第178話 包囲網を食い破れ
4か国3方向による同時侵攻。
誰もが言葉を失い、茫然自失としている中、声を上げる者がいた。
「何を茫然としていますの!? まだ何も終わってませんわ、いえ、始まってすらいないのですよ!」
どうしてそこまで強気で行けるのか。いや、あるいは彼女も泣き出したい心境なのかもしれない。それでも現実を見て、諦めない選択肢をとれるのは1つの才能だ。上に立つ者としての。
確かに僕も一瞬、頭が真っ白になっていた。
この兵力差。どうあがいても無理なのだ。そしてそれはイース国の滅亡、すなわち僕の死にも直結する。
これがゲームなら「あー、無理ゲー。諦めてまたやり直すか」ということができるけど、これは現実。
敗北イコール死という状況で、これ以上のどん詰まりはない。
だからといって、すぐに諦めて放り投げるわけにはいかない。
現実には、諦めて放棄してもその後に続く現実というものが存在するのだから。
まさかそれをカタリアに教えられるとは。
「しかしカタリア。これでどうしろという? こうなっては太守様を逃がし、我々も逃げるか降るかを選択しなければならん」
インジュイン・パパが娘に向かって問う。
それを娘は鼻で笑った。
「アカシャ帝国建国の忠臣であるイース国が、たかがこれくらいのことで右往左往するわけがありませんわ。ここは徹底抗戦でしょう!」
「では何か策があると?」
そうだ。それを聞きたい。
それがあるというなら。カタリアに先を越されて悔しい気持ちがあるけど、この際かまってられない。
だから、
「当然」
そうカタリアが胸を張って答えた時には年甲斐もなく熱くなり、
「それはわたくしの軍師が答えてくれますわ」
そう言って僕に視線を向けた時にはこれ以上なく落胆した。
「軍師? もしや、このグーシィンのか?」
「イリス、いつの間にお前はそんな……」
インジュイン・パパとヨルス兄さんの視線が痛い。いや、この部屋にいる全員の疑惑と戸惑いと侮蔑の混じった視線が矢の雨のように降り注いでくる。
これってあれか?
丸投げってやつか?
「あのなぁ!!」
僕があまりにも無責任な丸投げに抗議の声をあげようとしたが、
「イリス。あなたしかいないの。わたくしは声をあげることはできる。皆を率いて戦うことはできる。けど、こと軍略に限っては……この国ではあなたがナンバーワンよ。だから、示しなさい。このわたくしよりも上であることが、どれだけ素晴らしいか、誇らしいか、美しいかを! それがあなたを、わたくしと対等に渡り合える人間と認めた証ですわよ!」
カタリアの言葉が、胸を打った。
カタリアがこれほど僕のことを買ってくれるなんて。思ってもみなかった。
まったく。現金だよな。これくらいのことで、ちょっと舞い上がっちゃってさ。
僕にとってははるか年下のおだてともとれる言葉に。
けど“あの”カタリアが、天上天下唯我独尊で厚顔無恥で己が最上と信じてやまない“あの”カタリアが。言葉で頭を下げたのだ。脱帽したのだ。しかも公衆の面前で。尊敬する親の前で。
それを受けてなお、ぐだぐだ言うほど、僕は男を捨ててない。いや、男だろうと女だろうと関係ない。一個の人間として、ここで退くわけにはいかない。
「イリス……」
ヨルス兄さんが心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫。分かってる……」
安心させるように答え、目をつむって深呼吸。
僕の双肩、いや頭脳にこの国の未来が、皆の命が、僕の、イリスの魂がかかっている。
ならこれまで得た知識、ゲームだろうが漫画だろうが小説だろうが文献だろうがネットだろうが聞きかじりだろうが、すべてを総動員して
敵は平家総大将平知盛。
相手にとって不足なし!
「地図を。それから兵の駒を」
前回のザウス・トンカイ連合軍の軍議の際に使ったものを要求した。それはすぐに来た。
たかが10代の小娘の要望にすぐに大人たちが答える。それを奇異と見るか、あるいはそれをおかしいとする思考がすでに停止しているのか。
別にいい。今はそっちの方が話が早い。
「地図と駒だ」
ヨルス兄さんが机に地図を広げて駒を置いた。
それを適宜配置していく。
「西のウェルズ国都はここ。そこにデュエン軍1万」
先日寄ったばかりの国都に、赤の駒を置く。
「ウェルズ軍は壊滅して軍を成してないから駒はなし。それから南、ザウスとトンカイが1万2千。そこにはタヒラ姉さんがいるけど……タヒラ姉さんの軍の規模は?」
「いくつだ!?」
「は、はっ! 1500です!」
インジュイン・パパがすぐさま確認を取った。意図してかせずか、この場における最大の権力者が僕の手助けをしてくれた。インジュイン・パパ、ナイスプレーだ。
「タヒラ姉さんに伝令をお願いします。敵を可能な限り足止め。ただし犠牲は最低限に。守り切れなければ持ち場を放棄して、国都へ戻ってきてほしいと」
「……分かった、出そう」
「それからトントが進軍中。3千……か。国都にいるイース軍の総数は?」
「数!」
「はっ、イース国軍は1千。近くの豪族から総動員すれば5千にはなるかと」
かき集めて5千。相手は合計2万5千。5分の1にしかならない。
それにかき集められた兵たちは、おそらく士気が低い。正直、彼らにとって支配者は誰でも変わらないと見るに違いない。だから分が悪いと見ればすぐに降参して、新たな太守に良い顔をするに違いない。
「インジュイン・パ――こほん、インジュインさん。それから、太守様。今すぐ、イース国に布告をお願いします」
