第124話 VS望月千代女
殺気が来たのは前――ではなく背後だった。
背中にゾクッとした感覚。その直感を信じて横に跳ぶ。
背後で何かが素通りした感覚。受け身を取って、今度は立ち上がる。
しゃらん。
鈴の音。髪が舞う。僕の髪の毛だ。それが斬られた。
その光景の向こうに見た。
もう1人の巫女がいるのを。
「本当に勘が良い。忌々しい」
「いや、ちょっと待て。なんだ、それ……」
「「待たない」」
同時に言って、“2人”の巫女――望月千代女がこちらに走る。
まったく同一。顔も、服装も、武器も、何もかも。
いや、ただ1つ違うのは髪の色。最初に会ったのは光を弾く白髪だが、背後から僕を襲ったのは燃え上がるような赤髪。
髪の色が違う同じ人物が、同時に存在して同時に襲い掛かってくる。何かの悪夢かよ。
「まさか、双子トリック!?」
「外れだ」「馬鹿」「死ね」
声が――3つ!
反射は咄嗟。前に出る。2人の望月千代女に向かって。それが虚を突いたのか、2人の眠そうな目がキュッと細まる。
同時、背後でやはりまた気配。殺気。
距離が相対的に一気に近づいた2人の望月千代女。だが驚いたのも一瞬、すぐにもとの瞳に戻ると、構えた小太刀を振る。
それを僕は手持ちの棒――赤煌(命名:琴さん)で受けることはしなかった。
微妙にタイミングをずらされている。同時に両方を受けることはできないだろうし、そうしたら背後のもう1人に刺される。
だから行ったのは迎撃でもない、体をしゃがみこませ、スライディングの要領で2人の巫女の間をすり抜ける。
「「「ちっ」」」
3人の望月千代女の舌打ちが聞こえた。
振り返り見れば、白髪と赤髪、そして青髪が増えていた。
「おかしい」「どんなやつも」「参で殺せる」
声まで一緒だ。そして別々の発言なのに、1つにまとまったように聞こえるのだから頭がおかしくなりそうだ。
「いや、というか殺すっておかしくない? さっきまで捕まえるとか言ってなかった?」
「あれは嘘」「違う、手違い」「殺す気で捕まえる」
今度は全部別々のことを言いやがった。
再び戦闘態勢を取る千代女。だがこっちは奇襲の対応と3人の千代女で、正直動揺している。なにより息が弾んでいた。
少しでも休憩の時間が欲しい。
「いやはや、伝説の歩き巫女は三つ子だったとは。しかも鈴の音で攻撃と見せかけ、3人目ではそれを鳴らさないとか」
「私はどこにでもいて」「どこにでもいない」「それが歩き巫女」
「シュレーディンガーかよ!」
「間違えた」「お屋形様の傍にはいる」「いつでも、いる」
「ああ、そうですか! 羨ましいな!」
くそ、調子狂う。
けど呼吸を戻すのには成功した。あとはこいつをどうするかだけど……。
「それにいつ」「私が3つが」「限界だと言った?」
「へ?」
3つが限界?
3つ。3人。嫌な、予感。
白髪の左右にいた赤髪と青髪がすっと横に動く。お互いに白髪に近づくように。
そして2人の望月千代女が、白髪の背後に重なり視界から消える。それも一瞬、左右を入れ替わった形で赤髪と青髪が現れた。
だがそこから目を疑った。左右に移動する赤髪と青髪の望月千代女。それがダブった。いや、増えた。
またしても同じ顔、同じ服装、同じ武器。
違いは1つ。髪の色。赤髪からは金髪が出て、青髪からは緑髪が出る。
総勢5人になった望月千代女は白を中心に、横並び。悪夢かよ。五つ子ちゃんってわけじゃないよな。
「私たちが」「望月千代女」「いりす・ぐーしぃん」「その命を」「頂戴する」
「……戦隊ものの鉄則じゃあ、赤がセンターだぞ」
「意味不明」「理解不能」「迷者不問」「愚者一得」「一知半解」
なんか訳が分からないけど、馬鹿にされたような気がする。
けどまいったな。五つ子ということじゃなければ、これはもう1つしかない。
スキル。
やはり僕だけじゃなく、この世界のイレギュラーはすべてスキルを持っているということなのか。
琴さんのあの異様な衝撃波、小松姫の異常な強さ。それらの原因がここにあるとするなら、理解はできよう。
ん、じゃあ小太郎にもあるのかな?
