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挿話17 平知盛(デュエン国軍師)

「敵に動きだと?」


山県が入ってきて開口一番に伝えてきた言葉に反応する。


「そぅ。で、どうする?」


「放っておけ。こっちに来るわけではあるまい」


「それはそうだが、いつにもまして不機嫌だね」


 山県がやれやれと肩をすくめる。


 ふん、早朝に起こされれば多少不機嫌にもなろう。

 そもそも相手は明日出てくると声高に叫んでいるのだ。それに夕餉ゆうげをしっかりとっているということは、今夜は動かないということ。


「我が軍の夜襲の備えは万全だ。仮に来たら返り討ちにしてやる」


「ま、あんたが言うなら間違いないだろうさ。けどね……」


「気になるのか、あの異能持ちが」


「…………」


 山県は答えなかったが、そうだと雄弁に語っているようなものだ。

 自分自身も、手合わせして尋常でないのは身に染みた。


 そして確信した。あれを生かしておいては平家の――いや“でゆえん国”の障害になる。

 軍神などのたまうたわけた奴は、籠に閉じ込めるかさっさと殺すに限る。


 あの九郎判官くろうほうがん(義経)は頼朝よりともごときに殺され、その源氏の直系もすぐ滅ぼされ北条の天下になったという。

 北条は確か桓武平氏の流れではなかったか? やはり平氏! そう、平氏なのだ、武士の頭領は! 平氏万歳!


 ……こほん。


 さて、というわけであの異能持ちを殺しておきたいのは同意するが。何やら目が覚めてきた。これでも寝起きはいい方だ。せっかくだから敵の様子でも聞くとしよう。


「敵はどうしている?」


「はっきりは分からない。ただ陣から少数の軍勢が何度も出入りしたって」


 数を悟らせぬためか。小癪な。


「千代女の離脱が痛いね」


「あぁ、傷は大丈夫なのだろう?」


 千代女は敵の将を討つ際に、抵抗にあったらしく傷を負っていた。

 自身と変わらぬ分身体。それがゆえに、分身体が傷ついても本体も傷つく。便利だが、厄介な弱点を抱えた異能だ。


「ああ。けど、使い過ぎだね。今頃休んでるよ」


「まったく、肝心なところで役に立たん」


「酷使したのはそっちでしょうに」


「心配か?」


「全然」


 ふん。千代女に聞いた時もそうだが、なんだかんだ言って仲がよさそうではないか。

 羨まし……くはないな。別に。

 平家の総大将は孤独にして孤高。父も兄もそれをよしとしていた。だからそれでいい。


「ふん、まぁいいさ。すぐに支度をする。本営に出よう」


 それから顔を洗い、鎧をつけて寝所から外に出る。

 もう8月も終わりだというのに、まだ外は蒸し暑い。これだから夏は苦手だ。


 とはいえ嘆いても仕方ない。

 軍営に出ると、すでに山形は準備万端で待っていた。他の諸将も出ている。千代女はいない。


「失礼します! 敵の動きが分かりました」


 しばらくして、出していた斥候から報告が戻った。


「敵の本陣はもぬけの殻です! 敵は東や南に出て行きましたが、どうやら西に進路を転じているようです」


「西に?」


「はい、西に向かう1千ほどの軍勢が3つほど確認されております! それと……負傷者らしき300ほどの軍勢が南に向かっているとのことです」


 1千が3つ。ほぼ敵の全軍だ。

 そして怪我人らは後方に送った。ということか?


「敵は逃げたのか?」「いや、逃げるなら南だろう。ウェルズの国都がある」「だがなぜ夜逃げのようにするのだ?」「そもそも怪我人たちと別れたのは分からんぞ」


 幕僚がさざめきあう。


 その中で広げられた地図を見ながら思考が巡る。


 これは……まさか。

 一気に眠気が冷めた。


 山県に視線を送るが、厳しい表情で地図を睨むだけだ。おそらくこいつも気づいたようだ。


「これは敵が諦めたに違いない。我らに敵わないと逃げ出したのだ!」「そうとも! ウェルズの国都まで遮るのは300の怪我人のみ!」「おお! 今こそ一気に踏みつぶしてウェルズを滅ぼすべし!」


 幕僚たちが力説するのを冷めた心持ちで聞いていた。

 この者たちは阿呆か? 何も考えていないのか?

