第171話 姉と弟と
炎が闇夜を照らす中、この国の次期権力者が街の往来でにらみ合う。
その背後にはそれぞれ100人近い兵たちがいて、何かのきっかけで暴発すると街を巻き込む大抗争になること間違いなし。そのためか、緊張感だけが周囲に満ちていく。
その中で口火を切ったのはアトランだ。
「パー姉ぇ、てめぇ正気か!? 町に火をつけるなんてよぉ!!」
確かにアトランの言う通り。自分の庇護すべき国民の財産である命と家を壊すなんて、国をまもるべき立場の人間からしてはありえない。それによって生産性を下げるだけでなく、怪我人の治療や壊れた家屋の復興。
さらに港部分までに被害が及べば、そこに入出港する商船にも影響が出る。誰が好んで争いのある場所に行こうとは思うだろうか。
つまり無駄な出費だけじゃなく、今後の交易収支に大いなる陰を落とすことになるのだ。要は自分で自分の手足を食べているようなもの。
このアトランの姉も、太守を継ぐならばそれを分かっているはずだけど……。
「はぁ? それをやり始めたのは愚弟の方が先だろ。あたしはそれをやり返した、それだけだ」
「え?」
愚弟の方が先? やり返した?
それって……。
振り返って見れば、アトランは忌々しそうに実の姉を睨みつけている。
そして反論のために口を開いた。
「パー姉ぇが俺様に次期太守の座を渡さねぇからだろ! それなのに一等地の屋敷に住み込みやがって。だから燃やしてやったんだよ!
頭が痛くなりそうだ。マジで言ってるのかこいつ。
「それに俺様はパー姉ぇと違ってその屋敷しか燃やしてねーし。こんなひでーことしてねーし!」
「馬鹿なの? あれ、類焼してそこら一帯焼け野原になったの覚えてないわけ? そもそもあれは親父があたしにくれたもんだ。なんで弟のあんたが継げると思ってんだバーカ」
「俺様の方が強くて優秀なんだから俺様が継ぐべきだろ。それに、親父は明確に姉貴に継ぐとは言ってねぇし!」
「あの屋敷をくれたってことは、内定してるようなもんだ。それなのにあんたが不満たらたらにごねるのが悪ぃんだろ! だから報復してやったんだ!」
ぎゃーぎゃーと醜い口論が続く。
どうやら先に手を出したのはアトランだが、姉も姉で権力に固執しすぎて周囲が見えなくなっている。その被害を一番受けているのは、自分の国民だというのに。
本当に、愚かすぎる。
太守の爺さんが嘆くのも分かる。いや、実子というなら、教育に失敗したあの爺さんも戦犯か。
ともあれここで言い争いをしても時間の無駄。被害が広がるだけ。
まずはこの馬鹿な争いを終息させることが先だ。
となればやることは1つ。
まだ言い争う2人。その横から一歩前に出て、大きく息を吸い込み、
「いい加減に、しろ!!」
「「っ!!」」
2人が怒気に押されて口をつぐむ。
はじめは何を言われたのか分からなかったのだろう。ただ大きな声を出されて驚いたというだけのこと。
だが次第にその内容を理解し、それがどういう意味を持ったかを知ると、
「あぁ!? 今なんつった!?」
「舐めたこと抜かすな、このシャバ蔵!」
うわぁ怖ぇ。
けどここで退いていられない。
「カタリア、言ってやれ!」
「なんでそこはわたくしに振るんですの。まぁいいですわ」
僕の急激な無茶ぶりに対しカタリアは、コホン、と咳払いし、
「自らの欲望のため、街に火を放つなど言語道断! 民に迷惑をかけての姉弟喧嘩など愚の骨頂と知りなさい! 天が許してもこのカタリア・インジュインが許しませんわ!」
結局なんだかノリノリでぶちかましてくれたカタリア様。
ただ、こいつも言うようになったなぁ。わたくしがー、インジュインがーとか言ってたのに。そう思うと感慨深い。
ま、いいや。ちゃんと言いたいことは言ってくれた。
だが、そこで安堵するにはまだ早い。
おそらく激昂した姉か弟かがこちらに向かって来るに違いない。
だが反応は予想とちょっと違った。
「ちっ、なんでお前らがここにいる!? バカめ、さっさと隠れろ!」
アトランが舌打ちしながらも、こちらに怒鳴る。
けど内容がどういうことだ。それはあたかも心配しているようで、いやそもそも今更気づいたの?
だが、その危惧というのがすぐに分かった。
「あ? ……インジュイン? もしや、イース国の」
妙な反応をするのがもう1人。
現状、僕らに対する位置にいるパーシヴァルその人だ。その顔には驚きと、喜色、そして狂気が生まれた。
なんだ、その妙な顔。
嫌な、予感。
「その女どもを捕まえろぉ!!」
パーシヴァルの怒号一閃。背後の100人が突如、荒れ狂う怒涛の波となって襲ってきた。
「ちっ、渡すかよ! おい、てめぇら逃げろ! 捕まったら、利用されるぞ!」
「馬鹿がっ! それはあんただろうが、愚弟!!」
瞬間に理解した。要は僕らはトロフィーなのだ。手に入れた方がイース国の力を背景にできる(と信じている)というもの。相手に対する切り札を手に入れることが彼らにとっての正義なのだ。
はっ、ここまでもの扱いされると、いっそすがすがしい。
そしてそのせいで、今や200人の兵が何もしないでここにいて、指揮を取るものがいないから火災は収まることはない。圧倒的な悲劇が引き起こされようとしている。
それはもう、あってはならないこと。
となると、続いてやるべきことは1つ。
できればこういう手段は取りたくなかったけど。仕方ない。
そしてこんなところで寿命は使いたくない。うん、たぶんいける。あまり強い感じはしない。あの山県昌景の赤備みたいな精強な相手からすれば月とスッポン。曹操と曹爽。司馬懿と司馬瑋(ちょっと微妙か)。劉邦と劉封(どっちが上だ?)。
それに最近、体が軽い。血を吐きすぎてそのせいかもしれないけど。
「イリス!」
「はいよっと」
カタリアに言われ、潔く飛び出す。なんだかこんな役回りが定着しそうだけど、まぁいいや。
とにかく今はこの場を鎮定する。そして、この被害を鎮圧する。それだけ。
「イリス・グーシィン。参るっ!」
見様見真似で左半身になって構えて格好つけてみた。
けど、いいじゃないか。
これは誰かの命を奪ったりする戦いじゃない。この人迷惑な姉弟を大人しくさせ、火災に困る人を助け、巡り巡って国を助けるためのものだから。きっと。