第144話 総攻撃の前に
「こうして敵の伏兵は暴かれ、敵の姦計は無に帰した! このような姦計に走るのは、敵が臆しているからにほかならず、無駄に兵を動かした敵は今や陣形すらなく、一撃を食らわせれば潰走間違いなしの弱兵だからである! さらに敵は本国にて異変が起こり、撤退することが決まった! これも我が神聖なる大地を侵そうとした天罰である! 兵たちよ! 今こそ決戦の刻! 薄汚い愚かな侵略者たちを、ホルブの大河まで押し返して沈めてくれようぞ!」
オジャン大将軍の演説に、兵たちが鬨の声で答え、士気は青天井に上がりっぱなしだ。
その光景を、今や客将扱いの僕らは離れた場所から見ていた。
客観的な、幾分か冷めた視線で。
「あれ、本当ですの?」
横に立つカタリアが静かに聞いてくるけど、それを周囲のイースの兵たちは耳ざとく聞きつけて、こちらの声に耳を集中させているのを感じる。
余計なことを、と思うけど、おそらく彼らも分かっているのだろう。
偵察に出て、敵の精強さと恐ろしさをいち早く体験した者たちばかりだ。ウェルズ軍と若干の温度差があるのは感じているに違いない。
だからこそ、彼らをこんなところで無為に死なせたくない。
その想いもあって、僕は少し考えた後に口を開いた。
「相手の策がアレ1つだけなら、わざわざ攻めて来ないよ」
軍を起こす。それだけでも大いなる出費なのだ。
兵たちの装備、食料をそろえるだけでも大変だし、兵農分離されていないこの時代で農民を徴兵するということは、それだけ生産力が落ちるということ。さらに死者が出れば、それに対する慰問金だって必要だ。
それだけの金を使って、まさかあの伏兵の策1つだけでした、なんてことはよほどの馬鹿か自信家でないとできない。
そして敵の総大将。平知盛と、先鋒の山県昌景はそのどちらでもない。
かの有名な源平合戦の最終的な平家の総大将、平知盛。
源義経には負けたものの、それまでの落ちぶれた平家を盛り返させ、木曽義仲を敗走させ、追討軍をひたすらに防いだ軍略は当時随一だろう。
そして山県昌景。
武田信玄の四天王と呼ばれ、赤い鎧で身を包んだ赤備を率いて各地で戦い、一説には信長率いる織田軍3万を5千で撃退したとも言われる。
赤備と言えば、『井伊の赤鬼』で有名な徳川四天王の井伊直政や、大坂夏の陣で武名をはせた超有名どころの真田信繁(幸村)が有名だが、井伊は武田家滅亡後に旧武田家臣を召し抱えた後継者だし、武田の旧臣だった真田信繁は明らかに山県を意識したものだろう。
つまり赤備は元祖――本来は彼の兄(叔父とも)の軍を退き継いだわけだが――で、織田、上杉、北条、今川、そして徳川と戦国時代の全盛期において最強の名をほしいままにした武田軍の中核を担っていた人物だと言うのだからとんでもない。
ゲームのパラメータでいうなら、統率と武力は間違いなく90以上。知力や政治も決して低くはなく、総合的には上位に食い込む勇将だ。
いや、それにしても今思い出しても驚いた。
あれ、完璧に女だったよな? 転生して女体化した? そういえば山県昌景ってめっちゃ身長ちっちゃいっていう話があったよな。伝わっている鎧とか、130センチ台とかっていうのを聞いた覚えがある。
それって、まさか女だったから? それにしては小さいけど、戦国時代の一般的な身長は今より低いということを考えるとありえなくも……ない、のか?
まぁいいや。あれが本物の山県昌景だろうと偽物だろうと、あの兵を統率する力は本物だし、本気で攻めてきた武技も本物。
イレギュラーだとすると、スキルのことも考えれば厄介以上の敵ということになる。
脱線したけど、そんな人物が、言ってしまえばあんなお粗末な策1つで満足するわけがない。
さっき考えたように、あっさりと撤退するようなことをするはずもない。
もっと何か。こちらを徹底的に壊滅させるような何かを考えているのではないか。そう思うのだ。
「なら、まだ何かあるってこと?」
「おそらく、ね」
「ふぅん…………で?」
「え? “で”って?」
カタリアが眉をひそめながら、こちらに視線だけ送って聞いてくる。
「で? じゃないわよ。それが何かって聞いてるの」
「そ、それは……」
「もしかして分からないの? はぁ、あんだけレイク将軍にイキってたのに。何も考えてないんですの?」
「い、いや! 仕方ないだろ! てかイキってない!」
「敗けないための戦いなら、なんとかなるかもしれません。そんなこと、言ってたわよね?」
「ぐぅ……」
そういや、あの時は謎のテンションで言ってたかも……。くそ、こいつ性格悪いぞ。今に始まったことじゃないけど。
というかそこらを考えるための偵察だったのに、あんなことになって、考えをまとめる間もなく総攻撃というのだからどうしようもないじゃないか。
それと小太郎。カタリアのおかげでなんとか持ち直したけど、当分は絶対安静。仕方ないけど、ここで敵の様子を知れないのは痛い。
「たとえどんな状況においても、勝つために考えに考えて考え抜く。それがグーシィンを圧倒してきた。お父様はそう教えてくださいましたわ。ならばあなたも考えなさい。わたくしも考えてます。それがここに立つ者の務めです」
「……そうか。そうだな」
お父さん、いいこと言うなぁと思いつつ、それが僕ら家族への風当たりになっていると考えると複雑だな……。
「ん、動き出すみたいですわ」
カタリアに促されて見れば、確かにウェルズ軍5千が動き出した。
先ほど聞いた陣立てだと、前軍に2千、中軍にオジャン大将軍率いる本隊2千5百、そして後軍がレイク将軍の後詰500。もちろん僕らはレイク将軍とともに行く。
総攻撃だ、といってもここから敵まで2キロはある。
敵が撤退しようとしているのだから急ぐべきなのだろうが、まるで遠足にでも行くような速度で軍が動くのを見ると、こんなんで勝てるのかなと思ってしまう。
それはカタリアたちも感じたようで、ぞろぞろと歩いていく軍を見て険しい顔をして口をつぐんでしまった。
とはいえ、あまり好きな物言いではないけど“賽は投げられてしまった”のだ。
あとは道中、それこそ考えに考えながら、なんとか負けないための戦い。それをするしかない。
たとえ腕が動かなくても、頭で戦う。それが軍師としての戦いだ。
そう覚悟を決めて、ようやく動き出したレイク将軍についていくために、僕らは馬を動かした。