第148話 一番槍
敵本隊への奇襲。
かの日本三大奇襲と呼ばれる、河越夜戦、厳島の戦い、桶狭間の戦いのように、敵の総大将を狙い撃ちすれば、寡兵でも大軍に勝てる。
だが、それを実行に移すのにどれだけの労力がいるか。
そもそも、それで勝った例なんてものは、数えるくらいしかなく、うまく成功したのだから歴史に名を残したのであって、その裏には数百、数千の負け戦があるはずなのだ。
500対5000。
普通に考えたら負ける。
そして奇襲による総大将を狙う戦術を取らざるを得なかったわけだが、それでも負ける。
なぜか。
それは相手は隠れなき名将、平知盛。
今川義元ほどの油断も期待できないし、前衛はあの赤備がいるし、諜報には望月千代女がいる。
そんな布陣で総大将を討つなんて夢物語りを信じるほど、僕は理想主義でも楽観主義でもない。
だから敵の本陣を突くとはいっても、総大将を討つつもりはない。
敵を混乱させて、ウェルズ軍の撤退を援護する。そのためだけに、敵の本隊を突くのだ。
その本隊が見えた。
まさにウェルズ軍の本隊とがっつりとぶつかり合っているところで、その横腹を突くには絶好の場所。遮るものもないから、あとはただ走るだけ。だが。
「敵襲に備えよ!」
対応が早い。
まだあと300メートルはある。
「ちっ!」
舌打ちした。
あろうことか、敵本隊の右側。僕らが今、そこに突っ込もうとした部分の敵が何やら取り出したのが見えたからだ。
それは黒光りする筒状のもの。
鉄砲だ。
それも数十丁の鉄砲がこちらに向けられて、今や遅しと発砲の瞬間を待つ。
こちらは騎馬と歩兵の混成。敵に到達するまでに1射は撃たれる。その時の損害を考えれば、ここで勝つのは難しくなる。
だから馬を加速させた。
一騎で突っ込んだところでどうなるものか分からない。それでも、軍神の力があるのなら、どうにかなるだろうという見通し。
そして、この人の力を活かすなら今。そう考えたから。
「琴さん!」
「ああ!」
叫ぶ。
答えは背後から来た。一緒の馬に乗る琴さんが、その身を起こしたのだ。
「我が名は小天狗。赤城山を疾駆し培われた法神の末裔。我が名は小天狗。風をまとい、飛ぶように走る山の神。今こそ、我が力を示さん!」
何を言い出すのか。詠唱? いや、魔法使いじゃないんだから。いや、でも中二病だからしょうがないのか。
いや、よくない。早く!
「鉄砲隊、構え!」
敵の号令がすぐそこ。今から進路を変更しても間に合わない。
「琴さん!」
「はな――」
「舞え、赤城神卸」
瞬間、突風が吹いた。
背中を叩くような、荒々しい豪風。
もちろんそれは僕を叩くだけに終わらず、僕の前にいる敵にも影響を与える。対峙している以上、背中から受ける追い風ではなく、顔面に叩きつけるような、圧倒的向かい風だが。
「ぐわっ!」
悲鳴が鉄砲隊に響く。
風が顔に直撃し、発砲どころではなくなったのだ。中には鉄砲を飛ばされる人や、体が転がる人もいる始末。
そしてそれは敵の軍勢に混乱を呼び込む。
琴さんのスキル。
風を意のままに操るとは聞いていたけど、ここまでとは。
「ふっ、どうかないりす。我が法神の力は?」
「ああ、最高だ!」
「よき答えだ。では、あとは小天狗の華麗なる舞いをお見せしよう」
敵との距離。50もない。
数秒でぶつかる。
その直前、ふわっと何かが舞った。琴さんの大きな体が、僕の背後から前方に投げ出されるようにして飛んだ。
重力がないかのように、ふわりと地面に降りた琴さんは、そのまま肩にしょった薙刀を大きく横に薙ぎ払い、数人を吹き飛ばす。
