第160話 死神と僕と
「やぁ、よく来たね。いや、君も待ち望んでいた再会かな、これは」
「いつ、だれが、どこで、ここに来たいと言ったか聞きたいんだけど」
「その熱を帯びた瞳、紅潮した頬、湿りを含んだ唇。どれをとっても素晴らしい」
ティーカップをソーサーに置いて微笑む男にビンタをしたかった。
つか男に言い寄られて気分がいい男がいるわけがない。
「殺意を帯びた瞳と、怒りで紅潮した頬と、怒鳴る寸前の唇ならここにあるけど?」
「ふふ、言うようになったね。神を前にして、さすがだよ」
なにがさすがなのか。ひょっとしたらこいつは何も考えていないのかもしれない。
「そんなことはないよ。ボクはちゃんと足軽子ちゃんの考察と、今度のオフ会での立ち位置と、ブルーレイ版をどの店舗で買うかと、色々考えているのさ」
「オタク活動と一緒にするな。てかしれっと人の心を読むな……って、オフ会!? 誰と!? どこで!? いやいや、それ以前に何してんの!?」
人が生き延びるために必死こいて戦っているというのに。生死の挟間をさまよってるというのに。
「あぁ、いや。ごめんよ。これも情報収集のために必要なんだ」
情報収集。あの世界のか。
「ううん、足軽子ちゃんのトークショーが今度の――ぶへっ!!」
「あれ? 振り回した手が当たっちゃったぞー? 大丈夫か?」
「君、あの世界に行って野蛮になってない?」
「いやいや。ただ単に手を大きく振り回す運動をしたかっただけなんだけど、たまたま偶然恐ろしいことにお前に当たっちゃったんだよなぁ。大丈夫かな? いやー、偶然って怖い怖い」
「ボクは君が怖いよ」
「あ、でも大丈夫か。家電製品って叩けば直るって言うし」
「ボクは昭和のテレビかい!? ……分かった、分かったよ。降参だ。ボクの負けだよ」
「そうか。じゃあさっさとあの世界に戻してくれ。こんなところでぐだぐだやってる暇はないんだから」
「…………」
自称死神が僕の方をジッと見つめてくる。なんだよ、気持ち悪いな。
「まだ自称って思ってることとか、気持ち悪いって女の子に言われると傷つくなとかあるけど……」
「なんだよ」
「君も変わったね。あの世界に戻してくれ、なんてさ」
「…………」
変わった、か。
そうなのか?
分からない。
けど、あの世界には僕を必要としてくれている人がいる。支えてくれている人がいる。
そして何より。守りたいと思った彼女がいる。
それを放って、どこかへ行こうだなんて。そんな薄情なこと、たとえあの世界が苦痛と悲哀に満ちた地獄だとしても、もう考えられない。
「うんうん。あの『ケッ、ふざけんな、めんどくせー』とか言ってた君が、そんな献身的になってくれるなんて。お父さん、嬉しいよ」
「誰がお父さんだ。この自称・死神のくせに」
ん、そうか。こいつは自称とはいえ神を名乗っているのか。なら。
「お前ならできるだろ。あの世界の騒乱を鎮めるの。だって神なんだから」
「それは無理」
「なんで」
「それは君が一番よく知っているんじゃないかな。人間はね、神が『争いはやめなさい』と言っても聞かないのさ。むしろ神を口実に争いを行う毎日だ。それは人間だからこそ分かるだろう?」
それは……確かにそう、なのか。
けどそういう人もいるだろうけど、それがすべてじゃない。そう思いたい。
「結局、人間が起こした争いを止めるのは人間だけなのさ。だからボクは君に依頼した。武器も用意した。それ以上に何がほしいっていうんだい?」
「他のイレギュラーも武器を持ってるけどな」
「…………そういえば、寿命は大丈夫かい? あと2か月足らずで寿命が尽きてしまうわけなんだけど」
あからさまな話題転換だが、そのことについても恨みつらみを言っておきたかった。
「なんとかするよ。どっかの誰かさんが1年で他国を滅ぼせとかの無茶ぶりさえなけりゃ、もっと悠々自適の生活を送れたんだけどな」
「それについては申し訳ないと思っているよ。というわけでトラベリングジャンピングウルトラチャンス! ボクの頼みごとを聞いてくれたら、残りの寿命を倍にしてあげよう!」
「あ、いいです」
「即答!? 倍だよ、倍! お得だよ? 超特価大セールだよ?」
「自称とはいえ、悪魔とそんな契約結べないって。あとで見返りに何かとんでもないこと求めるつもりだろうし」
「悪魔じゃなくて死神ね! 神だから!」
「神が悪魔になった例もたくさんあるでしょ」
「…………というわけで、ボクの頼み事なんだけど」
本当、こいつ。都合が悪くなるとすぐ話題を転じるよな。
「う、うるさいな! 仕方ないだろ、ボクだって簡単に寿命操作ができるわけじゃないんだよ。それには相応の代償が必要っていうかさ」
