第170話 他国のいざこざに介入すること
港湾部はひとえに地獄だった。
家が燃え、煙が舞い、悲鳴と泣き声と苦痛の叫びが飛び交う悲痛の場と化していた。
昼間に高台から見下ろした時には、陽を反射した海面が光り輝き、活気のある感じの湾港で、汚れた海しか知らない僕からすれば素敵な場所だと思った。
それがこんな……。
先月。
トント国の陰謀で焼き討ちにあった下町を思い出す。あそこも地獄だったが、ここも劣らず地獄だ。
違うのは自分で自分の国を焼き討ちしたこと。なんでそんなことを。そう思うと怒りがこみあげてくる。
「あんのバカ姉貴……」
アトランが苦々しく吐き捨てる。
この光景を忌々しく思っているんだろう。身内の愚かな行為に、さすがのこの俺様次期太守候補様も憤慨しているのだろう。
それを僕は隣で聞いていた。
そう。ここまで来るのに、少しごたごたがあった。
「野郎ども、人数集めろ! 今すぐ向かうぞ!」
町が燃えている報告を受けたアトランは、これまでのヘタレ具合から一変し、矢継ぎ早に部下たちに指示を出した。
さすがに自分の住む町が襲撃に遭って平静でいるはずがない。だから救助活動にでも出るのだろうと思ったが。
「武器を用意だ! 一応、身内が相手だ! 光り物はしまっとけ。ただ剣は腰に差してけよ!」
「え……何をする気?」
「あぁ? 何をするもクソもねぇだろ。姉貴が俺様の領土に手ぇだしやがったんだ。しっかり落とし前つけねぇと、姉貴とのパワーバランスが崩れるだろうが!」
「いや、そうじゃなくて。焼き討ちにあってるならまず民衆を助けないと」
「んなことより、まずは姉貴だろ!」
そんなこと?
今、焼き討ちにあって悲しみと恐怖に包まれているだろう、人たちを放っておいて。姉弟ケンカを優先するっていうのか。
間違ってる。圧倒的に根本的に潜在的に間違ってる。
こいつはあの地獄を知らないんだ。すすと灰に汚れたこともなければ、家を失って悲しむこともない。
下の暮らしを知らなければ、同情する感情さえもなくすというのか。
そう思ったから、力に物を言わせてでも考えを改めさせようと一歩前に出た――が。
「イリス」
カーター先生に肩を掴まれた。力は大したことはないが、ぎゅっと握りしめられた熱が僕に自制を促す。
「先生……」
「これは俺らとは関係のないことだ。深入りするな」
「でも」
「ウェルズの時とは状況が違う。あれは他国からの侵攻に対する迎撃だ。今回みたいに内輪の争いとは異なる。それにあの時はレイクという将軍が便宜を計ってくれたんだろう?」
「う……」
「他国の家のことに関わるにはイリス、申し訳ないが君には格が不足している。それに経験も。そもそも下手に介入して、余計こじらせたらどうする? 君の責任でこの国の未来が決まる。それほどの決定権を君は持っていない」
確かに先生の言う通りだ。厳しい意見だけど、大方正しい。
これは他国の身内でのこと。下手に介入しても混乱を招くだけかもしれないし、向こうにとっては有難迷惑かもしれない。
お家騒動では、強力な後ろ盾を得た方が勝ちやすいけど、逆にそれは大きな枷になるのだ。後ろ盾のおかげで勝てたとなれば、以降はその後ろ盾に頭が上がらなくなる。それをこのアトランという男はよしとするかと言えば、ありえないだろう。
だからここで無闇に介入して、恩を着せたとしても、それはイース国のためにはならない。
そう先生は言っているんだ。
「わたくしも先生の意見には同意しますわ」
「カタリア……」
カタリアも反対していると知り、歯噛みした。
彼女なら、凱旋祭での事件でともに救助活動を行った彼女なら分かってくれる。そう思ったから。
