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第199話 裏切りのスパイス

 ふぅぅぅぅぅ。

 蘭陵王の相手は本当にぎりぎり、命がけだ。ドッと疲れて落馬しそうになった。


 はせ違った直後は、冷や汗が出た。


 右に蘭陵王、前に歩兵、そして左にトンカイ軍本隊が待ち構えていたのだ。

 どこに行こうと敵の中に飛び込むことになる。


 咄嗟の判断で右、蘭陵王に再び向かっていった。

 すると敵は部隊を割った。それでこの戦いは絶望的なものになった。


 敵は僕らに打撃を与えにきたわけじゃない。1人1人を殺しに来たのだ。


 その直感は恐怖となって体中を駆け巡る。

 あの蘭陵王が、北斉の英雄が、僕を全身全霊で殺しに来るというのだから、常人ならそれだけで思考放棄しそうだ。

 僕も常人。ただ軍神と軍師のスキルがあることで、なんとかまだ希望を失わずにいたわけで。だからこそ、最後の最後まで諦めないよう生存の道を探していると。


「こっち!」


 声がした。女の声。

 そして次の瞬間に、僕と蘭陵王の間に煙幕が壁を作った。


 声のした方。そこには小柄な人影が見えた。

 誰かは分からない。けど、助け船を出してくれたのは確か。だからこそそちらに急速の方向転換を行った。

 あのまま蘭陵王の軍に突っ込めば十中八九全滅。それよりは罠かもしれないけど、1人を相手にした方が楽。そう思ったからだ。


 煙幕の効果は一瞬。すぐに蘭陵王が突っ切ったわけだけど、僕らはなんとか虎口を脱したようで、敵は歩兵と合流して部隊を整え始めた。


 そのことにホッとしつつ、僕の横を走ってついてくる人物――その人物が煙幕を撃ち込んだと確信している――を見るや緊張が再び全身を駆け巡る。


「お前は……」


 真っ黒に染められた装束に身を包んだ、黒髪ショートカットの女性。マントで口元を隠しているため、目元しか見えないが、その目は、激しくも涼しい剃刀のような切れ味を持った瞳を僕は知っている。


 3度――直接顔を合わせたのは2度、会ったことがあるその瞳を持つ女性は、そのすべてが僕の命を狙ってきたもの。

 1回目は前のザウス・トンカイ連合軍の侵攻に対し斥候をしたときに、岩場で襲ってきた。

 2回目は自宅。夜に玄関前で黄昏ていた際に背後を取られた。

 3回目は自室。寝ようとしていたところに気配を殺して現れた。


 そのどれも僕を殺そうとしつつも、なんだかんだでそれを果たせないでいた。

 その人物がここにいる。助けてくれた、とも思うけど、罠という可能性もある。


 ショートカットの女性は、僕の視線をまっすぐと受け止め、傲然と言い放つ。


「私は敵じゃない。信じて」


 誰がそんなことを。

 そう反論する前に、彼女はとんでもないことを言いだした。


「今すぐ逃げて」


「え?」


 まさか暗殺者にそんなことを言われるとは思わず、思考が止まる。


「早く。敵が来る。この場にいる者をすべて破壊する、そんな連中が」


「待ってくれ。なんだお前は。僕を殺そうとしたと思ったら、助けるだけじゃなく、逃げろだなんて」


「さら」


「え?」


「私の名前は、さら」


「いや、聞きたいのは名前じゃなくて」


「私は、奴隷。風魔の、風魔小太郎の奴隷」


「――っ!」


 まさか!? なんだ? 奴隷? しかも風魔って、あの小太郎!?


『フウマコタローヲシンジルナ』


 彼女が2回目の接触の時に放った言葉が思い出される。


 結局、それがなんだというんだ。これまで小太郎は色々と手伝ってくれた。助けてもくれた。それを信じるなだなんて。

 刃を向けてきた人間が言うことを信じるだろうか。


 けど、引っかかる。

 それは確実。


「イリス!!」


 カタリアの声だ。

 見ればカタリアが部隊を率いてこちらに向かって来るところだった。

 あれ、姉さんは?


