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第140話 軍神の覚醒

 衝撃はなかった。

 その前に相手の槍がずれて空を切った。


 その原因を作ったのは、


「イリス! なにをしてますの!?」


「カタリア!」


 カタリアが横合いから剣で昌景を狙ったようだ。それに警戒して、相手は槍をひっこめて馬を少し離したのだ。


「女! 何をする! 一対一の勝負に」


「そんなの誰が決めましたの? それに、あなたも女でしょうに!」


「カタリア!」


 先に行っていたから、まさか来てくれるとは思ってもみなかった。それでも、援護に来てくれたというのがなんだか嬉しい。半面、こんな危険なところに来て、という怒りもある。


「話は後ですわ!」


「ああ!」


 そうだ。これはカタリアがくれた千載一遇のチャンスだ。

 僕とカタリアは馬を返すと、一目散に駆けだす。

 昌景は馬を横にずらした影響で、すぐには追ってこない。相手の方が速いと言っても、この一瞬の隙があれば十分に逃げ切れる。


 ――はずだった。


「きゃあ!」


「カタリア!」


 カタリアの悲鳴。

 みれば馬が転倒して、カタリアは地面に投げ出されていた。

 どうやら昌景の投げた槍が、馬のお尻に刺さったらしい。


 そんな偶然ともいえる、相手の悪あがき。

 だが結果は最悪だ。


 ここで馬を失うということは、逃げる手段をなくすということ。

 つまりカタリアが死ぬ。


 最初に出会った時から、いい思いをしたことはなかった。

 会うたびに悪態をつかれ、マウントを取られたり、散々苦労をさせられた。


 けど、助けてくれた。

 僕が初めての戦いで心を折られた時、発破をかけてくれた。

 凱旋祭の時も、今、離脱できない僕のために来てくれた。


 それが、死ぬ。


「できるわけないだろ! 乗れ、カタリア!」


 馬をすぐに返して、カタリアに手を伸ばす。

 もう退路がふさがれ始めてる。この遅れは致命的。そして2人乗りになれば速度も落ちる。


 けどここで彼女を見捨てるという選択肢は僕の中になかった。


 僕の伸ばした手。

 それを彼女は見つめ、ゆっくりと立ち上がり、


「イリ……ぅ!」


 地面に放り出された衝撃でもうろうとしたらしきカタリアの背に、馬上から剣が飛んで来て――鮮血が舞った。


 カタリアの体が崩れる。

 その光景は、どこかで見たような。舞い散る血の一粒一粒が見えるようで、倒れる少女の姿がそれは――


「っ!!」


 イリス・グーシィン。

 この世界に来たきっかけ。この少女に僕がなってしまったきっかけ。


 あの時の光景と同じだ。

 何もできず、ただみているだけで間に合わなかった光景。


 助けられなかったイリスと、今、同じようにして倒れるカタリアが重なる。

 それをスローモーションのように見ていた僕の意識は、そこで一気にはじけ飛んだ。


「やったな!!」


 鞍の上から跳躍。カタリアを斬った敵、振りかぶった赤煌を叩きのめす。ぐしゃっと鉄をひしゃげる嫌な感覚はすぐに忘れた。

 着地した。次。横合いから来る剣。馬鹿が。馬上で剣なんて、リーチで敵うわけないだろ。石突きを持った手を突き出して、圧倒的リーチ差で相手の胸を打ち突き落とす。

 さらに来る。3人が一斉に来るのを、1つずつ武器を弾き飛ばすか叩き折った。これが棒の利点。圧倒的に武器自体が硬い。相手の武器破壊は、他の武器にはできない芸当。

 ついでに1人。カタリアを狙って斬りつけようとした相手には、横合いからわき腹に赤煌を突き入れたうえで、兜の上から殴りつけてやった。


「ふぅぅぅぅ」


 深く息を吐き出す。それでも乱れはない。いける。まだ全然。1千人相手でも、負ける気がしない。


「小娘が!」


 少女の怒気に満ちた声。

 そうだ。あの女。あれが……カタリアを危険にさせた。


 振り返る。

 すぐそこにいた。予備の武器、剣を引き抜いて、自らの足でこちらに駆けて来る。


 けど、何を怒っているんだ。

 怒りたいのはこっちだ。

 カタリアをこんな危険な目に遭わせて。兵たちを死なせて。


 いや、そもそも、お前らが侵略なんてしなければ、死ななくていい人間が死ぬことなんてなかった!