前列は鉄砲隊だ。槍衾もないし、武器を構えるには鉄砲を置いて剣を引き抜くしかないから、懐に入られればもう弱い。
「新徴組が組士、中沢琴が一番槍を承った! 我が邪剣に呑まれたいものは、かかってこい!」
琴さんが叫ぶ。くそ、格好いいじゃないか。
「今だ、突き進め!」
その隙を逃さんと、レイク将軍が吼えた。さすが、ナイスタイミング。
僕はというと、琴さんに続いて敵の中に乱入した。
隙を突いたとはいえ、敵軍5千の中に琴さん1人を放っておくわけにはいかなかったし、今の内に混乱を広げるのが得策だと思ったから。
「な、なんだこいつら!」「ひ、ひぃぃぃ!」「だ、ダメだ……逃げろ!」
この世界はまだ兵農分離されていない。それはイース国とザウス国、ウェルズ国を見て分かったこと。
逆に言えば常備軍しかないというのは珍しいことで、それが聞こえてこないということはデュエン国も同様だろうと思っていた。そしてそれは当たった。
「あ、おい! 貴様ら! 逃げるな! デュエン軍に逃亡はない!!」
敵の指揮官が逃げ腰の部下を叱責するが、それでも崩れは止まらない。
何より混乱は大軍ほど伝播しやすい。
「ええい、逃げるな!」
「ぎゃっ!」
やりやがった。
馬上の指揮官が、逃げようとする歩兵を斬ったのだ。
それは兵たちを恐怖でしばりつけて、同じ死ぬなら敵と刺し違えろとさせる方法としては合理的ではある。
だがそれには時間が足りない。
すでに戦場は混戦。恐怖に混乱し逃げる兵に、その恐怖を上書きする時間は与えられなかった。
何より――
「部下を斬るなど……恥を知りなさい!」
「この――ぐあっ!」
カタリアが飛び出して一閃。兵を斬った指揮官を馬上から叩き落した。
それで流れは決まった。
敵右翼は混乱を極め、その流れは次第に全軍へと広がっていく。
ちらと右を見る。
そこはウェルズ軍とデュエン軍が戦っている戦域。
その最前線の後方が乱されたのだから、ここが勝機とばかりに奮戦してくれれば、と思ったが何もない。いや、若干戦域が奥に移動している気がする。逃げ出したか。
舌打ちする。同時、今度は僕らが危険になる。
このままだとデュエン軍の真っただ中に取り残されることになる。いくら兵が動揺しても5千の中ではほんの一部。他の部隊に包囲されれば全滅する。
「レイク将軍、引き際です」
僕は乱戦の中でレイク将軍を見つけ、その背後を襲おうとする雑兵を薙ぎ払いながら傍に駆け寄って言った。
近くにいたのか、カタリアと琴さんもついてきて、そのカタリアが眉にしわを寄せて、
「何を言ってるんですの? このまま敵の総大将を討ち取らなければ!」
「その間に包囲されて全滅するか?」
「え……」
カタリアが絶句する。
いや、ほぼ初陣の彼女にそこまで期待するのも酷か。僕も初陣はちょっと前だけど、軍神そして軍師というスキルのおかげで心にある程度ゆとりが持てているからか、よく戦場が見える。
「分かりました、退きましょう」
そしてレイク将軍はタヒラ姉さんと同じく百戦錬磨。すぐに状況を理解してくれた。
「ウェルズ軍1千はこのまま南西に向けて突撃します!」
レイク将軍の号令に、周囲の兵たちが集まって続いていく。
うまいと思った。
ウェルズ軍1千と数をサバ読んだのは、相手に寡兵だと気づかされないため。
そして撤退ではなく突撃というのもいい。撤退する、と言ってしまえば、敵はもうこれ以上攻撃されないと安堵して、あるいは逆襲してくるかもしれない。
だが突撃と言えば、まだこちらには戦う意思があると示すので、容易に逆襲しようという気にはなれない。
こうして僕らの奇襲と撤退は、見事にはまって上手くいった。
――かのように見えた。