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第158話 山県昌景という人物

 来なかった。

 山県昌景の放った炎は、僕に向かわず狭路の方へ。

 刀より放出された炎は地面を駆け、僕が倒させた木々を包み燃やす。


 それを横目で見ながらも、僕の動きは止まらない。止まりようもない。


「これで――ぐっ!」


 僕の赤煌しゃっこうが、したたかに昌景の右腕を打ち砕いた。バキッと嫌な音がしたから、骨が折れたことは間違いない。

 こちらも殺されると思い込んでいたから、手加減なんてできるはずもなかった。


「っ……」


 痛みに顔をしかめ、昌景の体がゆっくりと馬から落ちる。


「お前、なんで……」


 僕を焼き殺さなかったのか。

 やろうと思えば簡単だったはずだ。なのにしなかった。それが不思議で、つい口に出ていた。


 それはつぶやきにも似た、答えを欲していたけど答えは来ないだろうと確信していた問い。


「私の使命は総大将の命を守ること。そうお屋形様に教えられた」


 まさか答えが返ってくるとは思わず、少し驚いた。

 けど、それ以上に歴史的好奇心の方が勝る。


「お屋形様って、武田、信玄?」


「知っているのか、お屋形様を!? あるいは、この世界に!?」


 ガバッと顔をあげた昌景。その顔には光明を見出した喜色にあふれ、これまでの敵としての山県昌景ではなく、どこか大切な人を想う、どこにでもいる1人の乙女でしかなかった。

 いや、いまだに山県昌景が女性ってのも受け入れられていないんだけど。


 そして思い出す。僕は今、この世界の住人。イリス・グーシィンの顔をしている。それが武田信玄を知っているとなると、色々面倒になるだろう。


「あ、いや。聞いたことがあるんだ。その、そういう人がかつていたって」


「そう、か」


 ほっとしたような、がっかりしたような。多分後者だろう。

 武田四天王。信玄の懐刀とも言われた人にとって、その存在は見えずとも大きすぎるのか。


 同時、なんだか少し嬉しくなった。

 場違いだと分かっていても、かつての豪傑や英雄といった人たちも、僕たちと同じように悩み、苦しみ、焦がれるのだということを知れて。親近感が増したというか。


 戦闘はまだ続いているのに、僕と昌景のいる空間だけは時が止まったかのように他者をよせつけない。


「二度と、大将を放り出して戦いにのめり込み過ぎないよう誓った。あの川中島のように」


 川中島。そうか、第4次川中島の戦いか。

 信玄の軍師・山本勘助やまもとかんすけが進言した啄木鳥きつつき戦法(※俗説あり)を見破った上杉謙信は、信玄の本陣を強襲。そこで山県昌景は、上杉方の鬼小島弥太郎おにこじまやたろうと一騎討ちになる。

 だが信玄の嫡男・義信よしのぶの危機を知った昌景は、一騎討ちの相手の弥太郎に休戦を申し込み、義信の救出に成功したという逸話がある。


 これは昌景の忠義を称え、鬼小島弥太郎の器の大きさを示す良い逸話とされているが、今の昌景の言葉を聞いて、個人的に評価が逆転した。


 まず、そのころには完全に武田の主力として名をはせていた昌景が、いくら混戦とはいえ一騎討ちに軽々しく応じるなんてとんでもないことということ。

 さらにその当時の武田軍の、最強とも言われるゆえんは、圧倒的な信玄信仰によるものがある。信玄のために生き、信玄のために死す、というくらいに激しい熱を持っていたから武田軍は強かった。

 それにもかかわらず、昌景は信玄ではなく嫡男を守りに行った。


 現に信玄は、謙信と一騎討ちになり軍配でなんとかしのいだという、九死に一生を得ていた。

 信玄がもし死んでいたら、嫡男・義信の求心力ではどうにもならなかっただろうことを考えると、優先順位の違いがつけられていなかったのもある。(擁護すると、先ほどもあった通り混戦だったこと。まだ当時は赤備は兄(叔父とも)が率いていたので、将軍クラスではなかったこと、その兄が嫡男・義信の後見役だったことなどから、彼自身の責任ではないとも言える)


