第17話 逃避行
抜け道のある部屋に入ると、誰もいなかった――わけではない。
「戻られましたか……」
ホッとした表情を浮かべた、先ほどの初老の男が待っていた。
彼以外は先に脱出路を行ったのだろう。彼らのために、命を投げ捨てる男たちの犠牲を無駄にしないためにも。
「よろしいので」
「うん。託されたから」
「そうですか……」
何とも言い難い表情を浮かべられた。
託されたものの重さと、僕の年齢を憐れまれたのだろう。
それでも自分の中には不思議と切迫感とか重圧はなかった。
まずやってみる。それから決める。
それからすぐに自分たちも脱出にかかった。
追手が来ないよう、部屋に火を放ったうえで。初老の男は(伊達や酔狂で僕を待っていたわけではなく)この後始末こそ最後の役目だったのだろう。
そして脱出路を抜け、出た先で他の職員と合流。
周囲に人影はなかったが、それでもここは敵地。安心する間もなく逃避行のための移動を始める。
途中、村には自分だけが寄って馬を返した。村長は僕にプレゼントの思いで渡したというのだけど、一頭だけいても意味がないから丁重に送り返した。
そして不安の中で待っている侍従長たちに合流した。
僕たちを見て顔を輝かせた兄妹にはなんと言えばいいのか迷っていると、侍従長の悲し気な視線に気づき、彼女が首を横に振ったことですべてを理解した。
今はまだ、話すべきではないと。
そして総勢40名ほどになった一行は、北へ向かうことになる。
もちろん、イース国という彼らの母国へと向かうためだ。
国境までおよそ20~30キロ。休まず歩いて4,5時間といったところか。
いや、もっとかかるだろう。
休憩の時間が入るし、何よりうちらにはマーナやセイラほか職員を含め女性が多い。さらにトウヨとカミュみたいな子供もいるし、侍従長など足腰の弱った人もいる。
男性もお屋敷勤めの人間ばかりだから、それほど頑強というわけではないし、彼らが脱出の際にリュックサック型の荷物を背負っているのだからそちらも速度は期待できない。
その荷物には、とりあえず詰め込んだ食料と水、それからランタンやナイフなど、これから生き延びるために必要なものだから捨てるわけにはいかない。
ましてや木々の生い茂る林の中だ。
さすがに平地を行くにはこの集団は目立ちすぎる。
そのため足元が悪く、条件として最悪だが、捜索に目を向けさせて少しでも追撃の足を鈍らせる必要があった。
そんな足弱な集団で最低20キロも歩くとすれば、1日かかってしまうかもしれない。
叔父さんは30分は粘るといっていたから、あと20分ばかりは稼げるはずだ。
あとは僕が倒したあの騎士連中。彼らが復活しても縛り上げられた状態だから1時間は動けないはず。
だが彼らの仲間が不審に思って様子を見に来たりしたら。それだけ安全な時間がなくなるということ。
追っ手が来るのも、もはや時間の問題。
ただ、大使館の人間ということから、この国にもそれなりに精通していることもあり、荷物の中には周辺の地図があって迷うことは少ないということが唯一の救いか。
最初は逃げ出せた安堵からか、誰もが口が軽かった。
トウヨは何かを感じてたのか少し押し黙ってしまったが、カミュは皆での移動に何やら楽しそうにはしゃぎまわっていた。
だがそれもすぐに途絶える。
誰もがこの先の不安を思い出し、誰かを犠牲に助かったことの息苦しさを覚え、そして何より疲労による体力低下がそれを許さない状況にしたのだ。
「ふぅ……」
そして2度目の休憩。
木にもたれかけながら地図とにらめっこする。
これまででようやく半分来たか。
4時間ほどで十数キロ。
悪くはない数字だけど、おそらくこれからもっとペースは落ちてくるだろう。
すでに夕陽が西に見えている。
日が暮れれば、林の中を歩くのは危険だ。ただ、身を隠す必要もないから平野に出ても良いだろう。
問題はその後。
話によれば国境には、数キロ単位で国境守備隊の詰所があるという。
普段なら特に問題もなく通行できるが、それは平時の話。
今は戦時だ。
これから侵攻しようという国との国境に、緊張が高まっていないわけがない。国境の守備隊は、完全にザウス国への出入国に対して目を光らせているだろう。
それにもしかしたらすでに僕らが逃亡したことが伝わっている可能性はある。
ここまで4時間かかったのだ。馬を走らせれば、十分に往復できるだけの時間が経っていた。
そんな状況に加えて最悪なのが、イース国側にはこの情報が何も伝わっていないということ。
イース国側としては、ザウス国の国境守備隊が動いているが、それがなぜなのかが分からない。かといって国境を越えればそれは侵犯になるから、ザウス国と揉めるつもりのないイース国としてはそんなことはできない。
くそ、ゲームなら国境守備隊に命令してザウス国の守備隊をけん制させるとかできるのに。
これがリアルか。
「お疲れですか」
と、不意に声をかけられた。
見上げれば、1人の男性が立っていた。
見覚えがある。あぁ、大使館に入った時に一太刀くれたあの男性か。
両手には、この場所には似合わないティーカップが握られていて、その片方をこちらに差し出してきた。
「どうぞ」
「あ、ありがとう」
ティーカップを受け取ってみたものの、どこかぎこちなさが残る。
思えばこの人、いきなり斬りつけてきたり、いきなり手討ちにしてくれとか言ったりで、怖いんだよな。
あの時は無我夢中だったからいいけど、こうやって一度落ち着いてしまえば、自身アビリティの人見知りが発動するものだ。
「そこ、失礼します」
と、男性はあろうことか僕の横に座り始めた。
なんで!?
