第153話 偽物の策
「なんなのだ! 藪から棒に!」
オジャン大将軍の怒声が響き、血走った目で睨みつけてくる。
彼自身は前線にはいないのだから、傷も何もない綺麗な顔だ。いや、髭面のおっさんを綺麗な顔というのも変だけど。
まぁ仕方ない。総大将が傷だらけというのは、それはそれで危険な状態なのだから。
怒声を受け、レイク将軍の副官、クラディさんが気おされたように一歩後ずさりする。
レイク将軍の仇討ちを、そう声高に叫んで出陣の準備が進められているのだ。もう陽が落ちるから出陣は明日とはいえ、誰もが殺気立っている中での進言だから、気が立つのも仕方ない。
それを僕は制して、逆に一歩前に出た。
「イース国より太守様の名代として援軍に参りました――」
「カタリア・インジュインと申しますわ」
「……イリス・グーシィンと申します」
カタリアに割り込まれた。
話すのは僕なんだけどなぁ。ま、いいけど。
「んん? …………まさか、あの時の?」
大将軍は少し何かを考えるようにしていたが、ようやく思い出したのか、得心のいった表情から急転。苦虫を100匹くらいかみつぶしたような顔をした。
そう、先日この国の太守に謁見した時にひと悶着あったのだ。
その原因は僕の――イリスの姉であるタヒラに問題があったわけだけど。
「ふん、その者が何を言いに来た?」
他国の者の言葉など聞かない。そんな態度で大将軍は腕を組む。
やれやれ。やっぱり一筋縄ではいかなそうだ。
けどそれも対策済みだ。
「レイク将軍の最期のお言葉を伝えにきました」
「なに?」
大将軍をはじめ、周囲にざわめきが走る。
戦死したレイク将軍の仇を。そう唱えている大将軍には、そう言われれば聞かないわけにはいかない。
「ほほぅ、そうか。それは聞かなければならんな」
それを知ってか知らずか、大将軍は鷹揚な態度で言った。
「では――」
「おっと、それを語るのはお主ではない。そこの。レイクの副官だな。お主が申せ」
「っ!」
レイク将軍の副官が、顔をこわばらせる。
やっぱりそうなるか。この男。どこまで底意地が悪い。
国の存亡などより、自分の名誉の方が大事。そういうことか。
一応、彼女に振られた時のことを考えて答弁は教えた。
けどこの一見大人しそうな彼女に、この大将軍の威圧に耐えられるか。そこがポイントだ。
「その……レイク様は……」
「んん? そうだ、レイクの言葉をはよう聞かせい」
この男。圧のかけかたとか表情とか、若干、案件になりそうなものだぞ。
時代が時代、場所が場所なら訴えてやりたかった。
「ないのか。ならばこの話は終わりだ。明日、総攻撃を仕掛ける。それはレイクの無念を晴らす、最良の方法なのだ」
そんなわけがあるか。
思わず一歩前に出て、そう怒鳴り散らかそうとした。
が、
「……」
カタリアに制された。睨みつけるようにこちらを見るその瞳には、一種の覚悟が備わっていた。
すなわち、ここでダメなら討ち死にを覚悟に戦うと。
その歴戦の総大将にも思える、ここにいる大将軍とは全く違った威風に僕はおされた。
まったく。こいつはなんだかんだ言って、キメる時はキメるよな。インジュイン家の誇りなのか、それが。
だから僕は出そうとした足を抑え、そして将軍の副官、クラディさんにすべてを託した。
頼む。そう念じながら。
「それではこの場は――」
「レイク将軍は最期に言われました。これまでの友たちとの戦いに感謝を」
と、大将軍が話を打ち切ろうとした時に、クラディさんが口を開いた。
そして発せられた内容が、壮絶な討ち死にを遂げた男の感謝の言葉というのが、さらに衝撃を広げる。
「葬儀は無用。自分の遺体はウェルズの西に葬っていただきたいと。死してデュエンから守る鬼神になると申しておりました」
「おお……」「さすがは宰相の弟殿」「立派な志であったのだ!」
どこまで本当なのだろうか。けど、それによって空気が変わったのも確か。
それを感じているのか、クラディさんの答弁は熱を帯びていく。
「レイク将軍はおっしゃりました。志半ばで倒れるは無念、国を守れずただ死すは不忠。ゆえに我が軍略のすべてを、ここにおられるイリス・グーシィン殿にお伝えした。皆さまに伏してお願い申し上げます。彼女へ伝えた策をもって、かの悪鬼羅刹どもを国外へ追い出し。あわよくばデュエンを滅ぼし、我が国が八雄に成り代わりますよう」
「……………」
言葉が終わり、静寂が本営を包む。
ダメか? 彼女の言葉が通じなかったのかと不安になる。
だがそれは嵐の前の静けさでしかなく、次の瞬間。
「うぉぉぉぉぉぉ!!!」
熱が爆発した。誰もが彼女の言葉を聞いて、血気に逸っていた。
またもや泣き出す者や、レイク将軍と連呼する者もいる始末で、狂騒はおさまりそうもない。
何より、
「うぉぉぉん! レイクよ、ああ、レイクよ! なぜ死んだ! そのような思いが胸のうちにあったとは! お主と駆けたかったぞ、デュエンの国都へと続く道を! 見たかったぞ、我が太守が八雄と呼ばれ君臨するその日を! うぉぉぉぉぉぉん!」
まさかの大将軍、男泣き。この人、外の人には厳しいけど、実は内には激アマだったりする?
