第186話 キーパーソン
キーパーソン。
その人物が、まだこのイース国都にいるかどうかわからない。
いなければすべてが終わる。それだけのこと。
だから運を天に任せるつもりで、その人物がいるかもしれない場所へと向かう。
家族に会うより先に、国都で一番に目指す場所。
政庁。
その奥にある一室だ。
何度か足を運んだ場所だが、果たして――
「イリス?」
部屋に入って来た僕を見て驚きの声をあげた人物がいる。
「ヨルス兄さん」
我が兄と、それとインジュイン・パパ。あと複数名の文官がその部屋にはいた。
毎度おなじみの、会議の大広間だ。
「おい、どうした? こんなに早く戻って……まさか、敗けたのか?」
「報告ならば、大将であるカタリアが来るのが筋だが、娘はどうした?」
いない……か。
いや、それでもいい。知っていそうな人物に聞くだけだ。
「ヨルス兄さん、“そんなこと”よりあの人は今どこ?」
「そ、そんなことって……イリス!
「トント軍なら追っ払ったよ。犠牲はほぼなし。それからトントにいる豪族と農兵3千が協力を申し出てる」
「なっ!!?」
ヨルス兄さんとインジュイン・パパが言葉に詰まる。その他はもはやどう口をはさんでいいか分からないようだ。
吉報のはずなんだけど、あまりにそっけなさ過ぎて誰もが反応をしない中、
「で、どこにいるんだ兄さん。あの――この国の太守は」
「え……あ、太守様は、部屋だ。出て左の突き当り」
よし。それだけ聞ければ十分だ。
「ちょっと待て、グーシィンの! 勝ったとは、協力とはどういうことだ?」
「ごめんなさい。詳しいことは後からくるカタリアに聞いてください。じゃあ、急ぐんで」
「おい、待て! それ以前にお前は何をしようとする気だ!? カタリアより先に戻って、太守様に謁見? わけがわからんぞ!」
「そうだ、イリス。説明してくれ」
……説明の時間が惜しい。
「じゃあついでなんでついてきてください。ヨルス兄さんも。その方が色々早いから」
ヨルス兄さんとインジュイン・パパがわけがわからないと顔を見合わせる。その光景がなんとなく面白い。
けどそんな彼らに構っている暇はない。
今にもその人物はこの国を出ようとしているかもしれないんだ。
だから広間を出て、兄さんに教えられた通り左へ。
背後から「ええい、追うぞ!」みたいな声が聞こえて来て、バタバタと足音。おそらくその場にいた全員が来たのだろう。
ほんの20秒ほど。それで目的の場所についた。
太守の部屋。
小さいながらも重厚そうなドア。迷うことなくノックして、返事を待たずにドアを開ける。
「失礼します」
そこは閑散とした部屋。これがあの派手好きのあの太守の部屋なのかと思うほど。
机と椅子、それからベッドに本棚というシンプルなもの。もちろん、それぞれが高価そうなインテリアに飾られているわけだけど、僕の部屋の方がもうちょっと調度品があるぞ。
あるいは、ここは寝に来るだけの部屋で、いつもどっかほっつき歩いてる、ということなのかもしれない。よくヨルス兄さんの執務室で見かけるし。
そして部屋の中。
大仰な机の奥に座る人物、太守だ。それと対するように、横に立つ人影。
――いた。
まさかとは思った。あるいはと思った。
けどドンピシャだったとは。
太守は突如、開いた扉とそこから入って来た僕を見て驚き、そして喜色を表す。
対するその人物はすべてを分かっていたかのように、悠然とした様子で微笑みを浮かべている。
そのあまりに超然とした雰囲気に、一瞬ひるみそうになる。
けど、この人物を目指してきたんだ。今更、後に引けない。
およそ3カ月前。この人物と初めて会った時、ここまで因縁が深くなるとは思わなかった。
けど奇縁か宿縁か。3度の出会いと、そして4度目の邂逅を経て、今、その縁が極まった。
僕はその人物を睨みつける。
その人物――ネイコゥ。商人だ。
そう、この人物こそキーパーソン。
この救いのない戦いを終結させてくれるだろう人物。
トーマス・グラバーという人がいた。
幕末において倒幕派、佐幕派関係なく武器弾薬を売った武器商人だ。あの長崎のグラバー園は彼の邸宅跡だ。
四境戦争、第2次長州征伐において、圧倒的劣勢だった長州藩が勝てた要因の1つとして挙げられるのが、その藩の持つ圧倒的火力だ。
旧式銃の多かった幕府軍に対し、長州藩は当時最新式の銃を購入。それらは薩摩を介してイギリス商人から購入したというが、そこにグラバーが介入していないわけがない。
さらに反撃の契機となった大島奪還に貢献した、高杉晋作が乗る軍艦・丙寅丸もグラバーから購入したという話がある。
そう、火力。
それこそが今、勝つために必要な概念。
通常の時代なら、いくら火力が上がっても物量に押しつぶされるのが実情。
なぜなら火力が上がってもそもそも相手も似たようなものをもっているわけだし、他の面、コスト、射程距離、量産性など様々な分野での総合力がものを言うからだ。
けど、今は違う。
古代の槍と弓矢が主兵力だった時代に火薬の発明で戦争が変わったように、中世の軍団戦術が鉄砲の出現で変わったように、第一次世界大戦以降の戦闘機の出現で陸海の戦闘概念が変わったように。
戦争のパラダイムシフトが起きている時代なのだ。
戦闘における集団戦術が、鉄砲の出現によって今まさに変わろうとしている時代。
その場面において、火力の重要性がどれだけ大事か。
相手がこちらに近づく前に弓矢が届くより遠くから狙い撃ちができる。
弓矢は兵の熟練が必要なのに対し、鉄砲は引き金を引くだけで弾は出る。
それだけで、この時代、この世界においては砲術による火力が最強なんだ。
だからそれを求めた。
本来ならこうなる前にもっと動くべきだったけど。そもそも僕に財政の決定権はないし、何よりこのネイコゥが苦手……いや、はっきり言おう。僕は怖かった。砲術を磨くということは、圧倒的になるということ。それだけなら聞こえはいいが、要は圧倒的に敵を殺すということ。肉弾戦による人と人とのぶつかりあいではなく、遠くから、そして明確な死をもって殺到する意思。
そこにあるのは戦闘という言葉じゃない。
破壊、蹂躙、殺戮。
そうなるだろうことは歴史が証明している。
それが怖かった。
それが今や、だ。追い詰められて、窮鼠になって初めて、僕は踏み切った。踏み越えた。
たとえ鬼畜生と言われようとも、僕は家族を、皆を守りたい。
そう思ったから。
けど、その前にひと悶着があったんだ。
「お、おおおう!? どうした、イリスちゃん? 俺に抱かれにきたかい?」
僕の覚悟を揺らがすような、ゾクッとするほど気持ち悪い言葉を吐く太守。
「それとも、一緒に逃げね?」
「へ?」
そして、とんでもないことを抜かしやがった。