 そう思ってしまったから。


「将軍! 何を迷っているのです!?」「そうです、敵は三々五々に逃げ出しただけ!」「今こそ総攻撃を! キズバールの雪辱を果たすのです!」


 私が何も言わないのを不審に思ったのだろう。誰もが唾を飛ばして声高に叫ぶ。

 その血気に逸った様子。今の会話で、敵の狙いの1つが知れたというのに、それに気づきもしないのだから。


 あまりに――


「愚かな」


「え?」「将軍?」


「愚かなことを言うなと言っている!」


 拳を机に乗った地図にたたきつける。

 それだけで幕僚たちは怯えたように黙りこくってしまった。


「ひゅー、さすが総大将」


 山県がちゃちゃを入れてくるが無視。


「今、窮地にいるのは我ら。敵に主導権を握られているのだと知れ!」


「なっ……」


 幕僚たちが絶句する。本当に何も見えていないらしい。


「良いか? 我々は今ここにいる。そして敵はこの陣地から出た、東と南から。残りの300は国都の方へ」


 地図に駒を置きながら説明してやる。

 どうして総大将の私がここまでしなければならないのか。本当に腹立たしい半面、自らの慧眼けいがんを褒めたたえたくもなる。


「敵の動きは西に向かっている。すべてがそうだな?」


「は、はい」


 駒を西へ。もちろん我らの陣の方ではなく、南に回り込んでから西へ。我らを避けるように。


「そ、それがどうしたのです?」


「まだ見えてこないなら、今すぐ一兵卒に落としてやろうか」


「っ!!」


 言われた幕僚は体を硬直させてしまった。その愚かさも腹立たしい。少しは考えてみればいい。


 そして数分が経った後に、1人が声をあげた。


「……あ! 我々が包囲されている?」


「馬鹿な。包囲とはいえ、敵は分散して孤軍。各個撃破できる」


「いや、それで正解だ。今、我らは包囲の中にいる」


 断言すると、幕僚たちは青ざめた表情でさざめきあう。


「だがそれだけじゃないだろう?」


 と山県が議論に入ってきた。

 やはりこの者には見えている。敵の狙いが。


「この3千。いや、1千が3つか。その向かう方向。そこに何があるか」


「先?」


 幕僚の1人が駒を西に動かす。我々のいる位置より西。それはつまり“でゆえん国”の方向。それはつまり――


「レジューム砦だ!」「そこには我が軍1千が包囲中だが……」「まさか連中の狙いはそこか!!」


 誰もが騒然とする中、1人の男が笑いをあげる。


「はっ、馬鹿な。砦には数百しかいないのだぞ? それを足しても我が軍の有利は――ぎゃあ!! な、なぜ……将軍……」


 男が血を出しながら倒れた。自分の手には血に濡れた脇差、その血をぬぐって鞘に差した。


「戦いを数字の過多でしか計れない愚か者はこの陣に不要。一兵卒に落とせば恨みを買うので斬った。この者の家族の保証はする、安心して死ね」


「あ…………ぐ」


 倒れた男は何かを言おうとしてこと切れた。斬った後に、いつも陽気で場を沸かせる気持ちの良い男だと思い出した。

 だがもう、その男のことは頭から消した。


「この愚か者を始末しろ」


 空気が一気に引き締まった。

 あまりに厳しい処罰と考えるかもしれないが、その愚か者のせいで数百、数千の人間が死ぬ。

 その楽観こそが、大国である“でゆえん国”の弱点で、“きずばある”の敗戦になったことになぜ気づかないのか。


「し、しかし将軍。砦を解放する意味は何なのでしょうか?」


 恐る恐る、幕僚の1人が聞いてくる。斬られるかもしれないと分かってあえて聞く。その心意気は買った。