「くすっ」
近くにいた僕だけが聞こえた。
歓喜の爆発する場にいて、熱が奔流するこの場にいて、対極にある冷たい微笑み。嘲笑。
クラディさん。
視線を落とした状態の彼女に、そんな一種のおぞましさがある笑みを浮かべた。けど、なぜ?
「イリスとやら。さっさとその策を聞かせい! ええい、地図をもて! 軍議だ! レイクの策をもって、かの侵略者どもを打ち払わん!」
「お待ちください。これは秘事中の秘事。お聞かせするのは、大将軍様とその側近の方のみと言伝されております」
「なんだと!? 我らを信用していないと言うのか!」
他の軍を預かる将軍や、豪族の代表が声を荒げる。
要は秘密が漏れる可能性があるから教えない、と言っているようなものだから仕方ない。
「いや、よい。皆、堪えてくれ。これこそ、レイクの慎重さを表す言葉ではないか。明日は必勝の布陣で対する! 皆は先に休んでいてくれ」
その大将軍の一言で不満は一応収まった。
意外とちゃんとしているのか。あるいは自分だけ知っているという優位性に酔っているのか。どちらでもいいけど助かった。
それからはなんというかイケイケモードになった大将軍に巻き込まれて策を披露することになった。
くそ、もっといい感じに僕主導でやりたかったのに。ま、いいや。個人の感情より先に勝利だ。
というか別のことがずっと気になって、あまり集中できなかった。
「測ってたんですか?」
軍議が終わり、日も落ちて各所で夕飯を食べている陣中。
旧レイク将軍の部隊のいる場所から少し離れたところで、1人、空を見上げているクラディさんに近づき聞いた。
聞いたのはもちろん、先ほどの口上。
大将軍にいじめられながらも、それでも愛国と誇りを胸にレイク将軍のことを語る。
それに同情と感動を感じない人間はいないだろう。彼らとて、その思いがあるのだから。
つまりそれを引き出すために、わざと気弱な人間を演じていた。
そして一番効果的なタイミグで切り札を出し、そして僕に丸投げ。
いや、そのおかげでこちらの話を聞いてくれるようになったのは良かったけど。なんというか、騙されたみたいでちょっと癪だった。
「そうでもなければ、あの人の副官なんてできないわ」
口調も変わっていた。なるほど、こっちが本性か。
けど、これだけは聞いておかないと。
「あの言葉。本当にレイク将軍が言ったんですか?」
あそこまで過激な発言。あの温厚な人が言うはずはない。いや、僕も知り合って日は浅いからあるいはとうこともあるけど、いや、やっぱり信じたくない。
「……ああでも言わなきゃ、あの馬鹿たちは立ち上がらないでしょう」
その言葉に唖然とした。
上司を馬鹿とは……いや、僕も言うけど、それを他人に、しかも他国の人間に言うかよ。
しかもそれを言うってことは、やっぱりさっきの遺言は捏造。この人は、どこまで考えてるんだ。
「あの馬鹿たちがレイク様をもっとうまく、いえ、レイク様の下で戦えば……こんなことにはならなかった。あいつらもデュエンも、ともに戦って戦って地に血をまき散らし死ねばいい」
ゾクッとした。
つぶやきにも似たその声は、あらゆる怨念と怨嗟と憎悪と侮蔑と呪怨が混ざった、禍々しい毒のある音声。それを感情のなくなった表情で言うクラディさんに、僕は恐怖を感じた。
「あら、私ったら」
僕の視線に気づいたのか、クラディさんは笑みを取り戻す。けどその笑みを、僕は以前までのものと同じには見れなかった。
「道は作ったわ。あとは頼むから……お願い」
ポンっと肩を叩かれた。一瞬だけだけど、その触れた瞬間にものすごい圧と熱を感じて、思わずひるむ。
そしてその中にある、覚悟を感じ取った。
それはかくも悲壮な覚悟。先ほどのつぶやきも、あるいはその裏返しなのかもしれない。
あぁそういうことか。この人は、そう。不器用なんだ。だからきっと、そういう風にしか言えない。
「クラディさん」
「ん?」
「仇討ちは約束できません、一矢報いましょう。そして生きて将軍の墓前に報告しましょう」
その言葉に対し、彼女は少し意外そうに、けどすべてを納得したのか、ゆっくりと笑った。
それは気負いも恨みも何もない、美しい笑顔だった。
切野蓮の残り寿命84日。
※軍神スキルの発動により、20日のマイナス。