 そう思ったのもつかの間。カタリアの視線が後ろに。そこには馬にぐったりと体を預けたタヒラ姉さんを、ユーンとサンが支えていた。


「姉さん!」


「安心しなさい。無事よ。けど、これ以上は……」


 カタリアが言葉を詰まらせる。

 本当にぎりぎりのところというわけだ。医療衛生が悪いこの時代では命にかかわるのかもしれない。


 だがタヒラ姉さんは、ぐぐっと顔をあげると、


「イリス……早く、陣を下げて」


「姉さん! 喋らないで!」


「早く。何か、来る……だから……」


 何か来る?

 一体何が? 分からない。この姉さんの超人的な勘にはついていけないことがある。


「彼女の言う通りよ。早く逃げて。さもないと奴らが来る」


 さらが思い出したように僕らに叫ぶ。


「来るって、誰が」


平知盛たいらのとももり


「へ?」


 何でその名前が出る?

 あいつらは、ウェルズにやられて逃げ去ったんじゃないのか?

 なのに来る? 彼が? デュエンが? ここに? なぜ? どうやって? 何をしに?


 分からない。

 だって何もかもが違う。デュエン軍の動向が。何もかも。

 まるで、最初から嘘であったかのように――


「まさか」


 閃いたのは信じたくないこと。

 けど、あの世界的名探偵が述べたように、不可能なことを消去していき、あり得なくても残ったものが真実だとするならば。


 その答えは、僕を絶望に叩き落すには十分すぎるものだった。


「そう、あいつは嘘。あなたたちを、裏切っていた。だから撤退――うぉ、う、う……うがががぁがぁぁぁぁぁl!!」


 突如、女性は白目をむいて空に向かって咆哮。いや、絶叫。


 そのあまりに急すぎる豹変に、思わず思考が止まる。

 その間に少女は、首だけでこちらを向くと、その見開かれた目で僕を射抜く。人形のような生気のない瞳に射すくめられ、一瞬呼吸を忘れた。

 対して少女は口を弓に開くと、


「あっ……あぁぁぁぁぁぁぁあははははははははーー!」


 壊れたスピーカーのように、狂った笑声を吐き出す。


 その声色が変わった。

 いや声色だけじゃない。

 少女がふらりと倒れながらくるりと回転した。マントのように羽織っていたボロ布で一瞬、自身を完全に覆い身を隠す。


 そして次の瞬間。そこから現れたのは少女ではない。

 身長も体格も髪の色も年齢も――性別すらも、変わっていた。


「ったく、本当に困りもんすよねぇ。勝手に動いてさぁ」


 現れたのは、小汚い恰好をしたぼさぼさ頭の男。白い肌に死んだ魚のような無気力な瞳、だるんと肩を垂らした猫背のそれは、そこら辺をぶらつく大学生の兄ちゃんに見える。


 その男を僕は知っている。知っているが、なぜ?


「小太郎……?」


「はい、どうも。みんなの小太郎でっす」


 口を開いたまま、だらんと垂れた目のあたりに右手をやって敬礼する小太郎。

 いつもよりテンションが高いように思えるけど。いや、それより今の子はどこに?


 あるいは――これが風魔小太郎というイレギュラーのスキルだとしたら。


 僕らは、いや、僕は。ずっと、騙されていたというのか。


 喚声が聞こえた。


 見れば、戦場の西。そこにある小さな山からゴマ粒のような黒い点――人間だ――がわらわらと駆け下りていく。

 その先にあるのは僕らと対峙していたトンカイ軍。

 山から駆け下りた兵たちは、何が起こったか分からず茫然としているトンカイ軍のわき腹に一気に食い込んだ。そのままぐいぐい押す。


 遠目にも見えた、その先頭は真っ赤な具足に身を包んだ騎馬隊。

 その人物を僕は知っている。だが彼、じゃない、彼女はここにはいてはいけない人物。そして、戦う相手が違う。


「なんで……トンカイ軍を?」


「いやいや、それが我々の目的ですから」


「我々?」


 小太郎に視線を戻す。

 その反応に満足したのか、小太郎は小さくうなずくと、


「あー、なんつーか。皆さまには申し訳ないんですが、改めて自己紹介させていただきます。相模に盤踞する風魔一族が頭領。姓は風魔、名は小太郎。この世界では“でゆえん国”にて忍頭しのびかしらを務めさせていただいております。今後ともよろしく」


 大仰にそう言い放つ小太郎。だがそこには僕の知らない毒気と、顔面に張り付けられた能面のような狂気を秘めてある。

 まだ脳の整理が追い付いていない僕をしり目に、小太郎は口だけを弓のように曲げて見せて、


「というわけで、いりす殿。降伏しません?」

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