挿話31 山県昌景(デュエン国軍先鋒)
敵はもろかった。
それも当然。交戦中の敵の横から突けばだいたいそうなる。
相手としても、我々が敵に回るとは考えていたかもしれないが、それでもこんなところにいるとは考えていなかったはずだ。
もちろん、彼らも斥候は出していただろうが、そこは千代女と風魔ら忍がすべて殺した。彼女らの異能を考えれば、たかが数名の斥候を気づかれずに皆殺しにすることくらいは簡単だっただろう。
だから完全に出し抜いた。そう分かった時。少し胸に何か虚しい風が吹くのを感じた。
けどそれはただの感傷。
武士に生まれた以上、勝たねば意味がない。
もちろん正面から正々堂々と打ち勝つことに喜びを得ないわけではないが、それは結果的な話であり、そもそも戦闘となった時点で勝っているべきなのだ。
孫子を極めたお屋形様(武田信玄)は、実際の戦闘の前を大事にしており、戦闘は最後の答え合わせのようなものだと言っていた。だからこそ常勝武田軍が生まれたわけで、その一隊を率いていた自分はお屋形様の一番弟子だとも自負している。
今回の知盛の策はまさにそれだ。戦う前に全てを決定する、お屋形様のような手腕に、さすがは平家の総大将だと認識を新たにした。
それほど驚いたのは、軍記物に見る平知盛という人物像が、落陽の平家をひたむきに支え、最期は自ら命を断ったという、源義経のよい好敵手として描かれていたからだろう。
そんな人物が、こんな姦計を巡らすとは少し意外だった。
もちろん悩みはしたのだろう。“とんかい国”と同盟を組む少し前。太守に呼び出されたと思ったら、数日間、部屋にこもって出てこなかったことがある。
ようやく姿を現した知盛は、頬が削げ、骸骨のようにやせ細り、生気のない瞳を狂気に輝かせていたのを覚えている。
そして彼が言ったのが、
『“とんかい国”と停戦を結び、壊滅的な打撃を与える』
おそらくその時に深く悩んだはずだ。卑怯と呼ばれ、卑劣と罵られ、悪辣と後ろ指をさされる。そんな未来を彼が考えないわけがない。
それでも実行に移した。
それは太守からの絶対順守の命令だったからというのもあるが、彼にとっても平家の再興という夢を追うためには必要だと考えたからだろう。
この大陸に存在する8つの大国。それが争い100年以上続く乱世を作り上げたのだ。
乱世が続いた、ということは抜きんでた1つがなく、だらだらと戦を続けたということ。それは民にとっての不幸だ。戦場へ徴兵されれば死と隣り合わせ。そうでなくとも略奪、放火、強盗と安心する暇もない。
私が生きた時代も、応仁の騒乱から長い乱世が続いた。
だからこそ、甲斐源氏に連なるお屋形様が、京を制圧し全国を統一するという夢を見たのだ。お屋形様は何よりも天下を、民を案じていた。
申し上げにくいが、お屋形様の御父上のような方が支配すれば、民は困窮し疲れ数を減らしていく。その悲劇を繰り返さないよう、お屋形様は善政を敷き、それを他国へと広めるために各地を支配していった。
あのまま、お屋形様の寿命が持てば、あるいは天下泰平の世を作り上げていた。そう思えてならない。
知盛はこうも言っていた。
『民は支配することを望む。民は政治には関心がないし、誰が支配者だろうと、明日の食事さえまともに食べられれば誰も文句を言わずに生きている。それを私は父から学んだ。我々平家のことを悪く言うものもいる。だがそれは、権力という魔物に取り込まれた愚か者のたわごとだ。我々は民を、そして国を豊かにするために日々精進している。それが平家なのだ。責任と覚悟があるのだ。この世界、残念ながら太守様にはその覇気がない。そして他国にもそれを実行する傑物はいない。ならば私がやるしかない。卑怯と罵られようが、愚かと断罪されようが。それが民のため、この世界のためになるというのであれば。私は汚名をかぶることを否やとしない』
