第169話 恫喝ときどき襲撃
「こ、これで……いいだろ!? おい、もうそれ、しまえって!」
自称・次期太守は、手で自分の鼻を抑えているが、そこから血が垂れている。
そんな相手に対し、僕は食事用のナイフを突きつけているわけだけど、さて、どうしようかな。
「イリス。聞く必要はありませんわ」
状況を眺めていたカタリアから声が飛んできた。
首だけ振り向いてみれば、カタリアは捨てられたゴミでも見るような視線をアトランに投げかけているし、カーター先生はハラハラとした面持ちでこちらを心配そうに見ている。
「分かってるよ、カタリア。どうせ捨てた瞬間に、囲まれるのは目に見えてる」
「なんでそれが分かっ……あがっ!!」
自分で自分の策をばらす奴がどこにいる。もうなんか可哀そうとも思わない。ひたすらに哀れだ。
正直、暴力は好きじゃないけど、こうなったらこの立場と人生を分かってない子供に、世間の厳しさってやつを教えてやるのも、年長者の役割だろう。
「さて、そういうわけで社会の勉強といこうか。1つ、拉致監禁をしてはいけません。1つ、暴力を振るってはいけません。1つ、身に余る贅沢をしてはいけません。1つ、お客様に迷惑をかけてはいけません」
「て、てめぇら汚ねぇぞ! てかてめぇが暴力振るっただろ!」
「さぁ、何か夢でも見てたんじゃないかな?」
「ぐっ……お、俺様に何かしてみろ! 親父が黙っちゃいないぞ」
やれやれ。ここまで頭がお花畑だとなんとも言えないな。
傲慢で成金で命令すればすべて言うことを聞くと思っている。そしてあまつさえ、親の名前を出してくるとは。
「親がどうした。僕は君に話を話をしているんだよ、アトランくん? 君のお父さんじゃない、ここにいる、君に聞いているんだ。なぜ僕らをさらおうとした? 僕らがイース国からの使者で、太守様と謁見していたのは知っているんだろう? 終わったタイミングを見計らって来たんだから」
「そ、それは……お前らを手に入れれば、後継者争いに、有利になるから、だよ」
やっぱりそういう系か。
お家騒動においては、誰をバックボーンとして置くかが重要だ。国内の支援はもちろんのこと、他国との関係性も十分に考慮されるべきだ。
上杉謙信の後継者争い『御館の乱』は、勝者の上杉景勝が武田家を味方に引き込んだことで最終的な勝利を得たのは有名だ。
この男も、イース国の僕らを引き込んで、次期太守のリードを広げようと思ったのだろう。
本当。こんなやつが跡継ぎの1人だなんて、あの爺さんもかわいそうに。
「で、その親父ってのは誰? どうせ国の重臣とかだろ」
「は? てめぇら、親父に会ったんだろ? すっとぼけてんじゃねぇよ」
「いや、この国に来てまだ1日だから。特にそれは……」
「はぁ!? んなわけあるか。親父と会ったから狙ったんだよ!」
なんだろう。なんだか話がかみ合わない。
というか僕は今、超絶とんでもない勘違いをしているんじゃないか?
じわっと冷や汗をかいた。
「俺様の親父は、ノスル国の太守エラス・ピレートだ!」
「…………ええ!?」
いや、そんな馬鹿な。
だって、太守の爺さんは……爺さんで。多分70過ぎてるだろ。それの息子が20代って……。
「あ、息子じゃなくて孫とか?」
「んなわけあるか! 俺様はれきとした、あの爺の息子だよ! 50の時に生まれたんだ」
…………はっ。一瞬気を失っていた。
50での子供? いや、確かに現代でも聞かなくはないけど。大分ハッスルしたなぁ、爺さん。
「待ちなさい。それが本当だとして、なぜあなたが後継者になるの? 建国の忠臣たるイース国の太守以外は、世襲は認められないはず」
カタリアが口を挟んできた。
そういえばそんなしきたりあったな。
「へっ、そこはもう。俺は親父の息子だが、養子に出されてピレート家の人間じゃないのさ。だから継げる」
「いやいや、そんな無茶な」
「その無茶を道理にするのがうちの親父たるゆえんなのさ。しっかりアカシャ帝国のお偉方は買収済みよ。家が違うから世襲じゃない。だから俺様は継げる。そういうことなのさ」
金で解決してるってことかよ。国も長く続けば上層部も腐ってくる。売官(金で役職を売ること)をする輩も出てくるのは不思議じゃない。
ただ、いやいや。なかなかどうして。あの爺さん。人の好い感じを出しながらも、やり手じゃないか。いや、僕らを殺す芝居とかするくらいだ。それくらいじゃなきゃこの乱世で一国をまとめられないのだろう。
「ということは本当に?」
「本当も本当だ! こんな状況で嘘言うか!」
カタリアの念押しにガクガクと首を縦に振るアトラン。
対するカタリアは視線を上にあげて、考え込むようにして、カーター先生と目を合わせて何事か頷き、
「…………じゃ、そういうことで。イリス、あとはよろしく」
「って、えぇ!?」
帰るのかよ!