なんでいきなりそんなことができるの!?
このぐいぐい来る感じ……ヤバい、苦手だ。
落ち着くためにティーカップに口をつける。味がしない。てか水だ、これ。
そりゃそうか。こんなところにお湯があるわけない。ティーパックというものも存在しないのだろう。だから保存用の水を水筒に入れたのを注いだだけだ。
「このティーカップ、なかなか良いものでしてね。ザウスの手に渡るか燃やしてしまうのであれば、持って帰ってやろうと荷物に詰め込んだんですよ」
「へ、へぇ……」
「…………」
「…………」
会話終了!
てか人見知りとか口下手以前に、何を話せばいいのか分からない。
そもそも住んでいた世界が違うのに話が合うわけがない。
いや、これは別に僕が気を遣う必要はないんじゃないか?
向こうが勝手にやってきて、勝手に座っただけ。そもそも僕は今、地図を見てるんだ。だから会話できない。はい、以上!
「しかし驚きました。誰もが慌てている中、冷静に情報を分析して実行に移し、この逃避行を成功させておられるのですから」
続けるのかよ!
と心中でツッコミつつも、現状の話だし、少し楽観論が混ざっているので、たしなめるように答える。
「まだ成功はしていないよ。ここからが本番だし」
「ええ。しかし、なんでしょう。貴女を見ていると、成功は約束されたもののように思えます」
「大げさだよ」
「そうですね。ですが、やはり感心せざるを得ません。いえ、上から目線というわけではないのですが。これがイース国重鎮のグーシィン家の血族ということですか」
「家とか血は関係ないって」
だって、僕自身は血がつながってないしね。
それより家柄とか親の七光りとか、そういうのを誇示する連中が僕は嫌いだ。
彼らにすれば、それも能力の1つなのだろう。
けどだからって、それ以外が無能でいいはずがない。特に人の上に立つ人間ならなおさらだ。
歴史だってそれを証明している。
日本の長い歴史を紐解いても、親子で超優秀だった人間はそれこそ数えるほどしかない。
織田信長だって子供は凡庸、馬鹿、野心家と目立った人物はいない。足利家も徳川家も、子、孫の世代まではいいけど、あとは一部を除いてあまりいい噂はない。
三国志においては、かの蜀漢皇帝・劉備の息子の劉禅や名将・夏侯惇の息子・夏侯ボウらはゲームならパラメータもワーストを競うレベルだし。
多分、子世代は親の苦労を身に染みて体験しているからよくて、それ以降は苦労を知らない世代だから暗愚になっていく、ということなのだろう。
ま、親はただの会社員で、子は無職の引きこもりゲーマーが言うことじゃないけど。
閑話休題。
「じゃあやはり貴女個人の能力ということですね」
ん……そうなる、のか?
それはそれで、困るな。あまり褒められるのに慣れてないし、それが赤の他人だったとすればなおさら。
「ともかく、お礼が言いたかった。何より、謝罪したかったのです。刃を向けてしまい」
「だからいいって。昔のことは」
「そういうわけには。これでもグーシィン家に連なるお方の部下でした。貴女の御身は私が守ります」
「あ、はぁ……」
なんか余計気負っちゃってる気がするけど、なんとなくその覚悟に口をはさむのは躊躇われた。
「それだけが言いたかったのです、では」
男性は、慌てて立ち上がると、そのまま逃げるように走り去った。
「あ、えっと……」
そういえば名前。聞いていなかった。
まぁ国境を越えれば落ち着くから、その時にしよう。
そう思った。