今回の件は、全て知盛が背負うという。
その覚悟に、私は、千代女は、何も言えなくなった。
唯一、風魔小太郎だけがにやにやしていたけど、かの者が担った調略の功績を鑑みれば自分が手を出すわけにはいかなかった。
その知盛の覚悟。私の夢。風魔への怒り。
それらを胸にしまいながらも、私は軍の先頭で馬を駆る。
「殺せ! 1人残せば、明日は同胞が1人殺されるぞ! それは自身かもしれない! その恐怖を振り払うために殺せ!」
我ながら物騒な物言いだとは思う。けどそれが事実で、それによって兵たちの士気があがるのだから取り扱う。
同時、それは自分にも言えること。
だからこそ、最初から全開で行く。
「風林火山。炎災如火・迦楼羅!」
刀が炎をまとう。それを大きく振ると炎が蛇の舌のように地面を這い、そして一気に燃え上がった。
悲鳴が起き、炎に包まれて一瞬で消える。人間だったものは黒い何かに代わり、そしてそれは糸が切れたように次々と倒れゆく。
この異能。恐ろしいと思うことはもうなくなった。異能がなくても、刀で斬れば人は死ぬ。焼け死ぬか斬られ死ぬかだけの違いにそう差異はないだろう。
ただこちらの炎の方が複数人をまとめて殺戮できるために効率がいい。それだけ。だからこちらを使う。
いや、1つだけ嫌なことはあった。人の焼ける臭い。鼻につくと嫌悪感と吐き気がこみあげてくる。それはやはり、人というものは生きたまま焼いてはいけないということの暗示なのだろうか。
けど、それで手加減をして剣を収めることはしない。
これが戦。殺さなければ殺される。その真理に、手加減は己の死期を早めるだけだと知っているから。
何より、あの知盛が覚悟を示しているのに、この私がそんな弱音を吐いていられないという事実。
だから――
「火の如く……蹂躙する!!」
次々と悲鳴があがり、途絶え、そしてこの世から消えていく。
それらを乗り越え、踏みつぶし、さらなる死を量産する。
いける。このまま半分は削り取れる。そうなれば“とんかい軍”は再起不能だ。もちろん、まだ本国には数万の兵がいるだろうが、この左右に長い国を維持する以上、ここで5千以上の死傷者が出れば大いにその支配が揺らぐだろう。
そうなれば我が国が大きく天下へ有利になる。
そうなれば私の夢も――
「調子に乗るな……!!」
声。前。炎の中から飛び出てきた。白馬。そしてそれに乗る黒衣の鎧武者。
「……っ!!」
一瞬、声を失った。
鎧武者は何か仮面をかぶっていた。刹那の間では判断はできないが、それを見た瞬間に、何か自分の中にある時が止められたようなそんな感覚。あるいは恐怖だったのかもしれない。
殺気。咄嗟に首で避ける。頬をかすった、途端にえぐられるような痛み。
「このっ!!」
反撃に刀を振った。だがそれは手にした枝のようなもので打ち払われ、それこそ自分の刀が枝で出来ていたかのように半ばから折れた。
そのいとも簡単に折れた刀に驚愕しつつも、敵への殺意は瞬間で沸騰した。だから炎が出る。
「しっ!!」
折れた刀を振った。届かない。だが折れた部分から炎が刀となって吹き出す。炎が相手の兜を舐める。
「ちっ!」
距離を取られた。同時に見た。鎧武者の格好。西洋風の甲冑に身を包みつつも、その顔にあるのはどこか唐物を思わせる鬼のような仮面だ。
そうか。この男が――
「蘭陵王だな。ここでその命、置いて行ってもらおう」
知盛はこうも言っていた。
出てきた“とんかい軍”の将。そのうちの誰かを討てれば上々。最高は関羽、次点で張良。そしてこの男、蘭陵王。
その討つべき男が、目の前にいる。
対するかつての北斉の英雄は、ゆっくりと首をこちらに傾けこう言った。
「我が命、安くはないぞ」