いや、今は考えるな。
この5人の望月千代女にどう対応するかだけ考えろ。
相対して感じる。この相手、どうもやりづらい。
独特の間というのか、動き出しが認識と若干ずれる。だからただ相手が攻撃してきただけでも、意識外から来たように思える。
要は動いたと思ったらすでに動き出していて、攻撃が来ると感じる前に攻撃が来るということ。
体術とか武器の扱い方とか、これまで見てきた姉さんとかを筆頭に見ればそこまで脅威ではない。
脅威なのはその間。それが1対1ならまだなんとかなる。だがそれが5人ともなると……。
「問答は」「時間の無駄」「私の」「お屋形様の」「敵は殺す」
どうやら僕を殺すことで意見は一致したらしい。5人が同時に動き出す。だが来るのは同時ではない。
その段階で、僕は心に決めた。
まず赤髪が来る。タイミングを外した下からの斬撃。それを棒で受ける。続いて緑髪。赤髪とは逆から逆手の小太刀を突き立てるように。棒に入れた力を抜く。姿勢の崩れた赤髪をいなすようにして、蹴り飛ばす。緑髪の方へ。同士討ちを恐れた2人はそのまま激突した。
ホッとする間もなく、今度は青髪と金髪が来る。左右から同時、ではなく若干ずれた攻撃。けど、それは認知出来れば対処可能。棒を左右に突き出して、青髪と金髪の動きを止める。一瞬だけでいい。
その間に抜けた。4人の包囲を。
最後に残った白髪。それに肉薄する。
「本体を倒せば!」
「それは無理」
えらい自信だ。
けど千代女にも知らないことがある。僕が彼女のスキルを知らなかったように、彼女も僕のスキルを知らないはず。なんせ名前も知らなかったんだ。
軍神。
いくら5人の同じ忍者だとしても、脅威なのは意識外からの攻撃――要は暗殺だ。さっきまで何度もやってきたように。
いや、タイミングの外れた攻撃も脅威なのだけど、そこはもう軍神。正面切った戦いで負けるわけがない。
そして分身スキルの王道は『本体を叩けば分身は消える』だ。
だから4人の攻撃は最小限にかわして、一気に本体の白髪に狙いをつけた。
女性に手をあげるのは心苦しいが、今は僕も同性。なにより女の命の髪を斬られた正当防衛とさせてもらおう。
白髪の千代女が両手に逆手に持った小太刀を振るう。
そう、この逆手持ちもいただけない。逆手に持つということは、肘に向かって刃物が伸びるということ。それは凶器のリーチを殺しているようなもの。
もちろん逆手で突くことはできるが、そうするなら順手にした方が速度も力も、なにより連射性も段違いだ。
逆手で有効なのは、上段から思い切り振り下ろす時と、背後から相手の喉や心臓を裂く時。
これはもう、忍者、暗殺者としてのくせというか、矜持によるものだろう。
だから白兵戦で、棒という長大リーチをもった僕に敵うわけがない。
「ぐっ……」
相手の小太刀が空を切る前に、僕の赤煌の一撃が相手の腹部を直撃した。
勝った。
だが僕はその時点で圧倒的な間違いを、見落としを犯していた。
「残念」「外れ」
――2人の声。
反射で避けた。というか身を投げだした。
同時、痛みが来た。右肩。悲鳴をあげそうになるのを、歯を食いしばってこらえる。
何度となく転がって、身を起こしてみれば、さらなる悪夢が広がっていた。
「おいおいおいおい。こんなの、ありか」
「ありです」「むしろなんでないと思ったのか」「聞きたいです」
3人追加だ。
水色、紫、そして、黒髪。
そう、黒髪だ。
よくよく考えれば日本人。いや、外人って可能性もあるけど、日本の人物と考えれば黒髪がいなかったのが間違いだった。いないものと断じてしまったのが、“5人で分身が最後だなんて誰も言っていないのに確信してしまった”僕がバカだった。