「だって、仮にも太守の息子を殴ったんですから。あ、わたくしは関係ありませんわよ」
見捨てるのかよ!
「あぁ、まぁそういうことだ。イリス。君との思い出は大切にいつまでも心の奥に」
売るのかよ!
2人そろってひでぇ。てかそうだよな。知らなかったとはいえ、太守の息子をグーパンして、しかもナイフを突きつけて脅しつけたんだ。あの爺さんに知られたら、どうなるか分かったものじゃない。
けど、それで僕だけに責任を押し付けて逃げるのは許せない。
「カタリア、もし僕が捕まったら獄中からお前のことを叫び続けるぞ。お前の命令ですべてやったって」
「ぐっ……わたくしを脅すつもりですの……」
「先生。つまり先生の言う愛ってそんなものだったってことですね。ええ、分かりました。永遠にさようなら」
「違うんだよぉ! けどこれは、でもさすがに国際問題はさぁ!」
はぁ情けない。
そんな身内の醜い争いをしている間に、視界の隅で、当事者のアトランがこそこそ動いているのが見えた。それは何かを計っているようで、
「隙ありぃ!!」
突きつける僕の腕につかみかかろうと手を伸ばす。
カタリアたちとの会話に夢中になっている隙を狙ってのことだろうけど、軍神には気配が見え見えだ。
「隙はないんだよ」
飛びついてきたアトランをかわし、足をかけてやることで無様に絨毯にダイブ。無様だった。
「くそ! なんでだよ! 俺様は太守の息子だぞ! だから俺様がこの国を継ぐ権利があるんだ! だから俺様に協力――ひっ」
絨毯をかきむしりながら、バタバタと手足を駄々っ子のように叩きつけるアトラン。
しゃがみ込んで、その首の後ろにナイフを当ててやると、時が止まったかのようにアトランの動きがとまった。
「ここに力を入れると、首から下が動かなくなるって聞いたんだけど。試してみるかな」
「や、やめ……やめてぇ……」
なんだかもう、色々とダメだろ。こいつは。
脅しが過ぎたとは思うけど、自己中でわがままで子供すぎる。
だから僕は身を起こすと、ナイフを放り捨て、
「カタリア。もう国に帰ろう。これ以上は、ここにいても意味がない」
「明日の晩さん会はどうしますの?」
「丁重にお断りしよう。さすがにこのことを話すのは忍びないから、僕が急病ということで……」
僕としてはそれで、明日の朝にはこの国を発つつもりになっていた。
カタリアもここまでこじれた状況に身を置く不安もあったのだろう。少し頷いて、
「仕方ありませんわね。では――」
だが、その決断をぶちこわす使者が、部屋の外からやって来た。
「お頭! 大変です! あ、あれ? お頭!?」
「ここだ!」
突如、扉を大きく開けて入ってきた兵に対し、床に突っ伏しながら叫ぶアトラン。まったくもって威厳もへったくれもない。
「え……なんで地面に?」
「いいから、何が起こった!?」
「あ……えっと、その……そうだ! やられました! “奴ら”が第八地区に侵攻! 放火を繰り返しながら、こちらに向かって来ます!!」
え、なんだ!? 奴ら? 放火って……敵!?
「くそ、来やがったか。大方、こっちと同じ考えか!」
アトランがガバッと起き上がると、その目には激しい怒りの色が見えていた。僕らに対する怒りではない。その“奴ら”に対するものだ。
「ちょっと、何が起きてる?」
「うるさい! それより手を打たないと被害が広がって……ぐぇ!」
「何が、起きてる?」
とてつもない緊急事態が起こっているのは理解できる。それより、僕らの危機につながっているのは聞いていてなんとなく分かった。もしかしたら敵――デュエン国か、あるいは海から来た、まだ僕が知らない国かもしれない。
そんな戦闘に巻き込まれたらたまったものじゃない。
事情をよく知っていそうなこの男を吐かせて、この後の対応を考えなければ。
だから無理やり吐かせようと、アトランの首根っこを掴んで少しきつく締める。
それだけでアトランは情けない声をあげ、
「や、奴らだよ……奴らがここに攻めてくる。ヤバいぜ。さっさと迎撃の準備しないと」
「奴らって?」
「も、もう1人の、太守、候補……俺様の、姉貴だ」
「…………え?」