は違えど同じ世界、同じ国に生まれた人がいてくれて、どこかホッとしていたところがある。
それから琴さんにも出会ったけど、小太郎が最初だった。
それなのに。
この結末はないだろ。
「いやいや裏切るつもりはなかったっすよ。だって、元から仲間になっていなかったんすから」
「戯言を!!」
「あいにく戯言は嫌いでしてねっ!」
小太郎が大木を木の棒のように振り回し逆手に持ち、木の先をこちらに向けて突き出してきた。
一瞬の迷い。いや、行く。迷ったら死ぬ。それだけ。
地面を蹴った。
次の瞬間、足元を死の大木が通り過ぎて地面を貫く。その上に乗った。
小太郎が持つ大木。これは小太郎までの一本道だ。一気に駆け上がる。
「あっ? ヤバ」
慌てて手を引っ込めようとする小太郎。遅い。その前に彼の右手を蹴り、そのまま彼の顔面に出る。
足は確かに硬かった。それが巨大化の副産物かは分からない。けど、性質上強化できないところはあるはずだ。例えば眼球。例えば口内。そして――顎。
どれだけ強靭な肉体でも、神経まで強化されることはないはずだ。顎を揺らせば、神経を通って脳が揺れる。そうすれば立っていられない。どれだけ巨大化しても、そこは人間である以上、弱点なのだ。
だか――
「なーんてね」
ら――
ニカっと小太郎がいたずら小僧のように笑みを見せた。左手が来る。赤煌。振った。同時、指が来た。一抱えもありそうな巨大な指。それが神速をもって、指を弾いた勢いで飛んでくる。
違う。これは、デコピンだ。まるで蠅でも追い払うかのように、僕を襲う。
咄嗟に攻撃に使っていた赤煌を防御に回した。
だがそれでも抑えきれない。
みしっ
何かが鳴った。見れば赤煌が半ばのところで悲鳴を上げている。一点の亀裂。あれは。蘭陵王。彼との戦いで、謎の枝に貫かれた場所。それが衝撃を拡散していき、それに耐えきれなくなった赤煌は――
「ぐっ……はっ!!」
赤煌が砕けた。そして丸太のようなデコピンが僕の腹部を直撃した。
ブラックアウトした。風圧を感じる。右肩が何かに当たった。悲鳴。誰かに当たったのか。それから硬いものに当たった。地面か。受け身を取ろうにも体が動かない。上も下も分からず転がり続ける。
長い時間を転がった末に、ようやく運動力がなくなって停止。
衝撃と痛みと回転による三半規管の混乱で意識が混濁している。
その中でも生存本能が叫ぶ。
起きろ。立て。目を開けろ。
さもないと死ぬ。殺される。
僕だけが殺されるならまだいい。そうしないと皆が死ぬ。それだけは……それだけは……。
「はっ!!」
目が開いた。
呼吸が荒い。それでも体を横にしてなんとか上体を起こそうとする。
「ぐっ……」
胸が痛い。折れたか。分からない。吐き気はしない。吐血もない。内臓がやられていないのはなんとなく安心した。
けど、
「赤煌が」
砕けていた。人を殺すのが嫌だから、それでも戦場に立たなければならなくなったから。タヒラ姉さんの紹介で鍛冶屋に特注で作ってもらったもの。
「壊れちゃった……か」
それがタヒラ姉さんとの、いや、グーシィンとの家族との絆を表しているようで、どことなく気持ちが沈む。
「あはははっ、よく飛んだねぇ! けど、もうおしまいかな。さようなら、小さな軍神さん」
小太郎だ。
この男。許せない。そう思いたい気持ちがどうも沸かない。
騙されたのに。裏切られたのに。兵を殺されたのに。こうして赤煌を壊されたのに。
いや、分かってる。
たった数か月だったけど、彼とは友達のように過ごしてきた日々が、いまだに彼が敵であることを拒んでいるようで。
それにあの“さら”と呼ばれた彼女。
最初は恐るべき暗殺者だった彼女。だが次に会った時に彼女は警告してくれた。こうして小太郎が裏切って初めて分かった。なのに僕は彼女の言葉を聞かず、それでも彼女は再三にわたって警告してくれた。
彼女はいったい何だったのだろう。
先ほど小太郎と入れ替わりのように消えてしまった彼女。
「じゃあ、自分らのために……死んでよ」
あぁ、そんなことを考えている場合じゃないのに。
苦痛と諦めが、思考と判断力を奪っていた。
小太郎がそれだけで人の頭部の何倍もある拳を振り上げる。
その目標は間違いなく僕。
あんなものが直撃したら、僕という人間がこの世から跡形もなくにじり潰されてしまうだろうもの。なのにどうも実感がない。これほど異常な死を認めろだなんて、この死にあふれた世界に適応を初めていた僕でさえも、土台無理な話なのかもしれない。
だからその拳が振り下ろされ――
「イリス!!」
衝撃。
何が、と思うまでもない。
あの拳を受ければそれこそぺたんこになってしまうのだから、痛みも何もないはず。
なのにそれがしたのは、衝撃が上からではなく横からで、それによって僕は地面に投げ出され、そして地面を粉砕する小太郎の拳は、ワンテンポ遅れて、さらに自分がいた場所から少し位置をずらして着弾した。
何が。
思って開いた目に飛び込んできたのは、決死の形相で僕を抱え込むようにしていたトルシュ兄さんだった。
「イリス、逃げろ!」
「兄……さん」
訳が分からなかった。これまで、あれだけさんざん毛嫌いしてきたのに。少し間は詰まった気がしたけど。まだろくに話してもいないのに。それなのに。なぜ。
「なにがあっても家族は守る。それがグーシィン家の掟だ!」
怒鳴られた。あの物静かに見えたトルシュ兄さんが、怒りを露わに――いや、怒っているわけじゃない。ただ必死なだけだ。必死に、思いを露わに生きているだけだ。
そしてそれは、今の僕にとってとても好ましく、そして何より欲しているものだったのかもしれない。
「でも……」
悪いけどトルシュ兄さんで、あの小太郎に太刀打ちできるとは思えない。そうなれば2人とも死ぬことになる。残された父さん、兄さん、姉さんの悲しみは計り知れないだろう。
「大丈夫だ。彼女も手伝ってくれる」
「彼女?」
思った瞬間、風が舞った。
「ちっ、そういえば異能使いはまだいたっけか」
小太郎が舌打ちする。
その視線の先。僕らを遮るように、1人の異装の女性がそこにいた。
「やれやれ。君とは良き友であったと思ったが。ボクの大事な人に手を出すのを、看過するわけにはいかない。というわけで助太刀申し出る。裏切り者を涅槃へと送り込む羅刹とボクはなろう」
「琴さん!」
混沌とする戦場の中、彼女の凛とした立ち姿が、なんとも頼もしく思えた。