 けど、当の本人が今語ることでは、信玄から叱責があって、対象が平知盛になったということから、この言動に至ったということか。


「私の使命は終わった。早々に首を取るがいい」


 昌景は嘆息し、頭を下げる。それはお願いのための叩頭こうとうではなく、首を落とせという意味をもった行為と知り、少なからずゾッとした。


 首を取る? つまり、首を、斬り落とす? 誰が? 僕が? …………ありえない。できるわけがない。そんな恐ろしいこと。


 そこで思い至る。

 似ている、と親近感を抱いたとしても、やはり圧倒的に時代が違えば倫理も違う。

 戦国時代においては、人間の首を落とすことが至上であり、当然の様子だったんだ。


 現代の感覚からすれば異常。

 だが当時としては正常。


 その差異が、あまりに唐突に語られて、吐き気にも似た気持ち悪さがこみあげてくる。


「さぁ、早くしろ」


「いや、だ……」


 必死に絞り出し、それだけを言った。


「なに? 生き恥じをさらせと言うのか!? この私に!!」


 昌景が怒鳴る。なぜだ。殺さないと言ったのに、なんで怒られる。

 分からない。なんだか宇宙人と話しているみたいだ。


 それでもここで論破できなければ、彼女は死を望み続ける。あわよくば、玉砕覚悟で向かってくるだろう。

 それは被害が広まるから嫌だし、何より、やっぱり一度でも似ていると共感してしまった人を、言葉を交わしてしまった人を、死なせるのは嫌だった。もう、嫌だった。間接的に、レイク将軍の仇だとしても。


「逆に聞きたい。なんでそんなすぐに命を諦められる」


「それが武士だからだ」


「僕は武士じゃない」


「ならば腹を斬る。介錯しろ」


「それも、断る。それに腹も斬らせない」


「馬鹿にしているのか?」


「馬鹿にしていない。ただ――」


 堂々巡りの論陣。けど、それでも。僕は彼女に生きてほしい。そう思ってしまったから。

 嘘でも言い訳でも虚飾でも、なんでもついてやる。


「さっき、あなたは僕を殺すことができた。炎の向き先を少し向けるだけで、僕は今頃消し炭になっていた。けどそうしなかった。それは命をもらったってことだ。そして今、あなたは僕に命をもらった。だからこれでチャラだ。帳消しだ。だから次だ。次会った時に、今度は決着をつけよう」


 言ってしまえばトンデモ理論だ。けど、それくらいしか言えない。

 軍師スキルなんてあっても、時代も論理も正義感も違う相手に、そうそう通じるわけがないんだ。


 だから――


「……ふっ」


 笑った。

 それを見て、どこか肩の力が抜けた。


「知盛に似ているな、お前は」


「知盛。平知盛」


「アレは武士だ。いまだに平家再興を夢見る哀れなバカだ。だが、お前に似ているよ、そのバカらしさが」


「褒められた気がしないんだけど」


「……名前は?」


「イリス。イース国のイリス・グーシィン」


「覚えておこう、いりす。今は命を借りておく」


「言っておくけど、レイク将軍を殺したことは許さないから」


「戦いの結果だ。今、こうして腕を折ったのも、仲間を死なせたのも」


「なら侵略何てしなきゃいい」


「ムリだ。私たちは主君に逆らえない。恨みなどなくても、命じられれば戦うしかない」


「え……?」


 それは、どういうことだ? 逆らえない? あの山県昌景が? 信玄でもない、ただのこの世界のいち太守に? 何か弱みを握られているのか? あるいは……。


「ふっ、お前に行っても仕方のないことだな。ではさらばだ」


 茫然としている僕をしり目に、昌景は無事な左手で指笛を吹く。同時に片手で器用に馬に乗ると、そのまま燃え盛る狭路の中へと消えていく。

 そこらで争っていた赤備も、追撃を受けながらも炎の合間に消えていった。


 残されたのは、立ち尽くす僕とそこらに散らばる数々の死体。


「イリス。なんで逃がした?」


 クラディさんが近寄ってきて言った。

 その顔には、いつもと変わらない難しい顔が浮かんでいたが、答え次第では剣を抜くような気迫は籠っていた。


 殺したくなかったから。

 それが一番の答えだけど、それを言ったら大騒ぎになる。


 けど、正直言えば、あの時。

 昌景を殺すことはもちろん、捕えることすらもできなかった。


 というのも――


「ごめん。けど、死なないようにするのが、精一杯だったんだ」


 答えが来る前に、足に限界が来る。

 足の寿命が来たように、ぷつりと力が抜けてその場にへたり込む。腕も神経が切れたように動かないし、うなだれた格好の首もぐにゃぐにゃの蛇みたいだ。


 もう動けない。喋れない。聞こえない。見えない。

 けど生きている。僕は、まだ生きている。残り少ない寿命が、さらに縮まったけど。なんとか血を吐かずに耐えられたけど。生きている。


 生きて、いるんだ。





 終戦報告

 デュエン軍:死者837名、負傷者1525名

 ウェルズ軍:死者921名、負傷者1311名、討死レイク将軍



切野蓮の残り寿命72日。

※軍神スキルの発動により、11日のマイナス。

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