第183話 趙括の策
お昼ごろに毎日更新していましたが、仕事関連が忙しく遅れました、申し訳ありません。
183話、よろしくお願いします。
趙括とその部下100人を伴って僕らは東へと急行した。
敵との距離は5キロ。そうぐずぐずしている暇はない。
一体、この男は何をする気なのだろう。
先ほどの孫子とか言ってたのは、『朝の気は鋭、昼の気は惰、暮れの気は帰』という軍争編に書かれたもので、まぁ内容としてはさっき趙括が言ったこととあまり相違ない。
朝は気合十分だから兵は強く、昼になると徐々にダレてきて、夜にはやる気が最低になって帰りたくなる、というもの。
これは一概に朝が良いというものではなく、物事のはじめと捉えれば万物――仕事や勉強に通じる真理となる。
要はだらだらと長く続けても意味はない。だから時間を決めてビシッとやった方が効率的ってこと。
なんだけど。
この趙括が言ったのは、なんというか、そのままの意味で使われそうなんだよな。
というかこの状況でなぜその孫子の言葉が出てきたのか不明だ。
今はまだ昼、というか朝。文字通り気力は充実しているし、実際の戦闘も始まっていないのだから『帰』というのも当てはまらない。
なんだ、なにをするつもりなんだ。
2割の期待と、7割の不安と、1割の絶望。
それらがまぜこぜになった絶妙な心地で、趙括らについていく。
「ふっ、どうやらこの私の策が読めないようだな、いりす」
「はぁ……」
いや、言う通りなんだけど、認めるとこの男に負けた気がするので興味がない振りをした。
「ふふ、分からずとも仕方ないな。この私が、3日3晩、寝ずに考えた最強の策だからな!」
嘘つけ! とツッコミたかったけど、果てしなくめんどくさい気がしてパス。
「カッつぁん、敵が見えた!」
と、その時に偵察に出ていた兵が戻ってきてそう伝えた。
「ふむ。ならば、確か地図は、と。……よし、あそこだ」
おいおい、なんだこいつ。
策がどういったものかはわからないけど、即断即決で地図もちゃんと見るし、何より場所の取り方が絶妙だ。
地図を眺めて彼が示したのは、左手にある小高い丘。
そこは敵の側面を突ける場所でありながら、それなりに険しいから敵が登ってくるのも時間がかかる。
そうなれば逆落としで敵を一蹴してもいいし、敵が登ってくる前に撤退だって容易だ。馬謖みたいに包囲されなければ十分に相手を威圧できる場所。
兵法書を読み漁ったというのは伊達ではないのかもしれない。
これで負けたのなら、それはもう白起が悪かったということか。
趙括が示した場所に陣取る。
高台からは周囲がよく見えて、敵の位置も丸わかりだ。これはいいぞ。
「はっはっは、やはり高い位置はいいな! 見ろ、敵がゴミのようだ!」
あ、違った。なんとかと煙は高いところが好きな方だった。バルスしてやろうか
とはいえ、この高所を取ったのは大きい。
ここに陣取って、敵を釘付けにするか、カタリアを呼んで挟撃――いや、ダメだ。僕らはトント軍を足止めに来たんじゃない。一撃で撃退しに来たんだ。
ここで無駄な時間を浪費すれば、西と南に国を食い荒らされる。
敵の斥候らしき影がこちらに気づき、本隊に戻る。
本体はおそらくすぐに姿を現す。どうする。もう時間もない。決めるか。ここで敵を足止めするか、それとも――
「いりすよ、うろたえるでない。この私に任せよ」
それが一番の不安要素なんだけどなぁ!
