第138話 デュエンの赤備
イースの騎兵10騎とレイク将軍に貸してもらった100騎を引き連れて原野を駆ける。
目指すは2キロ先のデュエン軍陣地。
と同時に周囲の地形をしっかり見ておく必要がある。
のだけれど……。
「ふふふ、インジュイン隊、いえ、カタリア隊と言うべきですわね。その記念すべき出陣にこの絶好の日より。ええ、お日様もわたくしを祝福していますわ!」
ハイテンションのカタリアを先頭に110人が続く。
偵察に出るとなった時に、何がなんでも隊長になると言い張ったカタリアに、反論するのもめんどくさくなって隊長の立場を譲った。いや、譲ったというのもおかしな話か。そもそも臨時の隊なわけだし、カタリアが正使だというなら、兵たちを率いるのは彼女の方が正統性はある。
というわけで新生カタリア隊とやらは、順調にデュエン軍との距離を詰めているわけだが。
ちなみに琴さんは馬は苦手ということでお留守番だ。
「あー、あー、副官兼軍師兼雑用係のイリス? イリスはどこにいるの?」
「……お前、絶対嫌がらせだろ」
「あら? そこにいたの、副官兼軍師兼雑用係のイリス」
「はいはい、僕はしがない副官兼軍師兼雑用係のイリスですよ」
もうやけだ。
こういう時は調子に乗らせとけ、とサンからもらった取扱説明書に書いてあったし。
「ちょっとあそこの丘に登ってもらえます?」
カタリアがそう言って指し示したのは、左手に見える小さな丘。
といっても軍が居座るほど大きくはないため、陣を張ったり、逆落としに使われることもないだろうと思っていたが。
「なんで?」
「なんで? わたくしが気になるからでしょう!」
んな横暴な。
「わたくしはこの隊の隊長ですわよ? 隊長の命令は絶対。副官兼軍師兼雑用係のイリスはちゃんと聞いてくれますよね?」
こいつ、ちょっと調子に乗ってないか?
やっぱり隊長の座を渡すべきではなかったか。いや、どうせそうなったらそうなったで面倒なことになるに決まってる。
はぁ、仕方ない。
「はいはい、行きますよ。行きますとも!」
「はいは1回!」
これ以上は何か言いたくなりそうなので、逃げるように馬を別方向に走らせた。
その丘の上に立って気づいた。
右手にカタリアたち偵察隊が速度を落として西に向かっている。そしてその西の方向にはデュエン軍が陣を構えているようで、その数は……5千くらい、か? 確か報告では8千とか言ってたけど。少ないぞ。砦の抑えによほど兵を割いたってことか。
そして視線を左手に向ける。カタリアの位置からは丘が邪魔で見えない部分。
丘の奥はかなり低くなっていて、木々が生い茂る森のようになっていた。
なるほど、丘に登らなければ気づかなかった。
これだとここに伏兵を……。
「ん!?」
今、キラッと何かが光った。
森の中にある光を反射する何か。まさか……鎧か。わずかに人の影みたいのも見える。伏兵だ。
そのまま伏せておくのか、あるいはこちらの本陣を狙って迂回させている最中なのかは分からないが、あれは後々厄介なことになりそうだ。
砦の抑えに1千ほど残したとすれば、差分の2千の位置が不明ということになる。
さすがにあそこに2千も伏せられないから、500~1千の兵があそこに隠れていることになる。もしかしたらもう1千も逆方向とかに伏せている可能性があるとすると……これはなかなかだぞ。
カタリアの嫌がらせみたいな気まぐれの命令だけど、こうして敵の伏兵を暴けたのだから大手柄だ。
ここはすぐに戻って報告を……。
と、そこでカタリアたちの方に視線を向けた時。
それに気づいた。
デュエン国の陣地がにわかに動き出したのを。
前衛にいる部隊が陣地から出ていく。その数……1千ばかりだ。
赤く染まった鎧を着ているのか、赤の群体は解き放たれた矢のように原野を進む。
速い。騎馬隊か。
そしてその狙いは――
「くそっ!」
舌打ちする。カタリアたちは何が起きているのか分かっていない。
いや、迎撃しようとしているのかもしれない。
無理だ。こっちは100、相手は1千ほど。10倍の敵と戦って勝てるはずもない。
「逃げろ! カタリア!」
叫ぶ。だがカタリアの動きは遅い。何をしている。
ダメだ。遅い。
敵は赤い錐のように、一直線にカタリアたちの隊へと殺到する。
そしてカタリアたちが1千の敵に飲み込まれ蹂躙される――直前に部隊が割れた。突破されたわけじゃなく、自ら左右に別れたのだ。
敵は一気に蹂躙するつもりだったのか、一直線に進むばかりだったので、咄嗟の動きに反応できなかった。
カタリアたちは敵をやり過ごした後、その後方でまとまると南の方、つまりこちらに向かって駆けてきた。
「さすが、やる!」
笑みが漏れた。さすがはお嬢様。やる時はやる。
だが危険は去ってはいない。
敵は初撃をかわされたものの、見事な指揮で部隊をまとめ上げると、そのまま旋回。再びカタリアの後方から襲う。
その動きと赤色、そして騎馬隊。嫌な予感しかしないんだよな。
源二郎か赤鬼か、あるいは三郎兵衛尉か。
どれにしても強敵だ。そうであってほしくはないけど、最悪の場合を想定すると身の毛がよだつ。
「カタリア!」
とにかく今はカタリアと合流する。話はそれから。
「イリス! 遅いですわ!」
「んなこと言ってる場合か! 逃げるぞ!」
「ええ、あれはまともに戦ってはいけない相手ですわ。もとよりこの隊の目的は斥候。イリス、ちゃんと何かをみつけてきまして?」
「ああ敵が兵を伏せてるのを見た」
「重畳。それだけで十分として離脱します」
よかった、カタリアは冷静だ。
そう、僕たちは斥候に来ただけだ。敵との交戦は目的としていない。
てかそれにしてもたかが100くらいの斥候に1千の、しかも赤備を繰り出してくるとか……。
あるいは、せん滅させなければならない理由があるのか?
いや、今は逃げる方が先決。
「敵、来ます!」
だが敵はこちらを逃がすつもりはないようだ。斥候は情報を持ち帰らなければ仕事にならない。
やはりあの伏兵は知られてはいけないものだったということか。
相手はいい馬をそろえているのか早い。
じわじわと距離を縮められている。おそらく味方の陣地に戻る前に補足されるはずだ。
仕方ない。
「カタリアは離脱を急いで! こっちで足止めする!」
「イリス! こんなところで死んだら許しませんわよ!」
「はいはい」
「はいは1回!」
他愛のないやり取りだけど、カタリアが本気で心配してくれるのが伝わってきて、なんだか嬉しくなる。
友達として国を支える人間になりたい、そう思っていたけど、こうしていがみ合いながらも助け合うというのもありなのかもしれない。戦国乱世における、いびつな友情の形。それをなんとなく感じ取った。今更。
だから、こんなところで彼女を死なせるわけにはいかない。
そして僕も死ぬつもりもない。
馬にくくりつけていた鉄棒、赤煌を取り出し、少し馬速を落とす。
ぐんぐんと敵が近づいてくる。殺気立った目に抜き放たれた銀色の剣。腰を抜かすには十分すぎるけど、今の僕はアドレナリンが出まくってるからか、そんなものは感じない。
そうだ。負けるわけにも、死ぬわけにもいかない。
それがこの世界で生きると、皆を守ると決めた覚悟。
だから敗けない。
相手が誰だろうと、絶対に。