「ただ、この火災事故に対し、友好国であるわたくしらが何もせずに手をこまねいていると、それはそれで信用を失することだと思います。なので、少なくとも救助活動に関与すべきですわ。それにユーンとサンの宿舎もあの辺りにあるはず。彼女らと合流し、打開を図ります」
「カタリア!」
やっぱりカタリアはカタリアだ。あの時の熱を忘れていない。
それが嬉しくて、カタリアを見てしまう。
「ふん。何を喜んでるのかしら。わたくしは今、最善と思う手を打つだけ。あなたなんかのために手を貸すと思ったら大間違いですわ!」
「ああ、それでもいいよ。手伝ってくれるなら本当にありがとう」
「……わ、わたしはそにょ、にゃ、なんでもないでしゅわ!」
顔を真っ赤にしてそっぽを向くカタリア。
うん、このツンデレ&残念具合。これぞカタリアだな。
「……分かった。だが、少しでも危険だと判断したら、自分たちの身の安全を最優先だ。いいな?」
カーター先生も覚悟を決めたらしい。
僕は黙ってうなずき、カタリアは小さく鼻を鳴らす。
「いくぞ、てめぇら! 今日こそ、あの馬鹿姉貴に引導渡してやるっ!!」
アトランが威勢よく飛び出していく。それに続くのは、100名ほどの屈強な男女。
やれやれ。僕らは完全に忘れられてるぞ。まぁそれは好都合だ。
そういうわけで、飛び出したアトランたちのあとを追った。
その途中。カーター先生と別れた。先生にはラスたちと合流するために、ホテルに向かってもらったのだ。
そして先に出発したアトランたちにようやく追いつき、黒煙もうもうと上がる町の今に至るのだった。
この世界の建造物は石造りが多いが、すべてというわけじゃない。
それにこの鼻をつく刺激臭。油か、漁港なら鯨油という選択肢もある。火をつけることには苦労しないだろう。
その様子に怒りをこらえきれない様子のアトラン。
救助活動をすべきだと、最悪殴ってでも言うことを聞かせるべきだと声をかけようとしたところで。
「姉貴、いるんだろ! 出てこい!」
「え?」
アトランが叫んだ先。
燃え盛る家屋の脇道から姿を現したのは、ジャラジャラと派手なアクセサリーを体に巻き付けるようにした20代半ばほどの女性。その顔には恍惚とした瞳に、あざけるような妖艶な笑みを浮かべている。
指が見えなくなるほどの指輪をして、耳には大きいイヤリング。さらに首元には何重ものネックレスがかけられ、見ているだけで肩が凝りそうだ。
さらに目を引くのはその格好。
ところどころを斬り裂いたように破かれていて、胸元が見えそうになっている。足も結果的にスリットになっているようで、その長く細い足に、カタリアの姉クラーレとはまた違ったエロティシズムを感じなくもない。
そのあまりに煽情的な格好をした女性が、唇を舌でしめらせると、ねちゃぁと擬音が聞こえそうなほどゆっくりと口を開いた。
「馬鹿みたいに騒ぐんじゃねーよ、この馬鹿弟が」
悪態だった。
その良く言えばちょっとした性癖を持つ大富豪のお嬢様、超悪く言えば高級娼婦といった姿の女性だが、そのどちらにしてもこのような言葉遣いはしないだろう。てかもうヤンキーだ。
その悪態に対し、沸点の低いだろうアトランが激昂しなかったのは、彼女の背後から現れた100人ほどの兵を見てのことだろう。
「よくもやってくれやがったな、パー姉ぇ」
「その呼び方をするんじゃないよ。パーシヴァル、いや、パーシィ様と呼びなと何度躾ければわかるんだろうね? この愚弟は」
そう言ってあざ笑うパーシヴァル。
彼女こそがこの国の太守の娘であり、アトランの姉にて後継者争いのもう一枠。
この邂逅に、ノスル国最大の惨禍が生まれる。そんな気がしてならなかった。