「やっぱ裏があるんだ?」
「あ…………」
「で? どうなの?」
「…………倍になりはするよ。けど、ちょっと副作用があって」
「副作用?」
「他国を滅ぼした時のボーナスが半分になる」
「はい却下」
「なんでさ! 君が今必要なのは、未来の1億より、今の100万でしょ!?」
「完全に悪徳高利貸しの論理じゃんか……けど、やっぱり要らない」
「なんで!? 無理だよ、あと2か月ちょいでしょ? スキル発動を考えると、1か月もない。死ぬ気?」
「死ぬ気はさらさらないよ。けど滅ぼすってことを考えるとね。相手も人間なんだ。今回起きた戦いよりもっと多くの人が犠牲になる。それは怖いことだよ。そう考えると、無理に滅ぼす滅ぼされるってのを考える必要はないんじゃないかって。だから断る」
「………………あー! もう分かった! 今なら出血大サービス! 倍は無理だけど1か月ならボクの裁量で延長させよう! 本当はダメなんだけどね。1人に固執するのは。けどき、君だからやってあげるだけだから!」
「よし、言ったな。うん、言った。今更変更はなしだからな」
「……え?」
「いやー、さすがに2か月は辛いからね。3か月なら、なんとかなるだろう。よし、じゃあもうここに用はないな。じゃあ」
「騙したの?」
「騙してない。さっきのは僕の本心だよ。けど、お前の主導で色々進むのは嫌だったから。ちょっと賭けだったけど、負けても失うものはないし、やってみる価値はあったのさ」
「…………くっ、あはははは!」
急に笑い出したぞ。壊れたか。
「失礼な。ボクは神だから正気だよ」
その理屈はどうかと思う。
「なんだよ。けど、いいね。神相手にそこまでするなんて。ここ数百年はなかったよ」
お前は神じゃなくてただのオタクだけどな。
「いや、ボクは神でありオタクだ。しかしボクもまだまだ甘いな。そんなことすらも読めなかった。心も思考も読み切れなかったんだから。あわよくばって心はあったんだろうけど、君の本心に隠されてしまったわけだ。確かにさっきのは君の本心だった」
「そりゃどうも」
「うん、寿命の方はなんとかしよう。ボクから君への生還祝いだ。けど、それとは別に、ボクの頼み事も聞いてくれないか?」
「それは断る」
「君にも関係する話なんだ。実はボクの妹のことなんだけど……」
出たよ、非実在性妹。しかも僕はもうそれと会ってるとかなんとか。
「うん、その妹に会ったら伝えてほしいんだ」
やれやれ。断るって言ってるのに。これだから自称・神は。
人の話は聞かないし、自分勝手だ。
だが、この瞬間まで、僕はこいつを見くびっていた。
「お前の好き勝手にはさせない」
ゾクッとした。
いつもの朗らかで、マイペースで、オタクで、イケメンで、情けなさが優先されていた自称・死神。
だが、その言葉を発した時に、明らかにこの場の空気が変わった。圧というか、死というか。こいつを恐ろしいと初めて思った。
それほどのプレッシャー。
それほどの力の差。
死ぬ。殺される。
今まであったどの相手よりも、それを実感させられた。
だがそれも一瞬。
「じゃ、頼んだよ」
そう言った時は、いつものこいつに戻っていて、イケメンとしてただ笑みを浮かべていた。
反対に僕は息苦しくて、嫌な汗をかいていた。
それを見た自称・死神は苦笑した様子で、
「ん? いや、ごめんごめん。つい素が出ちゃったね」
素かよ。これがこいつの……。
少し、こいつとの関係を考え直した方がいいかもしれない。
「いやいや、それは困るよ。君とは対等な関係でいたいからね。ビジネスパートナーというところさ」
「はいはい」
「はいは1回でしょ」
「カタリアみたいなこと言うなよ……」
やれやれ。手玉に取ってやったと思ったけど、さすが自称・死神。えげつないやり方でペースを戻しやがった。
なんだかんだで恐ろしい相手なのかもしれない。
いざとなればその妹とやらと組んで、こいつに下剋上を――
「こらこら、それはさすがに読めるよ」
ちっ。そうだった。残念。
まぁいいや。少なくとも寿命の確保はできたんだ。
それだけでも上々としないとな。
「そうそう、何事も欲張りすぎないこと。過ぎたるはなお及ばざるがごとしってね。さって、これで今回のボクの出番は終わりかな。じゃあさっさと出てってくれないかな。この後、同志たちと足軽子ちゃんのBD予約について議論をしないといけないんだ。とりあえずタペストリーと専用BOXは確保必須だけど、その後をどこまで買うかってところなんだよね。ぐぬぬ、天界アニメもアコギな商売をする……!」
「お前の方こそ過ぎたる者だよな……」
どうでもいいけど。
心底どうでもいいけど。
大事なことなので2回言いましたよっと。