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第151話 別れと前へと

 敵と戦う理由としてあるのは、何にもまして領土の獲得だろう。

 領土を手に入れることで、自軍の金や収穫、兵力を拡充し、逆に敵は減少する。


 次が領土を守るため。敵の侵略に対する迎撃戦といったところか。

 今の僕たちが直面しているのがそれだ。


 そしてもう1つ。

 侵略戦のように即物的な利を得るものでもなく、迎撃戦のようにやむをえずというものでもない。

 そう、敵将の捕縛、あるいは討ち死にを狙った局地戦だ。


 これは曹操の魏や、織田軍といった大国と対するのも効果的な戦法で、いくら大国だろうと優秀な指揮官が減れば弱体化は免れない。


『三軍は得やすく、将は求めがたし』


 中国の荘子が語ったとされる言葉だ。

 意味は三軍、つまり数が多いだけの単なる兵隊は集めようと思えばすぐに集まる。しかし、その大軍を率いる将軍はそうそう得られるものじゃないというもの。


 会社というシステムの中で見れば、ただ言われたことだけを淡々とこなすだけの人間は、新卒だろうがなんだろうが簡単に集められる。

 けど、その仕事を完璧に理解して部下を適材適所で働かせて大きな利益を得られる人は、経験という時間が必要で、さらには本人の資質が影響するからなかなか得られることはない。