「なんの布告だ?」
「国都防衛に参加した者は、当面1年を免税。働きによっては、たとえ農民や身分の低い者であっても、国都で十分な地位でもてなすと」
「なっ……」
場が、一瞬言葉を失ったが、直後に怒声が巻き起こる。
それは聞くに堪えないものだったので割愛するけど、要はそんなことをする必要がない、という内容だ。
この世界は偉い人は偉い、血筋がすべて、という風潮がある。中世の貴族主義の走りだ。
だから誰でも身分の低い者でも取り立てるという言葉に反対なのだろう。
「何をバカな! そんなことをすれば、国政が傾く! ありえない!」
インジュイン・パパも顔を真っ赤にして怒鳴る。
ヨルス兄さんは困惑したように僕を見てくる。多分、内心では反対なのだろう。
本当に、何も見えていないな。ここの人間は。
ちょっと思い知らせてやる必要がある。
「そうしなければ、国が滅ぶんだ!!」
叫んだ。
これ以上ない、ドスの聞いた声で。
「今僕らが対するのは、未来の苦難より、今の脅威だ。ここで将来よくないからと実行せず、その前に滅亡したら目も当てられない! まずは最大の難関を乗り切ってから。今、僕たちはなりふり構っていられない。そういう立場にいると思ってください!」
「しかし、他にやり方があるのではないか。何も下賤の者どもを取り立てるなどと……」
1人の文官がおずおずと聞いてくる。
これだけ言ってもダメか。ならもうちょっと脅しておくしかない。
そう思った直後。予想外の人物から問いが来た。
「それで勝てますの?」
カタリアが、閉じていた目を開けてこちらを睨むようにして聞いてきた。
その瞳には覚悟があった。
何がなんでもやってやるという、がむしゃらな覚悟だ。
だから僕も、そのがむしゃらに答える覚悟で答えた。
「勝てる。いや、勝つ」
「……お父様。布告を出してください」
「カタリア!?」
「そうしなければ、ここにいる者、皆が死にます。それは、皆が望むことではないでしょう?」
ごくり、と唾をのむ音がした。
改めて自らの死を考えた者がいたのだろう。あるいは全員か。
「た、太守様」
インジュイン・パパが、僕が見てきた中で初めて弱気を見せた。
しかもあの太守に意見を求めたのだから、決めかねたということだろう。
「俺様の太守の座を守るためなら、なんでもやってやるさ。イリスちゃんに全部任せる」
若干、最低な発言に聞こえたけど、今はよし。
「ではそれで兵を集めましょう。あるいは5千より多くなるかもしれない。あ、それから同時に噂も流してください。デュエン、ザウス、トンカイ、トントはイース国を灰燼に帰すつもりで侵攻してきた。今から降伏しても許されず、財産と土地は没収。最悪、生贄に血祭りにされると。現にウェルズ国では大小50もの豪族が滅ぼされた、と言ってもいいでしょう」
「ははっ、さすが最低の発想ですわ。見事な飴と鞭ってことね」
カタリアがさも面白そうに言う。
そう、今言ったのは根も葉もない嘘だ。4か国にそんな意志はないだろう。
けどちょっとでも疑念が出れば、イース国の豪族たちは保身に迷う。裏切ったら殺されるかもしれない。そう迷う。
そこに、防衛戦に出たら年貢が1年免除。さらに時と場合によってはさらなる褒賞が与えられると言われれば、こちらに転ぶものも出てくるだろう。
恐怖という鞭に、褒美という飴を与えて味方に引き込もうという策だ。
成功率などどうでもいい。とりあえずやってみることに価値があるのだ。
「これで味方はとりあえずOKと」
「イリス、味方はって言うけど、ここはどうなんだ?」
ヨルス兄さんが示したのは同盟国のノスル国だ。
「救援の使者を出した方がいいと?」
「そうじゃないか? だって、ノスルは同盟国だ。イースが滅べば次は自分だと思うだろうし、こっちに援軍を出してくれるかも」
ヨルス兄さんの言葉に、賛同の声が上がる。
でも僕は首を横に振った。
「いや、ヨルス兄さん。それはないよ」
「なんで!?」
「あっちの立場になってみなよ。2万5千に囲まれた同盟国。援軍の要請が来ても、勝てる見込みがない場所に自国の兵を送るほどお人よしかな?」
太守の爺さん。なかなかあくの強い感じだったからなぁ。
「そもそも、僕らは勝手にイース国が狙いと思ってるけど。もしかしたらデュエン国はウェルズ国とノスル国を攻略しようと兵を出したのかもしれない。トンカイ国との密約がどうなっているか次第だけど、イース国にデュエン国都トンカイ国が入ったら、勝った後の領土分配で揉める可能性があるし」
「だから、ノスルは兵を出さないと……」
「そういうこと。まぁダメ元で出してみるのも手だけどね」
相手は平知盛だ。甘くはないだろう。
「な、なら! 3方向からではなく、4方向から敵が来る可能性も!?」
「うん。けどそれはもう少し先だ。ノスル国とて、真っ先に降伏するようなことはないと思う。わずか数日。そこに猶予が生まれる。その間に、僕らは動く」
「動くって、どこに?」
「この包囲網。その穴だよ、兄さん。4か国3方向の同時侵攻。実はそんなのありえないんだ。いや、ありえないというか、崩壊しているんだ。そこをまずは狙う」
「しかし……この包囲網は完璧だ。完全に同時に侵攻してきているんだぞ!?」
「いや。見た目はそうだけど実際は違う。狙うは――」
僕は青の自軍を示す駒を拾い上げる。
そしてそれを振り上げ――ある一地点にたたきつけた。
そこは国都から東。
3千の兵が侵攻してくる方面。
そこにいる軍は――
「トント国だ」