「分からないのか? 敵がこの砦に寄って籠ると言うことを。我らの立ち位置は戦前と変わっているのだぞ?」


「……あ! これだと退路を断たれて」「補給路を断たれる! 本国からの輸送が止まるぞ!」「我らは敵地に取り残されるのか……」


 ようやくそこに思い至ったようだ。

 我らは少し勝ちすぎた。敵の本拠地である国都に近いとは、聞こえがいいが逆に言えば味方の本国から離れたことを意味する。

 そこで補給を断たれれば、我らに残されるのは飢えしかない。


「なら! それこそ先ほどあったように、敵の本拠地を突くべきでしょう!」「そうです! 敵はレジューム砦を攻撃している。国都は空のはず!」「5千が火の玉となって攻め立てれば、ウェルズの国都などすぐ陥ちます!」


 そう、それは正しい。

 1つの誤算がなければ。


「確かに敵の国都を陥とすのは可能。今から出れば、敵の3千が砦を落として我らの背後を突く前にできる」


「では――」


「だがここでこの300がいる」


「そんな、たかが300……いえ、侮っているわけではないのですが、怪我人の部隊がなぜ?」


「地形だ」


「え?」


 山県が指摘する。

 それを幕僚たちは不審に思い、ここから国都の道筋をたどる。すると――


「こ、ここは……」「まさか、あの」「キズバール!!」


 そう、“でゆえん国”の軍人ならだれもが知る敗戦。その契機となった場所に、敵は300を籠らせた。

 狭路で視界の悪いこの天然の要害は、怪我人とはいえ300もいれば十分に守れる。

 たかが300、されど300。それを突破しようと悪戦苦闘している間に、敵の3千は砦を落としてこちらの背後に噛みつくだろう。

 そうなれば詰みだ。敵地の奥深くで後ろを取られた軍は、ただただ全滅するか降伏するしかない。

 逃げ出したとしても見知らぬ土地。土地を荒らされた農民や、各地に潜む山賊らを突破して本国に戻れるのはおそらく数百程度だろう。


「理解したようだな、我らの置かれた状況に」


「…………」


 誰もが黙りこくってしまう。

 やれやれ、こういった状況を打開するべく動くのが幕僚だと言うのに。


 いや、仕方ない。

 ここまで綺麗にめられたのだ。この私といえど、思考が停止するところだった。


 敵の知恵袋ともいえる将は、昨日討った。あとは前進しか知らぬ猪武者。

 となればこの策を考えたのは、その死んだ将か。いや、それにしては今の状況を盛り込みすぎている。


 これは生者の描いた策。

 ということはやはり、あの異能持ちか。

 私が“とんと”を使って行った謀略を跳ね返した女。


 心中で舌打ちする。

 だが同時に心が沸き立つ。


 また戦える。あの忌々しい軍略の鬼才と。

 一の谷、屋島ではしてやられたが、今度こそ勝つのはこの知盛だ。


 沸き上がる笑みを抑え、机の地図に手を置いて話し始める。


「我らが取るべき道は2つある」


「2つだけ、ですか」


「選択肢があるだけマシだろう」


「た、確かに」


「1つ。このまま敵の本拠地に向かって突撃。この狭路に関しても、来ると分かっていれば対処できる。その代わり、多大なる犠牲は払うことになるがな。おそらく半数は二度と故郷の土を踏めぬことを覚悟しろ」


 ごくり、と唾を飲み込む音が聞こえてきそうだ。

 悪くはない。それほど緊張感をもってあたらなければ、我らは異国の地に散る。


 だからこそ。この選択は間違えてはいけない。絶対に。


「そしてもう1つは――」

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