第198話 プランB
鉄砲の一斉射は上手くいった。
敵の本隊は準備が整う前に大打撃を受けて、一時的に麻痺している。
ここで誤算だったのは、敵の右翼の対応が早かったことだ。
そこで遠目に見て納得した。蘭陵王がいる。あの黒衣の姿が先頭で突っ込んでくるのを見て知った。騎兵500、歩兵500の1千ほどだ。
こちらは兵数5千とはいえ、トルシュ兄さんが連れてきた3千はそこまで士気が高いわけでもなく、軍の質としても個々人の質としても弱い。
だからそこが崩されれば、兵数では圧倒的に勝っていても潰走なんてこともありえる。
何より今ここには鉄砲隊400がいる。
この時代、まだ新兵器の部類の鉄炮は限りなく高価。さらに現代と異なりロックを解除して引き金を引けば弾が出るようなオートマティックなものではない。
弾を込めて火をつけて発射する火縄銃なのだ。つまりいくら鉄砲が弓より習熟が早いとはいえ、それを教える人がいなければまた一からやりなおしなのだ。
そんな意味で、弓と同様、鉄砲の熟練者もそうそう簡単に育成できない。
その鉄砲400と鉄砲隊400の超高価な部隊を守らなければならない。
他はどうかは知らないけど、イース国の鉄砲隊はほぼ専業になっている。というのも、鉄砲を扱える人数がもともと少なく、かつ鉄砲よりも個々の武威を重んずる中世的発想の人が多いため、鉄砲に精通できる人間がかなり少なかったのだ。
だから兵というより技術者や志願してきた民衆から、選びぬいた人たちを鉄砲隊として育成した。しかも短時間で。
つまり、もともと武芸なんて習ったこともないような、素人に毛が生えたような兵なのだ。
さらに鉄砲という荷物以外にも、弾やメンテナンス用のキットやら替えの部品とかを持つために移動力も皆無。そんな彼らをなんとしても生き延びさせなければならない。
だから、そのための対応もしっかり練ってある。
「カタリア、プランBの2で頼む!」
「分かってますわ!」
プランB。
鉄砲の一斉射により、敵の本隊は麻痺したものの、左右の翼どちらかが別動隊としてこちらに打ちかかって来た時の対処方法。
中央の本隊と襲い掛かる別動隊――それらとは別の、おそらく一塊になっているだろうザウス軍に一直線に突撃する。
カタリアの声が若干こわばっているのが分かる。
それはそうだろう。これからやることは、一歩間違えれば自殺行為。まともな神経じゃやってられない。
本来なら僕が先頭で行くつもりだった。
けど別動隊が、あの蘭陵王に率いられているというのなら。プランBの前に全滅しかねない。
だからプランBの2。
殿軍で僕が相手を引き付け、カタリアには先頭で突っ込んでもらう。
カタリアを死地に差し向ける気の迷いがあったが、今この場はどこも死地なのだ。生き残るのであれば、彼女の武威と運に期待するしかない。
「あたしがやるわ」
「タヒラ様!」
そこで名乗りをあげたのはタヒラ姉さんだ。
まさか。無理だ。ここまで馬に乗ってくるだけでも辛そうだ。
「言っとくけど、異論は受け付けないわ。全軍続け!」
言うが早いが、タヒラ姉さんが馬を飛び出させた。
それでも怪我を感じさせないその姿に安堵すべきか、無茶を引き受けたことに心配すべきか。
それでもどこかで安心していた。タヒラ姉さんなら大丈夫だと。
カタリアたちもタヒラ姉さんに続く。そのカタリアの顔にはいくらか渋面が浮かんでいる。姉さんの怪我を案じているのかもしれないし、弱気を見られたと恥じているのかもしれない。
けど今は彼女の小言に構っている暇はない。
こちらも殿軍でまたあの蘭陵王を相手にしなければならないのだ。
タヒラ姉さんは、一直線に敵――左翼のザウス軍へと突っ込んでいく。それに全軍が続く。
ザウス軍は虚を突かれたように動きを一瞬止め、慌ただしく迎撃態勢に入る。
その動きはタヒラ姉さんには緩慢な動きに見えたのだろう。一気に馬を加速させると、敵の前衛を剣で薙ぎ払った。そこからずかずかと敵の中に入っていく。
「タヒラ様を死なせては駄目よ!!」
その後にカタリアが、汚名返上と言わんばかりに叫びながら突っ込んでいく。
混戦になったが、姉さんたちの勢いは止まらず、敵をかち割るように進んでいく。
よし、上手く入った。
これこそがプランB。敵の中に入ることで安全を得る策。
あとはこっちが――
「いりす!!」
来た!
黒衣の騎兵にして銀に輝く剣を持つ男。蘭陵王。
再び死闘が始まる。
死の予感に、僕は全身を振るわせて、赤煌を小さく握りなおした。