第121話 使節団出発
「それじゃあ、準備はいいかな」
カーター先生が馬の鞭を手にして振り返りながらそう聞いてきた。
「ええ、構いませんわ」
といつも通り尊大なのはカタリア。
「は、はい。よろしくお願いします」
その横に座っておっかなびっくりのラス。
「閉ざされし空間に集いし賢者たちよ。今は一時の夢を語りつつ、儚き未来への旅路をゆこうじゃないか」
相変わらず訳の分からない中沢琴さん。
「自分がこのような高級なものに乗ってよいのでしょうか? ちょっと外、並走します! え? 牛車じゃない? 馬車? なんです、それ?」
そして仕方ないとはいえ果てしなく時代錯誤なことを言い始めた風魔小太郎。
最後に僕を含めたこの6人が、ウェルズ国とノスル国への使節団としてイース国の西門を出発したのは8月の中旬過ぎだった。
ネイコゥ主催の宴会から2週間以上も経ったのは、色々と事情が重なってのこと。
というかその宴会がネックだった。
そもそもこの使節は、ウェルズ国とノスル国へ同盟を続けてもらうための友好の使者なのだ。
つまりこちらはお願いする立場。ゆえに献上品やらが必要となる。
そして献上品とは高価なものだったりするわけだが、それはつまりお金がかかる。
それでもってうちはお金がない。特にまたあの太守が馬鹿みたいにお金を使った直後ならなおさらだ。
一応、献上品としては色々と無理をした。
ない袖は振れないのは国であっても同じこと。いや国だからこそ、サラ金で、などと簡単に借金もできない。
だから無理をすれば、国民から税として徴収するか国債を発行するかなどの強行をしなければならないわけで。
結果からすれば、そこまでする必要はなかったわけだけど。
そのからくりは一通の手紙。
それを運んだ人間からすれば、さすが父さんというべきか。
からくりは簡単だ。
お金がないなら、この国で一番、経済的な力を持つ人間に頭を下げればいい。
それは太守でも父さんでもインジュインでもない。そう、ミリエラさんのお父さん、ゴーンおじさんだ。
彼らはこの国の生産力の根底を支える鉱夫という存在。
彼らが何も採掘しなければ、この国は間違いなく立ち枯れる。そしてその採掘するものは、金であり、銀であり、そして宝石であった。
もちろん国営の採掘所である限り、採掘したものは国に納品される。だがその一部は、ゴーンおじさんたちの有する財産として認められている。そういう契約になっている。
それはもちろん個人的な資産ではなく、彼らの万が一の保険。そしてそれは巡り巡って、国としての保険なわけだ。
どうしようもなくなった時に使える、一度きりの秘密金庫。
それを今回使った。
『まぁあいつのことだ。色々、誤魔化して数倍の鉱石は隠し持ってるだろうがな』
父さんはそう言って笑っていた。
なるほど。さすがはミリエラさんの父親。そしてインジュインの軍部、グーシィンと匹敵する鉱山管理という第三勢力を保持するのは伊達じゃない。
というわけで、ゴーンおじさんから得たお金によって、献上品があがなわれた。
それもちょうどあのパリピ太守の発注でイース国に来ていたネイコゥによって。
あの太守の浪費に合わせて献上品も見繕ってもらっていたわけだ。大量発注と一括購入は経費削減のファーストチョイス。さすが父さん、経理を分かってる。
『そんなことないよぉ。イリスちゃんが太守様のことをちゃんとパパに教えてくれたからねー。うんうん、なでなでしてあげちゃ――ぐほっ、イリスちゃん……パパ、傷が……』
父さんの完治が不幸な事故によって伸びたのは仕方ない。うん。仕方ない。
ともあれ、そうやって得た献上品を持って、僕ら6人は出発したのだ。
もちろん献上品はポケットに収まるようなものじゃないから、5台ほどの馬車の荷車に収まってるわけで、それを狙ってくる野盗・盗賊・山賊といった連中から守る護衛が50人ほどついてくることになったわけだけど。
「またイリス殿とご一緒できて、光栄です!」
護衛は例の凱旋祭で騒ぎを収めた時に一緒だった兵たちだったのは、コミュニケーション的にはありがたかったけど、彼らは今年が初陣の新兵だ。
いくら同盟国とはいえ、これだけの金品を輸送するのに新兵50人とは。グーシィンめ。もしかして僕らの失敗を狙ってるのか? これが失敗したら、一番困るのは自分たちだぞ?
