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第16話 託されたもの

 そこは小規模の地獄だった。


 国の顔である大使館である以上、小さいなりにも豪奢に取り繕ったエントランスホール。

 それが元の形が分からないほど一変していた。


 敷かれた赤絨毯はところどころ黒く変色し、一部では炎を上げている。

 大きな絵画は額ごと床に落ちており、人体を模した彫像は上半身が落下して粉々だ。

 窓という窓は、もはや破砕され用をなしておらず、机や椅子もバリケードにされて閑散としている。


 そしてそこには10人ほどの人間がいた。

 いた、というのは現在進行形でそうなのではなく、10人ほどが存在していたという意味。


 5人ほどが銃を持ったまま窓に張り付き、外に向かって射撃しては隠れを繰り返している。

 4人ほどが地面に転がって寝ている――わけではない。

 体から血を流し、ピクリとも動かない彼らはすでにこと切れていた。


 人数としては存在する。

 だが命としては存在していない。


 それがここの現状。


 そして残りの2人。

 そこに目指すべき人がいた。


 といっても、僕は叔父さんの顔を知らない。

 けどそれは問題なかった。


 というのも、


「まさか、イリスか!?」


 相手の方から見つけてくれたのだ。

 エントランスに入って左手。そこにいた2人のうちの1人がそう口にしたのだ。


 すぐに見つかってよかった、という安堵は、次の瞬間に吹き飛んだ。


「叔父、さん……」


 その男は、10歳くらいの子供がいる割には結構歳を重ねているように見えた。

 今の僕が10代半ばから後半。そのうえに3人の兄姉がいるという。

 その父の弟というのだから、歳が相当離れていなければ、まぁ昔の早い成人を考えても30代後半ということになる。

 薄くなってきた頭髪と、肥満気味の体躯からすれば、それも当たらずとも遠からずという感じか。


 だがその薄くなり始めた頭髪は汗にまみれ、普段なら温厚だろう顔は厳しく歪んでいた。

 傷によるものだ。


 肩を射抜かれたらしく、もう1人の男が必死に包帯を巻いて介抱している。

 それ以上に彼が着る絹の上質な織物はところどころが破け、血がにじんでいるのだからもはや満身創痍。


「愚か者。なぜ戻って来た。いや、よく無事だったというべきか……」


 叔父さんが苦痛に顔をしかめながらもそう叱り、褒めてくれた。

 僕にとっては赤の他人のはずなのに、なぜだか無性に嬉しく、同時に寂しい。それはもとの体のイリスが感じていることなのか。分からない。


「来てもらって悪いが、戦況はこのありさまだ。あと少しでここは落ちる。お前も早く逃げろ」


「なら叔父さんも!」


 ようやくここに来た理由を思い出し、慌てて口にする。

 だが叔父さんは静かに首を振った。横に。


「ダメだ。まだ職員が脱出していない。お前がここに来れたということは地下道は無事なのだろう。あと30分は稼がなければ。ふっ、幸い相手の腰はくだけておる。こちらは10人もいないというのにな。滑稽ではないか」


「でも……」


「お前も共に脱出し、そして国に戻るのだ。すぐにザウスが攻めてくるぞ。そう兄に伝えてくれ」


「でも……」


 あまりの状況に同じ言葉しか出てこない。仕方ないだろ。こんな状況に放り込まれればパニックにもなる。


「でももしかももない! 誰かが生き残ってこのことを国に伝えなければ、国が滅ぶというのだ! それをお前に託す。だからお前は生きなければならんのだ!」


 歯噛みしながら、血の涙でも流しそうなほど悔し気な表情の叔父さんに、俺は何も言えない。


「すまんな、お前に……遊びに来ただけのお前にこんなことを託すなんて」


「そんな……」


「だが、お前なら託せる。我が父に、天才と言わしめたお主なら」


 天才。

 これまで自分とは無縁と思っていた単語をいきなり言われ、困惑する。

 いや、違う。これは僕じゃない。イリスに向けられた言葉。


 そのイリスも凶刃に倒れた。

 そしてここに今、彼女の叔父も。


 ……くそ、転生早々。色んな重いもの背負わせるんじゃない!


「それと、これを」


 そう言って叔父さんが懐から取り出したのは、2つの金のリング。そこにべっとりと血が付いている。


「これは妻が生きていたころに作ったものだ。我が国は金を産出するからな。破片を安く仕入れて加工してもらった記念品だ。おっと、横流し品ではないぞ。くれぐれも勘違いするなよ。はっはっは」


 この状況で、笑えないジョークだった。


「これを、トウヨとカミュに渡してやってくれ。無事なのだろう、あの2人も」


「……はい」


「なら、いい。あとはもう言い残すことはない」


 その時、感じてしまった。

 この人は有能だと。


 何よりもまずは国の大事を想い、それを僕に託した。

 それは私事より優先されるべきものであって、まずはその話をした。

 そして落ち着いたところで、家族への愛を託す。


 くそ、やってくれる。そんな男気おとこぎ見せられたら、心揺れ動かないわけないだろ。

 そもそも国が滅んだら僕も死ぬ。命がけだ。


「分かりました。必ず」


「うん、もういけ。我々はもうひとつ、頑張るかな」


 その頑張った先が報われないことは誰もが分かっている。

 けどこの絶望的な状況でも諦めない。

 それはすべて、この後に続く国の家族のために。


 だから言うことは1つしかない。

 ご無事で、また会いましょう、さようなら、どれも違う。


 言えることはただ1つ。


「ご武運を」


「ああ」


 にこり、と叔父が、その横にいた男が、笑う。

 覚悟を決めた男たちの命の輝き。

 それを胸に、僕は叔父さんから離れた。


「最期に、イリス」


「はい」


「兄に、すまなかった、と伝えておいてくれ」


 そう、柔らかな笑顔で言われ、まったく赤の他人のはずの僕もぐっと胸にこみあげるものを我慢できなかった。

 だから言葉にせず、ただ頭を下げる。


 そして走りだす。

 振り返らない。


 僕は託された。

 彼らの命を、国の安全を。


 だから走る。


 僕は、託された。

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