けど趙括の相手をしている間に敵の本隊が現れた。およそ6千と小太郎は言っていたが、確かにそれくらい。
6千もの人間が、僕らを殺そうとじわじわ進軍してくる。
それはとても恐ろしいことで、今すぐここから逃げ出したい心境に陥らせる。
だからだろう。戦争は人を狂わせるというのは。狂わないとやっていけない。それが戦争。
いや、慌てるな。
まだ狂うには早い。
それより今は退避だ。6千に囲まれたら本当に全滅する。この丘を降りるべきだが、
「では見ておれ」
趙勝は馬を歩かせる。
トント軍が見下ろせる、丘の端に。
何をする気なのか。そう思った次の瞬間。
「“とんと”の民に告ぐ! 私は趙括! かつては“とんと”の将軍として、名を轟かした者である!」
趙括の声は遠くまで響き渡るように発せられた。いい声だ。聞いていて不快な大声と、ハッとさせられる活力のある大声がある。趙括は後者だった。
現にトント軍も、何やら不審を覚えたのか、停止した。
「名を轟かしたの?」
「んにゃ。カッつぁんはどっかから流れてきた将軍だって、トントのお偉いさんは噂してたさ」「そうそう。それで新任早々、俺たちを連れてこんなところまで来て」「ま、ちょうどいい厄介払いってことじゃない?」
部下に聞いたのがかわいそうな趙括だった。
イレギュラーならではの苦労も背負ってたわけだ。
趙括は後ろでこんな会話が交わされていることなんざ知らずに、得意満面の様子で続ける。
「なぜ私がこんなところにいるか! それを疑問に持つ者もいるだろう。私は今、“いいす国”のもとで暮らしている。なぜか! 諸君らは聞いたことがあるだろうか。かつては同盟国であった“いいす国”の祭りを狙って軍を進めた、“とんと国”の陰謀を!」
理解した。趙括のやろうとしていることを。
なるほど。これは僕にはできないこと。
要は農兵への離反工作。
かつて同じ国に所属していて、裏切られた人間だからこそできることで、僕みたいな他国人が言っても誰も聞いてくれない。
趙括だからこそ、聞いてくれる。
その時、僕は勝利を確信した。そして、これから起こるだろうことも。
だから僕は馬を趙括の斜め後ろへと寄せる。
「祝祭の日に兵を進めるだけでも非難するべきことであるのに、同盟国として祝いの使者を出しておいてのだまし討ちなど、まったくもって言語道断である! しかもだ! 策謀が破れれば、自らは知らん顔をして黙り込み、命じられて出陣した我らを切り捨てた! “とんと国”の国民であった、我らが兵たちを、知らぬとして捨てたのだ! こんな不条理が、許されてよいのだろうか! 許されるわけがない!!」
瞬間、銀色の閃光が趙括の額を貫いた――寸前、僕の赤煌が空を切り、飛んできたものを跳ね飛ばす。
矢だ。
趙括の演説が、都合が悪いと思った連中が射てきたに違いない。
そんなやつがいるんじゃないかな、と思って待機していたが大正解だった。
「お、おお……」
「援護するから、続きを」
「……うむ!」
趙括は破顔して、のどを震わせる。
「見ただろうか! 今の行動を! かつては共に戦った仲だというのに、目障りとばかりに矢を射てきた“とんと国”のどこに正義があるだろうか!」
その言葉を否定するように、さらに矢が飛んでくる。
打ち上げになっている状況だ。勢いはないが、いかんせん数が多い。
これは趙括を下がらせるか、そう思った時だ。
「カッつぁんを死なせるな!」
趙括の部下が出てきた。ある者は矢を払い、ある者は持ってきた木の盾で防ぐ。
なんだかんだ。部下に慕われているらしい。
なんだか書物で知った、趙括という人物像とはかけ離れていて、それがまた新鮮で、この人を死なせたくないと思っている自分がいることに気づく。
「聞け! “とんと国”の民よ! 我らは今、我が妻“いりす”の手によって安寧の暮らしを得ている! “とんと国”よりはるかに安い税率で、暮らしやすく、何より自らが切り開いた新しい田畑は、向こう1年無税という保証を与えてくれた! 聞け! 諸君らはいつまで眠っている! 家族を殺され、愛する者を奪われ、食もなく、ただただ搾取されて死んでいくだけの“とんと国”にどれだけ仕える意味がある!? 今こそ、生きる意味を見出し、進むべき時ではないか! 恐れることはない! この私が、この趙括が、諸君らを目覚めさせる、未来への灯となろう!」
「趙括、時間だ! 敵が登ってくる……ってか、誰が妻だ!」
「もう終わる!」
飛んでくる矢を避けた趙括が、ニッと唇を広げ、
「来い、“とんと”の民よ! この大将軍、趙括のもとに集うのだ!」
誰が大将軍だ! てか誰が妻だ!
滅茶苦茶なことを言いやがって! と思ったが、次の瞬間。
それは起こった。