 ふつふつと胸の奥底から燃えたぎる熱。これは怒りだ。

 僕の――いや、軍神の怒り。


 だから理不尽に怒りをまき散らす相手が、武田最強だろうと赤備だろうと関係ない。

 立ちふさがる者をすべて薙ぎ払う。それが軍の神の御業みわざ


「軍神の怒りを、くらえ!」


 吼える。

 そして見た。敵、山県昌景と名乗った少女。その動きが緩慢かんまんなのを。

 ふざけているのか、と思うくらいに振り上げた剣と必死の形相で固まっているのが滑稽こっけいだ。


 だがすぐにそれがふざけているのではないというのが分かった。

 周囲のすべてがゆっくりと動いている。そしてその中で、僕は動けるのだ。いつもと同じように。


 これはあれか。

 スキルの一環。よくある、相手の動きがスローモーションに見えるというやつか。

 それも走馬灯みたいなものじゃない。研ぎ澄まされた感覚の差異が、あまりに乖離かいりしすぎて、意識する世界がズレているというべきか。


 それがどうにせよ。この状況でこの能力、活かさないわけがない。


 だから、一歩、前に出て赤煌を振るった。

 パキン、とたやすく相手の剣が折れた。そのままの勢いで赤煌を突き出す。


「なに? ……ぐっ!」


 胸当てを叩き割った勢いで、山県昌景の小さな体が吹き飛ぶ。


「大将!」


 それを守るように、彼女の兵たちが集まってくる。

 こうなったら何人いようが関係ない。全員叩き殺してやる。その力を、今の僕は持っている。だから――


「イリス……」


 呼ばれ、ハッとなった。

 見ればすぐ横にカタリアがいて、不安げにこちらを見つめていた。


 その怯えたような、哀しいような小動物のような瞳にさらされ、急速に頭が冷めていく。


 ……いけない。そうだ。目的を忘れるな。

 目的はあいつを叩き殺すことじゃない。初志貫徹しょしかんてつ。それだ。


「逃げるぞ、乗れ」


「え、ええ……」


 馬を引きよせてひらりと飛び乗ると、カタリアに手を差し伸べる。

 だが肩を斬られた背中が痛むのか、動きがすべて緩慢。じれったい。


「わ……きゃ!」


 赤煌を持っていない手でカタリアの傷ついていない方の手を掴むと、そのまま片手で馬上に引き上げる。


「掴まって、身をかがめて!」


「あ……わっ!」


 馬を走らせる。それから腰にカタリアの腕が伸びた。


 それ以上、カタリアのことは考えなかった。

 すでに退路は断たれている。敵の騎馬の壁ができている。


 感覚を集中してみせたけど、さっきみたいなスローモーションの世界は現れない。


 けど問題ない。

 いかれる軍神にそんなやわな包囲など、


「通用するかぁ!」


 繰り出される剣を次々と跳ね飛ばし、あるいは回避して敵を突き飛ばす。

 当たる気がしない。倒せる気しかしない。

 右肩がちくりと痛むが、無視して問題ないレベル。


 だから縦横無尽に敵を薙ぎ払い、そして、


「抜けた!」


 敵の包囲はそこまで完璧じゃなかった。まだ薄かった。

 だから十数人を倒すだけで、抜けられた。


 だが抜けたからといって安全じゃない。

 後ろから横からの追撃が来る。


 これまでは前と横だけ集中すればよかったのが、今度は横と後ろだ。

 走るのは馬に任せて、背後を見る。来た。突き落とす。敵が剣ばかりなのが幸いだった。こちらの方がリーチが長いから先に攻撃できる利点は大きい。


 だが相手の方が数が多い。

 左右に別れて攻撃されると、反撃が追い付かなくなる。


 右から来る剣。当たらない。だから一瞬、気を抜いた。

 が、すぐに思い直してそれを跳ね飛ばす。狙いは僕じゃなく、カタリアだったのに気づいたからだ。


 だがその対応が、一手、迎撃を遅らせた。


 痛み。左腕。斬られた。赤い血。イリスの血。


「ぅ! このぉ!!」


 痛みは奥歯をかみしめ、激情のままに吼えた。

 敵を突き倒す。だが、次が来る。


 ヤバい。もう限界か。

 いや、まだだ。まだ戦える。僕は死んでもいい。けど、カタリアと、イリスだけは。この2人は、守りたい。だから!


 限界を超える。

 それが何を引き起こすか、考えないようにした。頭がちりちりと痛み出し、全身が燃える熱い。それでも構わない。2人を守れるなら、僕の命なんてやすいものだ。


 行くぞ。


 そう決意し、襲い掛かる敵をすべて撃滅しようとした刹那。


「ウェルズ軍、突撃!!」


 横から鯨波げいはが起こり、人の集団がこちらに向かって駆けてくる。

 レイク将軍。すぐに気づいた。


 敵は明らかに動揺していた。そして横撃くらい、追い散らされていく。


 助かった……。


 その想いに体の力が抜ける。

 行くところまで行く前にすべてが終わった。それがなんとなく虚無感と脱力感をうみ、呆然とする思いだ。


 けど、それだけでは済まなかった。


「ごふっ……」


 体の奥底からこみあげるものが喉を通して外界へと顕現けんげんする。

 手のひらを濡らす体液。それは陽光に照らされ、その赤をより際立たせる。


「あー……まぁ、そうなるよな」


 あれだけ大立ち回りしたんだ。来ないわけがない。

 それが力の代償。軍神の反動。


 何より左手がダメだ、すごい痛い。右肩も、もしかしたら傷口が開いたかもしれない。

 満身創痍の姿に、イリス・グーシィンに対して罪悪感が募る。


「カタリア」


「あ、イリ……ス」


 よかった。無事だ。

 ここまでして守れませんでした、じゃ笑い話にもならない。


 僕の腰に手を回したまま固まってしまったらしきカタリアは、目が潤んで、顔が震えて、なんだか小動物みたいで可愛かったけど、それはまぁ、心の奥にしまっておこう。


「将軍に、伝えて。伏兵が……軍を、下げ――」


 そこが限界だった。

 むしろ良く持った。褒めてやりたい。


 けどもうだめだ。

 燃えるような体の熱さと胸の痛み。右肩と左腕からどくどくと流れ出る命の泉を感じながら、次第に視界が暗転していく。


「イリス!! ちょっとしっかりしなさい! イリス。グーシィンっ!!」


 カタリアの絶叫を聞きながら、暗闇に染まる視界の中、テレビが消えたように僕の意識はぷつんと切れた。

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