第122話 ウェルズ国にて
2日目の昼。
僕らは国境を越えてウェルズ国に入った。
といってもここからがまだ長いわけで、その間は同盟国とはいえ他国の領土を進んでいくことになる。
つまり何が起きても分からず、何よりここではグーシィン家もインジュイン家も、どちらの家の威光なんてものは通用しない。
僕らですべてを決断し、責任を取らなければいけないわけだ。
とはいえ、気をもんでもしょうがない。
同盟国で、使者ともなればそれぞれの街でそれなりの待遇はしてくれるわけだし、お金さえ払えば相手も笑顔を返してくれる。
だからこの間、一番の敵は外ではなく内にあった。
それは昨夜。
途中にある村に宿舎を求めた時のことだ。
『まさかこれが宿ですの……! こんな、ちっぽけで、おんぼろで、汚いこんな……』
『違うよぉ、これは馬小屋だよ。きっと奥が私たちの部屋だよ』
『ふんっ、わたくしは裏切り者とは口をききませんわ!』
『あうぅ……』
『おやおや、いけないね。君たち。仲良きことは美しきかな。この現世で魂を共鳴させることがどれだけ稀なのかを片時も理解していない。ボクらが出会ったこの奇蹟を、ただ夜空に浮かぶ星のごとく煌くことを喜ぼうじゃないか』
『…………はぁ。…………ちょっと、ラス・ハロール。なんですの、この人は?』
『えっと、コトさんで、剣がすっごくて、格好いいの!』
『……やっぱりあなたとは分かり合えませんわ。それ以前に! イリス! イリス・グーシィン! 一体何ですの! この宿は! いえ、宿ではありませんね! どうなっているのです! ちょっと! イリス・グーシィン!? どこ行きましたの!?』
なんというか、フリーダムすぎて収集がつかなかった。
一応、引率としているカーター先生も、疲れたように肩を落としていた。
そして僕はカタリアとかかわるのがめんどくさくなって、すべてを先生に押し付けて雲隠れしていた。
少しくらい、自由という子供の特権を使わせてもいいだろう。そして逆に先生には大人の責務を果たしてもらおう。
そしてまた、フリーダムなのが1人。
『あ、いりす殿。ちょっと先行して斥候に出てきます』
風魔小太郎はそう言って、馬を借りて先に行ってしまった。
少し休んでいけばと思ったけど、まぁ言い出してくれたことはありがたいし、大人しく送り出していた。
そんなわけで、カタリアが騒ぎ立てるのをなんとかなだめて、彼女の最低限満足できる朝食を用意して出発した2日目。
国境を越えても、別段代わり映えのしない自然が広がる中を、馬車の軍団がのろのろと進んでいる。
一応、道は申し訳程度に舗装されているからそこまで揺れないけど、それでもやはり連日座っていれば疲れも出る。
だから数時間おきに休憩をはさんでいくわけだが……。
「しばし止まってくだされ! いりす殿!」
ふと、名前を呼ばれて、うとうとしていた気分が一気に晴れる。
どうやら昨夜出発していた小太郎が戻って来たようだ。
カーター先生が馬車を止めると、後続もそれにならって停止していく。
馬車の窓を開けると、小太郎の顔が飛び込んできた。
「この先、斜面に挟まれて道が細くなってるところがあります。襲撃には絶好の場所かと」
「襲撃か……」
そう、ここからはそれを常に警戒しないといけない。
まさか同盟国である使節団を襲いはしないだろう。というのは甘すぎる。甘すぎて歯を総入れ歯にしても追いつかないくらいだ。
なぜならすでにトントとザウスという前例があるから。
勝つためなら一方的な同盟破棄による奇襲も否やはない。それがこの世界、この時代の価値観。
だから今度も大丈夫と高をくくれないのは、この場にいる全員が身に染みて分かっていた。
そして襲撃をしてくるのは国だけじゃない。
そう、野盗や盗賊といったアウトローたち。それ以上に、ウェルズ国の国民が襲って来る可能性だってある。
ここに今あるのはウェルズ国への貢物。
国としてはそこそこの価値があるものだが、一般市民からすれば人生を遊んで暮らせるだけのものはある。
ろくに稼ぎもなく、徴兵や徴用によって命をすり減らされるだけの一般人からすれば、命を賭けて奪ってみる価値は十分にある。うまくいけば責任は全部国に行くからだ。
実はそれが一番、こっちとしても厄介だ。
国が裏切ったのなら、正々堂々打ち負かせばいい。
盗賊が襲って来るなら、治安のためにも叩きのめせばいい。
だがその国の国民が襲ってきた場合は、そうそう邪険にできないのだ。傷つけるのも最小限にし、殺害なんてことは絶対にあってはいけない。
まさか襲ってきたからと全員を返り討ちになんてしたら、たとえ巨万の富であっても友好の証にはならないだろう。
もちろん使節団を襲った国民を制御できない相手側の国も悪いのだが、国民を死なせたということは後々、しこりとなって残る。
つまり友好度が100になるところが、50にしかならないという。こっちは何も悪くないのに大損になる最悪の事態だ。
だから国民が襲って来ても本気で相手してはいけない。
かといって貢物が取られるわけにはいかない。
だからそのパターンが一番厄介だと思ったわけで。
できれば何事もなく通らせてほしいものだ。
「敵の姿は?」
「一応、登ってみたりしましたが、人っ子一人いませんでしたよ。少なくとも入口の辺りは。それ以上入り込む危険性より、このことをいりす殿に伝える方が重要と考え、帰って来ましたけど」
「いや、その判断は正しいよ。さすが風魔小太郎」
命を賭して情報を取ってくる必要性は、今はない。だからその小太郎の判断は正しい。
だけどなんだろう。小太郎の報告に若干、違和感を感じたのは。
「ちょっと、イリス・グーシィン。正使のわたくしを差し置いて、何を話していますの?」
だが僕のその懸念は、仲間外れにされたのが嫌なのか、カタリアがずいと膝を寄せてきたことで中断された。
「はいはい、お嬢様。この先に狭路があるんですって」
「きょーろ?」
「まぁ要は襲撃に絶好の場所ってことです。細い道、両側はせり上がってる」
「なるほど……」
一応、彼女も頭が悪いわけじゃない。
それだけで事態の難しさが伝わったようだ。
分かっていないのは、ラスと琴さん。
とはいえそれも仕方ない。ラスは警視長官の娘だからこういう軍学の話は習っていないだろうし、琴さんも同系統の治安維持部隊といった立場だと聞いたからピンとは来ないだろう。
「厄介ですわね。迂回はできないので?」
「残念ながら無理っすね。そこ以外には道がなく、うっそうとした林が続くか、でこぼこの丘陵地になっているかっす。だからその道以外、この馬車が通れる場所はないです」
林みたいな木々が密生しているところは狭すぎて馬車が通れないし、丘は1つ操作を間違えると馬車が横転する危険性がある。だからこのまま道を進んでいくしかないという。
考えすぎかもしれない。
だがこういった時に考えずにつっこむのは敗けフラグというかお約束というか、仕事にも共通するものはある。
とはいえ用心しすぎても問題はある。それほど僕らに時間があるわけじゃないし、カタリアという内憂もある。
はてさて、どうしたものか。
その時には僕の軍師としてのスイッチが、神算なる鬼謀を生み出そうと高速で動き始めていた。
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