第168話 目には目を歯には歯を無礼には無礼を
連れていかれたのは、小高い丘の上にある立派な洋館。
国都をまるまる見渡せるその場所は、万が一があった時にすぐ発見できるためか、それとも権力の誇示か。
おそらく後者だろう。
というのも、
「よぉ、来やがったな。太守である俺様、アトラン様の屋敷に!」
洋館に入り、通された2階の部屋。
扉が開いて飛び込んできたのは、金で埋め尽くされた豪奢な部屋とその声だ。
壁も金。床も金。椅子も金。きんきらきんに輝く、すごい目に優しくない空間。
そこにほぼ唯一金ではない色を放つのは、金の装飾をほどこした白の詰襟を着た、金髪に白い肌に我の強そうな笑みを浮かべた20代半ばくらいの若い男。葉巻を片手に大きな金色の椅子に深く腰かけて、これまた金の机にどかっと両足を投げ出している。
その机の上には食べ終わった皿にフォークとナイフ、さらに果物が山のように盛られていた。
こいつが、そうなのか。ノスル国の次期太守の候補。アトランとか言ったな。
なんというか、一目見て分かる。こいつに任せると早晩国は亡ぶ。
成金趣味全開の悪趣味な内装に、合わせて趣味の悪い服装センス。緊張感も何もないしまりのない顔に、圧倒的に他者を見下すことに慣れている視線。
あの爺さんが心配するわけだ。
しかも候補が2人いると言ってたけど、それで決め切れていないということは、もう一方もこいつと負けず劣らずのダメ人間ってことか?
おいおい、爺さん。もっと人選あるだろ。
しかもさらに最悪なのが、その人品だった。
「あー……で? ちょっとお前、こっち来いよ」
と、金髪の男――アトランが指さして呼ぶのは、僕らを連れてきた部隊長の男。
「は、はい! え、いや、その……」
「いーから、さっさと来いっつってんだろ」
不機嫌そうに言い放つアトラン。
対する部隊長は、先ほどまでの居丈高な態度はどこへやら。すっかり縮こまってしまって、かといってアトランの言葉を無視することができずにおずおずと金髪の横へと近寄る。
「な、なんでしょうか」
「あー……えっとな」
気だるそうに視線を宙に遊ばせる金髪男。いったい、何をするつもりだ。
そう思った瞬間。
「呼ばれたら3秒以内に来いっつってんだろ!」
豹変した。
顔を真っ赤にして、怒鳴り散らす。ガチギレした様子で、机の上に置いてあった灰皿をつかんで、部隊長の顔面目掛けてぶつけた。
「ぐっ!!」
部隊長の悲鳴が飛び、灰が舞う。
その倒れた部隊長の後頭部に、机に乗せた足を大きく振り上げてかかと落としが綺麗に決まった。
「それから連れてこいっつったら5分以内に連れてくんのがフツーだろ! あ? なめてんのか、てめぇ?
「し、しかし5分は……まだ、過ぎて……いない、かと」
「なに口答えしてんだよ! 俺様が5分だと思ったらもう5分なんだよ! おら! 勘違いした俺様が悪ぃのか? それとも待たせたてめぇが悪ぃのか? どっちだ? あん?」
「そ、その……」
暴行を加えつつ、しまいには倒れ込んだ部隊長の頭を靴底でぐりぐりする金髪男。
ちょっと遅れた(本当は遅れてない)だけなのに、ここまでされるいわれはあるのか? そもそもそんなことを責める権利がこの男にはあるのか。
もやもやとした理不尽の渦が胸に巻き、そのはけ口を求めて足を一歩前に出す。
「イリス・グーイシィ。放っておくんだ。これは他国のこと。今は自分の身の安全を考えるんだ」
だが、カーター先生が僕の行動を見て静かに制止してきた。
けど。それでも。
こうも理不尽な暴行を目の前で起こされて黙って見ているなんて。
昔の自分ならそうしていた。
けど今は違う。
この殺伐とした世界。殺し殺されが当たり前の中でも、僕は僕でありたい。
理不尽な状況にただただ従っているだけだと、日ならずして命を落とす日常の中。
そんな状況を打破する力があるのだから。せめて目の前のことには抗っていたい。
それが、この世界で僕が信じること。
だから。
「イリス」
カタリアが呼んだ。
腕を組み、ただ悄然と目の前の光景を眺めながらも。
「やっておしまいなさい」
黄門様かよ。
けど、それでもいいと思った。
カタリアと思いが通じた。それがなんか嬉しかったから。
「ああ!」
だから揚々と答えて走る。
アトランはまだ部隊長を蹴って弄んでいる。
そこまでの距離、およそ5メートル。
軍神なら、2歩だ。
「どうなんだ、言ってみろ。悪いのは誰か。お前か、それとも――」
「お前に決まってるだろ」
「あ?」
こっちを見た。金髪の男。アトラン。口の閉まらないだらけた表情。焦点の合わない視線。
そのど真ん中に、思い切り右こぶしをぶちかました。
「ぶへっ!」
変な声を出して男が吹っ飛んだ。ふんぞり返った姿勢から、椅子ごと倒れて、無様に転がった。
ふぅ、少しスッキリした。
こぶしが濡れている。赤と透明の水。いや、体液だ。気持ち悪いからとりあえず近場の金のテーブルクロスで拭いた。消毒液が欲しいな。
「て、てべ……ほれはまに、にゃにを……こ、ころへ!! きゃつらを、殺せ!」
鼻を抑えて立ち上がった金髪がそう騒ぎ立てると、僕らをここまで連れてきた兵たちが殺気だって剣を抜く。
出口は抑えられている。先ほどの太守と違って、今回はさらに先生もいるから完全に逃げ場はない。
だが先ほどと違う点はまだある。僕らにとって有利な点。
僕はテーブルに乗った皿からナイフを掴むと、金髪につきつけてこう叫んだ。
「全員動くな! 太守候補の命はこの手にある!」
藺相如という中国の春秋戦国時代に活躍した宰相がいる。
彼はのちに中華統一を成す秦の国に、王のお供として同行した際。無礼な秦王に対し、無礼で返した。その際に彼は何事もなかったかのように秦王に近づき、
『私と秦王の距離は5歩だぞ』
と脅した。
要は要求をことわれば自分も死ぬが秦王も死ぬという脅迫だ。
もちろん藺相如に死ぬ気も殺す気もなかっただろうし、それを真似た僕も死ぬつもりも殺すつもりもない。
だがここは強気で押すべきところだ。
もう見て分かる通り、この自称・次期太守は俗物だ。欲望にまみれ、自分がてっぺんと信じて疑わない子供だ。
対するこの兵たちも俗物。この次期太守を担いであわよくばおこぼれにあずかろうという気が満々。だからどれだけひどい仕打ちをされても、黙々と耐えて言うことを聞く。
つまり、この自称・次期太守の命は存分に人質として有効になる。そう読んだが、果たして、
「う……うぅ」
青ざめた顔、頬がひくついている。
「武器を捨てさせろ」
「わ、分かった……お、おい。びゅゅきを、すてりょ」
なんか噛んで可愛い感じになったけど、鼻血を出したチャラ男だったから気持ち悪かった。
対して、それを理解した兵たちは剣を床に捨てた。
よし。これで喫緊の危険は去った。
あとはこいつを人質に状況を打開しなければ。
さてさて、どうするかな。