挿話13 カタリア・インジュイン(ソフォス学園1年)
「湯を沸かして! それと清潔なタオルを用意する! あと効きそうな薬草をありったけ用意して! 薬草が分からない? 土地の者に聞けばいいでしょう! あと医者!」
狭路での戦いが終結して数時間が経った。
わたくしたちは今、近くの村にて休憩を行っていた。
いや、休憩というのは一部の者。
わたくしはこうやって上を下への大騒ぎ。
というのも、あの狭路での奇襲を読んで敵を追い払ったイリス・グーシィンが、まさかの負傷して担がれてきたから。
しかも傷口から毒が入ったのか、高熱を発していた。
傷口から毒が入って腐るようにして死んでいく兵がいるというのは、お父様やお姉さまからさんざん聞かされてきた。
幸い、その現場をまだ自分は見たことがないが、もしかしたらこれがその最初になるのかもしれない。
イリス・グーシィンが死ぬ。
そう思うと快哉をあげたくなる自分が――いなかった。
前々から気に食わないやつで、殺してやると思ったことも1度ではない。
だからいなくなってせいせいすると思ったのに、なぜ?
思い出すのは2カ月前。
ラス・ハロールの無様な裏切りにより、深く傷つけられた日に起きたこと。
『可愛いんだからさ』
そう、タヒラ様と同じことを言われた。
タヒラ様と似ても似つかない、男女のくせに。
それからだ。
あの男女が気になってしまったのは。
だから軍議に出たことは妬ましかったし、出陣して初陣を飾ったと聞いた時には気が狂いそうになった。
そして、ショックを受けて家に閉じこもっていると聞いた時には、火山のように怒りが湧いてきて――同時に、どこか物悲しい風が心に吹いたのを覚えている。
だからだろう。あんなことを言ってしまったのは。
あれはもう手助けしているようなもの。イリス・グーシィンごときに、わたくしが気に掛けるなんて。
……いえ、違いますわ。
そう、これはライバル心。
あの男女は、気に食わないけどタヒラ様の妹であり、わたくしと肩を並べる名家(もちろんインジュインの方が上ですが)の人間で、成績は劣っても武術では互角の人物。
そう、その通りです。
今、このまま死なれてしまっては、ライバルとしてのわたくしの立場はどうなりますの? 勝ち逃げ――ではありませんね。わたくしに完膚なきまでに叩きのめされるべき人間が、負け逃げなど許されるはずありません。
何よりタヒラ様がお悲しみになられるに違いありません。あのお方の心は海より広く、一応は妹という立場にあるのですから失えばお嘆きになるのは間違いないでしょう。
何よりこの男女には借りを返さないと気が済まない。
ザウスの侵攻。その時にこいつがいなければお姉さまは死んでいたかもしれない。
凱旋祭の事件。こいつの即応がなければもっと被害は拡大していたかもしれないし、お父様も危なかったかもしれない。また、こいつの決断がなければ、今頃はトントの支配下に置かれていたかもしれない。
それを考えれば、これは借りを返す。
ただそれだけの話。
それだけの、こと。
だから、
「死ぬんじゃありませんわよ、この男女!」
忌々しさも込めて、イリス・グーシィンの胸を叩く。
「ちょ、ちょっと暴力はよくない、カタリア・インジュイン」
と傍に駆け寄って来たカーター先生がたしなめてくる。
「暴力ではありません。これは心臓マッサージという、最新の蘇生術です」
「カタリア・インジュイン。君には医術の心得があるのか?」
「わたくしを誰だと思ってますの先生? そんなのあるわけないじゃないですか」
「なっ、ならなぜ……」
「インジュイン家は軍部の家柄。心得などなくても、これくらいなんとかしてきました」
「そ、そうなのか」
お父様やお姉さまの話。そしてわたくしを鍛えていただいた教師の皆さま。
それらの知識を総動員すれば、やってやれないことはない。