 だからそういった人は大切にしなさいよ、という言葉。


 閑話休題。


 将を殺す。

 それは強大国にとっても痛手だというのに、弱小国ならなおさら。

 だからこそ、それを狙ってきた敵の平知盛は非道であり、残酷であり、冷酷であり、それゆえに優れた将なのだろう。


 本当に、何て世界だ。

 水道がないから気軽に水は飲めない。

 電気がないから冷蔵庫とかで食物を保存できないし、テレビやゲームといった娯楽もまったくない。

 そして医療技術も古すぎて、少しの怪我や病気がたやすく死と直結する。


 それでも、この世界。

 僕は少しずつ気に入ってきたんだ。


 いや、世界が気に入ったわけじゃない。

 こんな死と暴力と争いに満ちた世界、平和な世に生まれた僕としては本来願い下げだ。


 けど、そこに住む人たちは。生きている人間たちは。

 あるいは現代の人たちよりも、真っすぐに、その一瞬一瞬を全力で生きている活力にあふれているように思えたから。


 この世界で出会った人が、好きだった。


 だから僕は、この世界でその好きな人たちを守るために、こうして色々東奔西走している。

 そしてそれは、成功していた。

 ザウス国からの逃亡。ザウス国侵攻。凱旋祭の事件。そしてここ、デュエン国のウェルズ国侵攻。すべて、なんとかしてきた。してこれた。

 だから僕の知り合いがいなくなるなんてことはありえなかったし、考えたくもなかったわけだ。


 そう――これまでは。


「これは……」


 地面に転がるのは銀色と赤の何か。

 前衛芸術のように、ただそこにある彫像のように見えて、ここが今、どういう場所かを一瞬忘れる。


 だがそれが何を意味するのか。

 鼻につくねばりつく嫌な臭いに、誘われるように、僕はその芸術品の中に馬を進める。


「うっ……くそ!」


 僕についてきた兵が漏らす。

 それはレイク将軍からつけられた兵たち。彼らは今、何を思い、何をいきどおっているのか。分からない。ふりをした。


「イリス殿! ご無事で!」


 僕らに気づいた女性の兵が、こちらに慌てて駆け寄って来た。

 この人。見たことがある。レイク将軍の幕僚の人だ。名前は……ごめんなさい、覚えてないや。


「一体何が?」


「撤退を進めている中、突如、そこの草むらから敵が襲い掛かってきまして」


「……伏兵?」


 まさか。いや、撤退路を読んでいたというのか。

 平知盛。噂以上の軍略家だ。


「それで応戦したのですが……」


 ちらっと倒れる兵だったものに視線をくれる。

 撤退している最中とはいえ、殿軍を残している状況。どこか気の抜けたところもあったはず。

 だから突然現れた敵にはどうしても対処がワンテンポ遅れる。


 そのことを少しでも考えなかったのか。するか、そんなこと。敵は後ろから追って来る。それ以上でもそれ以下でもなかった。

 おごっていたのか? 自分の知恵に。力に。

 先読みされていると気づかず、決めつけて、こうも多くの人たちを死なせた。


 悔やんでも悔やみきれない。


「レイク将軍は?」


「…………こちらへ」


 刹那の沈黙が何を意味するのか。

 それを確認するのが怖くて、それ以上、頭を働かせるのをやめた。


 それでも願う。

 この勘が、間違っていたものであってほしいと。いつも当たらない僕の勘なんて、信じるにたるものじゃないと。


 そして案内された先。

 否が応でも、僕はこの世界の、腐った、唾棄だきすべき、最低最悪の一面を見させられるのだった。


「おお……イリ、ス……殿……間に合って、くれました」


 レイク将軍がいた。

 ゆったりとした、相手を安堵させるその柔らかな笑みを浮かべて。


 だが、その顔は。白く、血の気の引いた、ひどく不吉なものだった。


 奥歯をかみしめる。

 表情が変わらないよう、必死に耐える。


 本当に、こういう時だけ外れない勘が恨めしい。

 こんなことを引き起こすこの世界が憎たらしい。


「すみません。僕がちゃんとしていれば……」


 なんとか言葉を吐く。

 血にまみれ、もはや立つことも叶わないだろう、レイク将軍に向かって。


「謝る、ことは、ありませんよ……最期に、会えたのです、から」


「最期なんて……言わないでください」


「残念ですが、自分のことは分かります。他国の人にお願いするのは、忍びないですが……ウェルズを、お願いします」


「はい。まかせてください。デュエン軍は絶対に追い払います」


 それはもう決意した。

 あいつら。歴史の英雄だからといって、こんなことが許されるわけがない。


 だから将軍のためあいつらを絶対許さない。

 そう決意したのだ。


「いえ。もうよいのです。それより、ウェルズ国を……民たちを……」


「民?」


 そんな言葉がここで出てくるとは思いもよらなかった。

 いや、でもデュエンを撃退すれば、その民も救われるのでは?


「今の、ウェルズでは……いっそ、イリス殿。イース国が治めて――」


「将軍!」


 この人は何を言い出すのか。慌てその言葉を遮る。


「今の将軍の言葉は聞かなかったことにします。皆さんも、いいですね」


 こんなことが他に漏れれば大変なことになる。

 レイク将軍は売国奴となり、僕らイース国はウェルズ国を騙して国を乗っ取ろうという侵略者に早変わりだ。


 それを悟ったのか、誰もが無言でうなずく。


「残念、です」


 心底そう思っているように思えて、僕はどう返してよいかわからない。


「皆、すまない。先に、逝く」


「将軍……!」


 嗚咽が周囲に響く。

 僕の視界も歪んだ。何も見えない。もう見えなくなってしまいたい。こんな辛い別れ。見たくも信じたくもない。


「ふぅ……本当に、楽しかった……兄さん。ごめん」


 そうつぶやくように言って、そしてレイク将軍は死んだ。


 将軍の部下たちが倒れ込むようにして号泣する。

 その姿に、慕われていたんだなと、他人事みたいに思った。


 カタリアも泣いていた。琴さんは、泣いてはいないが辛そうに視線を地面に落としている。


 僕は声をあげたいのを我慢して、それでも耐えられず、嗚咽を漏らすようにしてうつむく。


 ごめんなさい。

 僕の見通しが甘かった。それであなたを死なせてしまった。悔やんでも悔やみきれないから、せめてその願いだけは、侵略者を撃滅することだけは叶えてあげたい。そう思った。


「イリスさん」


 しばらくして、皆が落ち着いて将軍の遺骸と共に帰還しようとした時に、将軍の部下の女性に呼び止められた。

 年齢は20代前半。青い髪をショートにした、落ち着いた雰囲気のする女性だ。


「なんでしょう?」


 お互い目を腫らしているけど、恥ずかしくはなかった。


「レイク様は、敵の奇襲にも落ち着いて対処し、自ら剣を取って戦いました。しかし、突如背後に現れた赤と白の奇妙な服装を着た……その、女子おなごに……」


 やはり千代女あいつか。

 こんなことなら、こないだしっかり殺しておくべきだった。


 そんな暗いことを考えてしまうほどに、今の僕は打ちのめされていたのだろう。


「……それに心当たりはあります。デュエンの暗殺者ですよ」


「暗殺……そんな者に」


 戦場で雄々しく倒れるのはほまれという思想は、この世界にもあるようだ。

 暗殺なんて卑怯な手にかかるのは、屈辱的なことなのだろう。


「すみませんが、このことは。レイク様の仇は、我らで。それと……先ほどのことは」


「僕は何も聞いてません。お互いに、そうですね」


「はい。ですが、我らもイース国、いえ、イリス殿やタヒラ殿を上に頂きたいと。そう願っております」


「…………ありがとうございます。ですがそれは」


「ええ、もう口にはしません。では」


 そう言って部下の人は礼をして離れていった。

 あるいはこの人は、レイク将軍が好きだったのかもしれない。そんな突飛もない空想を思ってしまうほど、今の僕の心には隙間風が吹いていた。


「イリス、何を話していたのです?」


 草原を薙ぐ風を感じていると、カタリアがひょっこりと近づいてきた。


「別に。これからのことをちょっと。それと、惜しい人を亡くしたって」


「……本当に。これが、戦いなのですわね」


 カタリアも妙にしんみりしてしまっている。

 あまり接点はなかったはずだけど、ここ数日でそれなりに敬服していたらしい。


 この日。タヒラ姉さんの戦友で、僕にとっても確かな恩人で、ウェルズ刻にて随一の知略のある常識人であり、ゆくゆくは国を背負うべき頼もしいレイク将軍は、その命を散らした。

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