「いや、コスプレみたいだからさ。白髪もありかなって……」
「こすぷれ?」「意味不明」「馬鹿なの?」「ありえない」「知盛と同じ」「現実を見ない」「片腹痛い」「……本当にお腹痛い」
最後の白髪のリアルな響きが可哀そうだった。いや、僕がやったんだけど。
「5人が限界だと思ったのは確かに間違いだったよ。まさか8人とはね……ちなみにまだいる?」
「さぁ」「分からない」「それはそうでしょう?」「自分たちの数を」「数えたことがある?」「それこそありえない」「確か763人」「なんで言うの?」
約1名、統率が取れてないのがいるんだけど。てかまた白髪。
ってちょっと待て。
「763人!?」
「驚くことじゃない」「私たちは歩き巫女」「歩き巫女は組織」「数は無意味」「歩き巫女は望月千代女の集まり」「だから私はどこにでもいて」「どこにでもいない」「それが歩き巫女」
くそ! 誰だ軍神なら負けないって言ったの。さすがに1対763はきつい。一騎当千くらいしろと思うけど、真正面からのぶつかり合いじゃなく、僕の命を狙った暗殺になると無理だ。僕が戦っているところを背後からというのもいつまでも防げるものじゃないし、彼女の言から想像するなら763人からまた増えない可能性はない。
分身の術。思ったより厄介だった。
「くっ……」
どうする。一気に形勢逆転だ。何より右肩の傷が深い。血がどんどん流れてくる。それになんだか切り傷の痛み以上に体の内側が殴られているかのように痛い。
まさか、毒?
そういや望月って甲賀忍者だったっけか。なら毒を使うこともありえる、か。
マズいな。手当したいけど、それをする暇を与えてくれるとは思えない。
つまりこの状況では勝つことはもう不可能。それ以前に、いつ9人目が背後から現れるか分かったものじゃない。
「ではそろそろ」「本格的に」「終わりにしましょう」「いりす・ぐーしぃん」「お屋形様のために」「何人たりとも」「我が国の」「邪魔はさせない」
8人が、来る。
受けることはできない。逃げることも……もっとできない。
ここで、終わりか。
目をつむる。
そして走馬灯のように流れてきたのは、前の世界での家族や友人ではなく、ヨルス兄さん、タヒラ姉さんたち、そしてすぐ近くにいるはずのラスやカタリア。この世界の面々だった。
もう、僕はこっちの世界が現実となってしまったのか。
そう思うと、どこかおかしくもある。
そして――
「イリス殿!」
声に目を開けた。
見れば追撃を終えたらしい兵たちがこちらに駆け戻ってきたのが見えた。
「時間切れ、か」
間近に迫っていた8人の望月千代女は、ふっと殺気をしまうと、白髪以外の千代女が白髪のもとへと集まっていく。
8人が重なりあったかと思った瞬間。そこにいるのは白髪の望月千代女だけになった。
……助かった、のか。
死の絶望と出血で考えがまとまらない。
「ま、いい。敵をはっきりと確認できたし。それに、“うえるず”の国都に行くなら、すぐにまた会える」
「ま、待て……どういう」
「待て? 待つの間違いでしょ。私が、その喉元に刃を置く日を。まぁ、それまで生きてれば、だけど。では」
しゃらん、と鈴が鳴った。
その次の瞬間、望月千代女は丘の上から身を投げた。
丘と言ってもそれなりに斜面と高さがある場所。そこから落ちればひとたまりも……いや、彼女なら無事だろう。
あるいは無事を確認しに覗き込んだところを襲い掛かるなんてこともありえなくもない。
ともあれ、助かった。
いや、助かったと言っていいのか。
望月千代女。
そして平知盛。
やっかいなイレギュラーが敵に回った。
そう思いながらも、近づいてくるみんなの顔を見て安心したのか、右肩から流れる命の水を失いすぎたからか、僕は意識を失った。