第20話 戦場
前方の人の影が見えた。
馬に乗った人の影と、地面を行く人の影。
それは最初、踊りを踊っているのかと思った。
それほどに彼らの動きは散漫で、何をやっているのか分からなかったから。
だが、
「ぎゃあああ!」
男の悲鳴。
それを聞いた時に、そこで何が起きているかを理解する。
頭が真っ白になって、必死に叫ぶ。
「お前らっ!」
その気持ちに呼応してか、馬が速度を上げたのが嬉しかった。
振り落とされないよう、必死にしがみついていたのをよじ登って鞍の上に足を乗っけると、そのまま蹴って跳んだ。
走る乗り物の中から飛び降りる。普通なら大怪我ものだ。
けど今はできる。僕ならできる。
何より、着地点は地上よりはるかに上だ。
「ぐほっ!」
1人の騎士の胸板を蹴り飛ばし、落馬させた。
その反動で落下の衝撃が弱まり、なんとか自分は地面に着地。
「何者だ!」
「正義の味方だ馬鹿野郎!」
普通なら赤面ものの発言も、今では当然のように言えた。
人の命を奪おうとする暴漢。それを助ける僕は正義の味方。その理屈に間違いはないだろう。
こんな熱い思いが自分の中にあったのか、そう思えるほどの激情。
「イ、イリス様……」
振り向けば5人ほどが地面にうずくまっている。
その真ん中にいた人物。先ほど僕を気に掛けてくれて、大使館で僕に斬りつけてきた人だ。
生きてる。皆無事だ。それだけでいい。
「逃げろ!」
「しかし!」
「いいから!」
なおも抗弁しようとする相手を怒鳴って抑え込む。
自分1人なら最悪逃げ回ればなんとかなる。
けど5人も抱えては無理だ。
そもそも喧嘩慣れしているわけじゃない。むしろ初めてだ。初めてでここまでできるのは『軍神』というスキルのおかげだろう。
「この小娘……せっかくの楽しい“狩り”を邪魔して。その罪、万死に値――」
近づいてきた騎士を、槍の柄で馬から突き落とす。
「行け!」
必死の叫びに、最後まで抗弁していた男が他の4人に連れられて逃げていく。背後の林へ。
もちろんそれを相手が黙って見ているはずもない。
「っ! 殺せ!」
怒声と共に馬が来る。
10、いやもっとだ。
突き倒した2人を換算すると20人くらいいるのかもしれない。
止まったら死ぬ。
そう思った。
だから行く。
引きこもりがちの自分とは信じられないくらい体は動く。
まるでアクションゲームのキャラを操作しているくらい簡単に。現実的に不可能だろうという動きも、思った通りに動く。
それが、楽しい。
これが軍神。
軍を率いる神のような人間だ。これくらいの体術的技術があっても当然なのだろう。
突き、叩き、払い、跳び、蹴り、殴り、投げる。
3人倒した。あと10人……以上!
でも行ける。
だから行ける。
そう思うことでやっていける。
そう思わないとやっていけない。
どんなにつらくても、
どんなに苦しくても、
どんなに厳しくても、
立ち止まる。
それはできない。
そして、それは突然訪れた。
「ぐふっ……」
咳き込んだ。
喉からこみあげる不快感。
唾となって吐いた。
なんだ、いきなり。
いや、まだだ。まだ動ける。
けどそれが致命的な隙。
1対多数で、しかも徒歩対馬で止まることは終焉を意味する。
「死ね」
馬上の鎧騎士が、槍を逆手に持ってこちらに向けている。
あれが飛んでくると、僕は死ぬ。
そんなことを現実感のない感覚で見ていた。
そもそもこんな世界にいること自体が現実感がないんだ。だからきっとこれもリアルな夢。
ここで死んだところで、ベッドから跳ね起きるんだ。きっとそう。だからこれは夢。問題ない。死ぬのはちょっと怖いけど、変な夢見たな、できっと終わる。
だから――目を閉じずに、槍を振り下ろそうとする男をじっと見ていたその時。
「ぐぁ!」
男がはじけ飛んだ。
その胸元から棒のようなものが生えている。
人間からそんなものが生えるわけがない。
だからそれは外部的に生やされたもの。
そしてそれは量産される。
「がっ!」「ぐふっ!」「きゃ!」
僕を取り囲むようにした騎士たちが次々と落馬する。
それと同時に起こる、風を切る何かの音。
その超常現象的な何かに誰もが悄然としている中――いや、見えた。矢だ。
左手――東の方向から飛んでくる矢が騎士たちを襲ったのだ。
もちろんそのすべてが突き刺さるものではない。
彼らは体の各所を鎧で覆っている。
だがフルアーマーでない以上、どこかに刺さる。
その中で1つ、いや、1種類。
鎧を貫通して直接肉体を傷つける矢がある。それは最初の兜を貫通させる矢を放つ人間がいるということ。
「くっ! 敵の増援か!」
敵の騎士が叫ぶ。
敵が敵と呼ぶ、つまりそれは自分にとっての味方。
そう思っていいのか?
「迎撃の陣形だ!」
隊長格らしい男が叫ぶ。
だがそれはすべてが遅かった。
彼らが右手に向けて態勢を整えているころには、はるか彼方から疾走してくる軍勢は手を伸ばせば届くほどの距離まで近づいていた。
それは騎馬の集団。
ザウス国とはまた少し形状の違った鎧を当てて、頭は兜で守っている。
馬上で弓を持っていたことから、彼らが矢を放った元凶だろう。
そしてその先頭。暗闇にも目立つ真っ白な馬に乗った1人が、弓を腰に回すと流れるような動きで腰に差した剣を抜き、
「どっせぃ!」
馬ごと突っ込んだ。
そこに後続が続々と乗り込んでくる。
一瞬だった。
壊乱した敵は算を乱して散っていく。
後に残ったのは倒れた敵と僕、そして20騎ほどの乱入者。
あるいは、彼らが襲ってきたらそれこそ僕の命は終わりだ。
なんていっても、ここは国境の外側。
イリスという少女が所属する国――イースとか言ったか――の人が来るわけがない治外法権の場所。
だから20騎ほどとはいえ囲まれて、どうも体の調子が良くない今、抵抗することも不可能。
すべての生殺与奪はこの20騎、その隊長らしき人物に握られている。
そしてその隊長らしき白馬に乗った人が、静かに馬を近づけてくる。
その第一声がどうなるかで僕の未来は決まる。
ここで終わるか、この後も続くのか。
そして兜で見えない顔が動き、
「大丈夫かな? そこのイースの人」
女性の声。
それが今、先頭で突っ込んで敵を蹴散らしたとは思えないほどのんびりした声で、ほがらかに言った。
それだけでほっと力が抜けた。
害意がないことが直感で分かったから。
だが、その後に続く言葉はまさに想定外だった。
「てか……もしかしてイリリ!?」
「?」
いりり?
なんの名前だ?
あるいは僕の知らないこの世界の単語とか?
疑問符が脳を埋め尽くす間にも事態は動く。
「あたしよ、あたし。あー、これつけてるからか! ちょっと待ってねー」
隊長の女性があくせくと兜に手を伸ばし、パチンパチンと留め具が外れる音がして、その兜を取り外す。
そこから出てきたのは――
「元気だった? あんたのお姉さま、タヒラ・グーシィンが助けに来ましたよっと」