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挿話28 本多小松(トンカイ軍部隊長)

 敵が砦から出てきた。

 これまで砦に寄ってまともに出てこなかったのに、何故今更。


 おそらく“でゆえん軍”の侵攻を受けてのことだろうけど、それにしては動きに統一性と覇気がある。破れかぶれや、恐慌した様子は見受けられない。


 というのも先ほどの彼女。あの時、一騎討ちで刃を交えた少女――蘭陵殿に“いりす”と名乗った――が不可思議なことを叫んでいた。

 あの“でゆえん軍”が敗走したという。そんなことはない。なぜなら“でゆえん軍”は“いいす国”の国都に進軍中と、当の本人が言っていたのだ。

 あの望月と名乗ったしのびが嘘をつく理由がない。


 だがどこか気になる。

 なぜそのような認識のズレが起きたのか。起きた原因ではなく、起きた事象が分からない。


 ただそれを議論する暇はなかった。

 砦から“いいす軍”が出てきたのもあるが、先ほどの少女の、


『皆殺しにする!』


 この言葉に、あのお方が過剰に反応した。してしまった。


『わたしを、殺すか! 面白い! いりす!!』


 そう言って、口を大きく開けて笑う蘭陵殿を初めて見た。

 私の知っているこの世界での彼は、寡黙にして顔色一つ変えずに淡々と戦をこなす冷静にて冷淡な男という印象。

 そして書物で知る彼は、尽忠報国、国のため民のために滅私奉公する、熱き血潮を秘めた悲劇の英雄。


 そのどちらでもない彼が、ここにいた。


 それがどういった心境によるものなのかはわからない。

 数日前のあの夜襲の日。どうやら蘭陵殿は彼女と一騎討ちを演じたうえに、何かを気に入ったらしい。どこか高揚とした風に見えたのは私だけだろうか。


 それからは敵に対応するためにも、急造の陣を出て陣形を組むことになったのだ。


 味方は7千。特に“とんかい軍”の消耗が激しい。先日の夜襲がだいぶ効いている。

 対する敵はおよそ5千。やはりあの増援3千が大きい。本格的に手合わせしてくるわけでもなく、嫌な場所に位置取って、こちらが猛追をしようとするところでわき腹を突くような動きがいやらしい。


 兵力差はほぼない。

 ならばあとはそれを率いる将の武略と策による。


『戦闘は政治の1つの手段だよ。勝たなくても、敗けなければ政治で挽回できる。まぁ、うちの父上がそういうの得意でね。あぁ、いやごめん。その徳川家のことを言ったんじゃなくて。えっと、その。つまり、無理に戦わなくてもいいってこと……かな?』


 そう信幸のぶゆき様は言っていた。


 けど失言に気づいたのか、困った顔をしながら、何とか弁明しようとする信幸様の顔は可愛らしかった。

 彼が言おうとしているのは、あの上田での戦い。徳川が真田に大敗を喫し、そして真田は大坂に近づき、いつの間にか徳川の寄力よりきとなっていた。


 確かにあの戦の話を父とすることはあまりなかった。戦話が大好きなあの父が、だ。

 それほど不快で思い出したくもない話なのだろう。自分は出陣していないのに、父はそういうところがある。いや、徳川全体がそういう気質なのかもしれない。


 けれどそれがなければ、私は信幸様には会うことはなかったわけで。

 その因縁めいた戦いの話を今思い出すのも、何かの縁なのだろう。


 思考が逸れた。

 つまり戦闘行為自体は、それが目的ではなく手段の1つだと言いたかったわけで。


 それが今、これから起こる戦闘に想いを寄せれば、それはどこかいびつでゆがんでいるように見えてならない。


 何のための戦いなのか。

 私たちは“いいす国”の国都に迫るための途上の戦い。

 相手は“いいす国”を守るための決死の戦い――ではないのだ。これまではそう思っていたけど、今日の雰囲気は違う。


 そう、今日の敵は『もはや勝った後の掃討戦』という雰囲気なのだ。


 この差はなんだろう。

 私にはわからない。分かるはずもない。

 このような戦闘の場にいることすら場違い。けど、何の因果か、今の義父に見込まれてこの立場にいる。蘭陵殿も、なんだかんだで色々教えてくださる。


 その教えとわずかながらの経験から、この戦闘は何かがおかしい。そう頭の中で何かが警鐘けいしょうを鳴らしているのだ。


 けどそれが何かを問う相手もおらず、敵が出てきてしまった以上、迎撃の準備をするしかなかったわけで。


「後手に回ってる……」


「へ? 何がです、隊長?」


 あふれた思いが言葉になって出てしまったようだ。

 それを耳ざとく部下が拾う。


「いや、あの敵。妙じゃないかと」


「なぁに。もうデュエンが出てるわけでしょ。敵さんからすれば、本国が危機の状態でこんなところでのろのろしてられませんよ。きっと虚勢を張って出てきて、ちまちまと小競り合いをしてさっと退くに違いありませんて。今日の夜はあの屋根のある砦で寝られそうだ」


 陽気に笑う男に、私は何も言えなかった。

 油断するなとか、楽観視するな、とかいうべき言葉はいくらでも見つかるのに、それが正しいのかどうかが分からない。


「だが“でゆえん軍”が……」


「それも相手の苦し紛れの法螺ほらでしょう。そう言えばもしかしたら撤退してくれるかも。そんな子供だましの嘘なんかに騙される馬鹿はうちにはいませんよ」


 そうなのか。そうなのだろうか。

 彼の、兵たちの立場からすればそうなのだろう。けど私は彼女を知っている。あの真っすぐに飛んできて、私と打ち合っただ。蘭陵殿をあそこまで入れ込ませる少女だ。

 そんな小手先の嘘などつくのだろうか?


