第146話 包囲殲滅作戦
釣り野伏という戦法がある。
戦国の猛者・島津家が得意とする戦法で、まず先鋒を戦わせて負けを装って退かせる。敵が勝利に目がくらんで追い討ちにきたところを、左右から伏兵が襲い、逃げていた先鋒が反転して3方向から滅多打ちにする戦法だ。
これにより、木崎原の戦いでは3千の敵に対し、300の島津軍で“包囲殲滅”を行ったという。ここで間違えてはいけないのが、3千が300を包囲殲滅ではなく、300が3千を包囲殲滅、ということ。
さらに耳川で当時最盛期の大友氏を完膚なきまでに叩きのめし、沖田畷では龍造寺隆信という大名と五人そろって四天王で有名な重臣を討ち取り、さらには戸次川では長宗我部元親の嫡男・信親と十河存保ら大名を討ち取っている。
まさに島津家を最強の大名キラーに仕立て上げた必殺技だ。(信長でさえ戦場で討ち取った大名は今川義元だけ)
ただそれを実現するには圧倒的な戦術眼と、絶対的な統率力が問われる高度な戦術となっている。
最初の負けを装う部隊が、本当に負けてしまったらそれまでだし、伏兵のタイミングが間違えば各個撃破されるという。
それぞれが超優秀な島津四兄弟がいて、上の命令には絶対服従かつ部隊に連帯責任を負わせる島津家だからこそできた戦法だ。
といっても、これに似た戦法は洋の東西を問わず行われている。
歴史上最古の包囲殲滅戦を実行したハンニバルの戦術もその元祖みたいなものだし、三国志の官渡の戦いで曹操が捨てた物資に群がった文醜を討ち取ったのもその亜種だ。
だから釣り野伏といかないまでも、負けを装って退いて伏兵で包囲という戦術はくさるほど行われてきた。
だったら追わなきゃいいじゃん、と思うがそれは違う。
だって、本当に勝っているのか、罠なのかはふたを開けないと分からないから。本当に敵が逃げてる場合に追わないのは、千載一遇のチャンスを逃すことになる。
そもそも兵たちは死なずに生き残ることを何より優先させるわけだから、敵が逃げたとなれば「勝った!」と思って敵を追撃したがるものだ。一刻も早く、生死の境から離脱して家族のもとに帰りたい。
だから罠かどうかなんて関係ない。敵が逃げたら追う。
そんなわけで、それが本当の退却か偽装か。兵を伏せられる場所はないのか。追い討ちに逸る兵たちを制御できるか。
それらがすべて合わさって、ようやく敵の罠を回避できるのだ。
そしてそれらが合わさっても、回避できないときはできない。それほど戦いは難しい。
とはいえ、今回のことが擁護できるわけじゃないけど。
偵察もせず、罠の有無も考えず、とにかくごり押しにごり押して進んできた結果がこれだ。
血と絶望と死のしっぺ返しを受けても、仕方ないと思う。
けどそうも言ってられない。
敗けているのは味方。そして死んでいくのは農民たち。
「レイク将軍!」
「おお、イリス殿。これは……」
「完全にやられました。敵はこれを狙っていた。この戦いは、敗けです」
「っ!!」
僕がはっきりと口にしたせいで、レイク将軍の周囲も息を呑む。
戦いが始まる前に敗北を口にするのはいただけないが、事ここに至ってはもうそれを誰もが認知しているはず。そして何より、しっかりと負けという事実を認識しないと、この後に生き残れない。
「なら退くべき。前衛と本隊は3方向から攻撃を受けている。我々後軍がいるから、逃げようにも邪魔をしてしまっている」
「いえ、退くのは愚策です。味方は雪崩を打って敗走。それを後ろから激しく攻め立てられ、最悪の場合、全滅します」
「全滅……」
レイク将軍の顔色が蒼白になる。元から白いけど。
けどそれは簡単に予想できる事実だ。今、逃げだしたら敵は一気にくる。
だから退くのは駄目。ならあとは――
「ここには500がいるはずですよね」
「まさかイリス殿」
「敵の伏兵。数は多くないはずです。互角の戦いを演じないといけない以上、相手もそれほど兵力に余裕があるわけじゃないので。だから、それを蹴散らします」
「そうか。それで挟撃の形をなくすのか。よし、すぐに軍を半分に分け――」
「駄目です。敵が少ないと言っても1千ずついたらどうしますか。こちらの兵を半分に分けたら4倍。最悪の場合、両方とも崩せずに終わるだけです」
「ということは……」
「はい。全軍一丸となって、片方の伏兵を撃退します。反撃しながらならば、逃げ方次第では犠牲を最小限に抑えられます」
「イリス!」
ちょうど、カタリアが兵たちを連れてやってきた。
「カタリア、軍を出す。指揮はレイク将軍だ」
「分かりましたわ。兵を2つに分けて、伏兵部隊を――」
「レイク将軍、よろしいでしょうか」
カタリアへの説明が二度手間だったので、もう無視。
レイク将軍は蒼白となった顔をわずかに赤らめて、
「分かりました。すぐに出ましょう。ところでどちらを狙うべきでしょうか」
「右翼を狙った北側は、林や小規模な山があるものの全体的に開けた場所です。逃げ切るのは難しいでしょう。反して左翼の南側は、小さな丘がいくつもあって、拠点を作りやすい。狙うなら左翼です」
「分かった。すぐに出れる準備をしろ! 我らの働きいかんで、味方が、故国が助かるかが変わる! きばれよ!」
僕の言葉を疑うこともなく、テキパキと指示を出すレイク将軍。
なんだか信頼されて嬉しいと思う反面、すべて責任が立案した僕に来るというのはなかなか辛いところ。
それでも、迷ってはいられない。
ここで勝つ。それしか僕らが生き延びる方法はない。
そしてそのための方策は、先の伏兵撃破1つじゃない。その先に、一発逆転の方策がある。
「大丈夫ですの、イリス」
不意にカタリアが声をかけてきた。てか大丈夫って何が?
「なんか悪だくみをしている顔をしてましたので」
「悪だくみって……」
「それでいて、思い詰めているような」
「!」
こいつ、意外と鋭いな。
そう、もう1つの策。それは一発逆転ということもあるけど、その代わりに危険もかなり大きい。
「なに。いつも通りにやるだけだよ」
「……そう」
なんだか歯に物が挟まったような反応。
ま、いい。今はカタリアより戦況だ。
「イリス殿、行けます!」
「はい、では出発よろしくお願いします」
「ええ、行きましょう!」
レイク将軍を先頭に、500と20の軍が動き出す。
それがこの敗色濃厚な戦場。それをひっくり返すことができるかは、後は僕次第。
やれるのか?
いや、やるしか……ない!