「それより出て行ってもらえます? 男女とはいえ、イリス・グーシィンは女性。男性の先生は治療の邪魔になるので」
「俺は彼女の婚約者として……いや、そうだな。出て行こう。だから、すまない。頼んだ」
肩を落として出て行くカーター先生。
まったく、この人もどうしてこんな男女に首ったけなのか。
もっと家柄も美しさも可憐さも賢さも上の人がここにいるというのに。
寝台に寝かされ、薄着一枚のイリス・グーシィンは、苦しそうな顔で眠っている。
それを見て嘆息。
まったく。どうしてこんなことになったのか。
あれほど忌み嫌っていたイリス・グーシィンを、わたくしが治療するなんて。
それもこれも、この男女がいけない。
いきなり人が変わったかのように、非行が収まり、減らず口を叩きまくる。その口のせいか、軍部にしっかり取り入って、さらにあの太守様をも虜にしていると聞く。本当に、どうしてこんな男女がいいのか。
いえ、それくらいはハンデといたしましょう。
それをしてもまだイリス・グーシィンはわたくしと互角。いえ、家柄と才能を考えれば、まだこちらが上でしょう。
「だからこれは上に立つ者が弱き者を救う、それだけのこと。それ以上でも以下でもイコールでもノットイコールでも同格でも規格外でも範囲内でも範囲外でも射程内でも射程外でもありませんから! そこのところ間違えないように!」
ビシッとイリス・グーシィンに指を突きつけてみる。
けど相手からは何の反応もない。
「なんて言っても、聞こえませんわね」
この男女は、本当になんなのか。
あの凱旋祭での事件でもそう。自ら不利益を顧みずに先陣切って。
今回の件も同じ。
だからなのだろうか。この男女は様々な人に好かれているように見える。
『お願いします! イリス殿を、救ってください!』
涙ながらに兵たちに頭を下げられた。
わたくしは医者でもなんでもないのに。
もし、わたくしが同じ立場になって傷ついた時、涙ながらにこう言ってくれる人はいるのだろうか。
ふと考えてしまって、怖くなった。
怖い? そんなわけない。わたくしが傷ついたら、イース国総出で治療にあたってくれるはずだから。
けど、本当にそうか?
わたくしはこの兵たちの名前も知らない。顔も覚えてない。
そんな人たちが、わたくしのために涙を流すのか。
そう考えてしまう、自分が嫌だった。
いや、だからこそなのか。だからこそ、わたくしはこの男女に――
「わたくしは、あなたが――」
「カ、カタリアちゃん!」
はぁ、うるさいのが来ましたか。
てかわたくしは今、何を言おうとしました!? いえ、忘れましょう。
「静かにしなさい、ラス・ハロール。それより言われたタオルは――」
「どうしよう! イリスちゃんに何かあったら……私は、私は!」
話を聞かない子。
まったく、いつまでたっても成長しないのだから。
「ええい、いつまでもピーピーうるさい! 死ぬなら勝手にお死になさい!」
「ひ、ひどいよ、カタリアちゃん」
ああ、もう。この子は本当にいらいらする。
何の覚悟も意志も主張もない。
ただふらふらと強者にすがり寄って生きていくだけの存在。
追い出そうかと思ったけど、一応は人手がいる。
直後には沸かされたお湯と薬草らしきものが届いて準備完了。
深呼吸。
やったことはない。けどここはやるしかない。
「さて、まずは毒の除去から始めましょう。最初に口吸いで取り出しましたが、まだ残っているはず」
「く、口吸い……それって……キス!? まさかカタリアちゃんとイリスちゃんが……キス!?」
「口と口のわけないでしょう!」
まったく、何を考えているのか、この子は。
緊張感がなくなってやる気を失う。
いえ、やる気をなくすわけにはいきません。
イリス・グーシィン。
気に食わない相手だけれど、わたくしは救うと言ったのですから、救ってみせます。
何があろうと、絶対に。