『何も分からなくなってどうしようもなくなった時。そんときゃ、前に出るのよ。それでわしは一言坂ひとことざかでも、三方ヶ原でも生き残ったからのぅ!』


 この期におよんで思い出すのが父の言葉とは。


 何の教訓にもなりえなさそうな言葉だけど、確かに父が無傷で生き残ったのは事実。そして私はその父の血を継いでいる。

 ならば、こういう時はそれを実践するのもいいかもしれない。


「敵が動いた!」


「迎撃準備!」


 咄嗟に切り替える。

 もううだうだと悩んでいる場合ではないのは確か。

 そのために、父が出てきたのかもしれないと思うと、なんだか愉快だ。


 くすり、と笑みを浮かべる。

 部下が不思議そうな顔をしているのが見える。うん、緊張がほぐれたみたい。敵の動きもよく見える。


 敵は全軍が一塊になって、こちらに向かって突撃してくる。

 対するこちらは右翼に“ざうす軍”の3千、本隊が3千で、左翼に1千を回している。


 私はその本隊の指揮として前衛にいる。まさに敵の突撃を受ける場所だ。


 私の実力を評価してこの場所につけたのか、それとも捨て石とするためにそうしたのかは分からない。

 今、蘭陵殿は左翼にいる。本隊にいないのと、本隊より少ない兵を率いるのは、おそらく機動力を重視したためだろう。本隊の指揮ではなく遊軍の指揮をするということは、あのいりすという少女を狙ってのものだろう。

 そう考えると、やはり私は捨て石なのだろうと思う。


 けどそれが軍というものだ。命令に従わずに誰もが好き勝手すれば、それはもはや軍とは呼べない。

 何より武士の娘として、何より英雄の部下として否やとは言えない。与えられた任はきちんと果たす。まずはそこからだ。


 敵は魚鱗ぎょりん

 おそらくこちらが逃げると考えて先手を打ってきたのだろう。またしてもその謎が立ちはだかるが、今は敵の対処が第一。

 弓矢の応酬をして逃がす可能性を出すよりは、一気に距離を詰めてこちらが逃げられない状況に追い込むためのものだろう。


 それがどういう発想で出たのかは分からない。

 けど、相手がそう判断して向かっているのは事実。

 ならば相手を一度この本隊で受け止めて、そこから蘭陵殿と“ざうす”で挟み撃ちすれば勝機が見える。


「防御の陣形! 盾を前に、後ろから槍兵が支えて弓兵が援護!」


 私の声に合わせ鉦が鳴る。それを聞いた兵が慌ただしく動く。

 陣形の変更は蘭陵殿と張良殿らと共に徹底的に叩き込んだ。だからその動きは早く機敏。

 敵がこちらに接触する前に、迎撃の陣形はできる。


 ――はずだった。


「全軍っっ!! 開け!」


 敵。声。いりすではない。もう少し歳のいった女性。何を。思う前に敵が動く。

 魚鱗が割れた。左右に。いや、魚鱗じゃなかった。先頭だけが真ん中で真っ二つに割れ、左右に展開。その奥から敵が来る。その敵は速度を落とすと、その場に停止してしゃがみ込み――


「全員! 伏せろ!!」


 咄嗟に馬から転げ落ちながら吼えた。

 はっきりと見えたわけじゃない。けど、ちらっと見えたその姿。そして停止することで起こる何か。それを一瞬で把握して、行動に移したのだ。


 私の声に反応できたのは半分もいない。


 次の瞬間。天を割るような激しい砲声が原野にこだました。

 悲鳴と苦痛の声があがって、味方がバタバタと倒れていく。馬にも当たったのか、甲高い悲鳴をあげて哀れ倒れ伏す。


 鉄砲だ。

 魚鱗で突っ込んでくると見せかけて、奥に鉄砲隊を潜ませていた。

 こちらが対歩兵の迎撃の陣形を取るとなった瞬間、足を止めて鉄砲隊を前面にだして一斉射したのだ。


 油断していたわけじゃない。鉄砲が敵にあることも理解していた。

 けどこんな戦い方をするなんて。これもあの少女の策なのか。


 1つだけ油断というか誤算があったとすれば、やはり敵は国都が心配ですぐに逃げるという予測があったからだろう。

 これは兵たちではない。私、そして蘭陵殿が追うべき罪だ。


 けど今はそんなことは言ってられない。

 次の瞬間に襲い掛かってくるだろう敵にどう対するか。


 だがそれは杞憂だった。


「蘭陵殿……」


 さすがだ。彼の時代には鉄砲はなかったはずなのに、少し語っただけでその本質を理解し、弱点もしっかりと把握した。

 鉄砲は一度撃てば装填に時間がかかる。織田殿のように交代撃ちすればその時間も短縮できるが、その分、火力は減少する。さらにここは何もない原野。近接戦闘力が皆無の鉄砲隊を次の装填まで待ってあげる義理など何もない。


 だから蘭陵殿が走った。1千で敵のわき腹を突こうとする。

 ここで敵が鉄砲隊を守るためにその場にとどまれば、反対側から“ざうす軍”が、そして中央からは隊列を整えた私たちが突っ込むことになる。そうなれば3方向から攻められ、何より鉄砲が役に立たない状況に陥り戦力差は倍増する。

 あとは敵がいつ逃げ出すかで、あとは追撃戦となって“いいす国”の滅亡は確定的なものとなる。


 そんな愚をあの利発な娘が犯すか?


 その予想を肯定するかのように、敵が動く。


 蘭陵殿か。あるいはまだ陣形が整っていないこちらか。


 だが、敵の動きはそのどれでもなかった。

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