といってもこれ以上兵力が裂けないのは理解してるつもりだ。
この国の一番の良心であり、軍の柱である将軍が負傷により療養している時だ。あの大将軍ではどれだけ兵があっても不安でしかない。クラーレ1人では国都防衛は心もとないだろう。
タヒラ姉さんは、インジュインとしては呼び戻したくないだろうし、それ以上に南の守りを手薄にして、せっかく手に入った新領地を奪い返される愚はおかしたくないのも分かる。
というわけで一兵でも多く国都に残しておきたい、というのがインジュインの腹積もりだろう。
まぁいいや。
そもそもが同盟国の領地を通るだけなのだ。そう盗賊みたいなのが出るわけでもないし、他の争いごと何て起きやしないだろう。
「それにしても、ウェルズの国都まで1日でしたっけ? 気の長い旅になりそうですわ」
「いや、カタリア。普通に馬を走らせて3日って話だよ。それにこの馬車5台の大所帯だし、5日はかかるよ」
「なっ……そんなかかりますの!? それをこんなぎゅうぎゅう詰めの馬車で過ごせと!?」
それは僕も同感なんだけど、仕方ないだろ。
「くっ……こんなことならインジュイン家のわたくし専用馬車で行けばよかったですわ」
「使節団なのに個人の使っちゃだめだろ」
「何を言っていますの! わたくしはこの使節団の正使! すなわち代表! この使節団の顔なんですわよ! だから少しくらい特別でも問題ありませんわ!」
「はいはい、そーですねー」
「そしてあなたは副使! ならばしっかり宿舎はしっかり手配されているのですよね!? 薔薇の香りのするお風呂に、ふかふかのベッドはもちろん、わたくしに合った朝の紅茶!? ディナーとモーニングはわたくしお抱えのシェフでなければ許しませんわよ!」
あるわけないだろ。どれだけ我がまま言いだよ、この正使様は……。
つか宿の手配とか知らないし。きっと浪士組の時の近藤さんもこんな苦労したんだろうなぁ。まさか道端でたき火とかし始めないよな、このお嬢様は。
ったく、しょうがない。
「えっと、お嬢が家柄を誇りにかけた我がままを言い始めた場合。ページ62っと」
「なにをやっていますの?」
取り出した手帳をペラペラとめくりだすと、カタリアがいぶかし気にこちらの手元を睨みつける。
「えーっと。そういう時は、とにかくよいしょして適当なことを言っておけば勝手に忘れるので大丈夫、と。なるほど。というわけでカタリアのすごいことは分かったよ。うん、すごいすごい。きっと素敵な宿が待ってるんじゃないかな」
「ちょっと待ちなさい! なんですの、それは!?」
「え? 何って、『お嬢の飼い方 初級者編』だけど」
「……意味が解りませんわ」
「えっと、サンだっけ? 彼女からもらった」
「サンーー!!」
顔を真っ赤にして天井に向かって吠えるカタリア。
おお、効果てきめんだ。
さすがはずっとこいつの面倒を見てきた2人がまとめただけはある。
『残念ながら私たちではカタリア様についていくことは叶いません。そこで頼みがあります、イリス・グーシィン。私たちに代わってカタリア様のお世話係に命じます』
いきなり学校で呼び出されて、カタリアの助さん角さんポジションの2人、ユーンとサンに言われたのは数日前だ。
『え、嫌だけど』
『なんでですか! こんなに頼んでいるのに!』
『いや、頼むというか命令じゃん。命じてたじゃん』
『……分かりました、お金ですね! いや、土地ですか! こうなったら西地区の、いや杉林を担保として……』
急に暴走し始めたユーンに閉口していると、その横で面白そうにニヤニヤしていたサンが口を開いた。
『ま、こんなこと言うのもなんだけどよ。これでもあたしたちゃ、今のあんたはそれなりに買ってるわけだ。前はなぶり殺してやりたいくらいうざかったけどよ』
『はぁ……』
この娘、口悪いな。そして考え方も悪いな。
『正直、お嬢は世間知らずだ。この国ではそれなりの地位と力に守られてなんでもできるけど、一歩外に出りゃお嬢の地位も力も作用なんてしない。それでもお嬢はお嬢だからこそお嬢なわけで。あれが大人しくなっちまうと……つまらないんだよ』
てっきりカタリアの腰巾着だと思ったけど、しっかりと彼女のことを見て、考えているようだ。
おそらくユーンも同じ考えだからこうして僕に話を持ち掛けたのだろう。
なんとなく、ただついてくるだけの関係だと思っていたのと違って、この3人の関係が少し羨ましく感じた。
『といっても僕の言うこと聞いてくれるかどうか』
『そこでこいつだ。こいつはあたしがお嬢についてずっと書いてきたマニュアル、それを貸してやるよ。だから――お嬢を……頼んだ、イリス』
最後には、うっすらと涙を見せながら僕に手帳を差し出してきたサン。その横で深々とお辞儀をするユーン。
差し出されてきた救いを求める手。それを振り払う覚悟は、僕にはなかった。
「ま、というわけで旅のお世話は、このマニュアルにのっとってしっかりさせていただきますよ、お嬢様」
「リコール! リコールを要求します! くきぃぃ! その前にその手帳をよこしなさい!」
「わっ、あまり動かれると……あーん、つきとばされてイリスちゃんの体にダーイブ」
「ほぅ、法神に導かれし者どもの狂乱が幕を開けるか。いいだろう、体がなまっていたところだ!」
「あ、すみません。自分、ちょっと居場所がないので外、走ってきます。安心してください。風魔ですから」
「おいおい、お前ら。暴れるなよー」
イース国の今後の命運を握る使節団。
その責務の重大さを感じつつも、気の置けない仲間たちと共に旅に出る。そんな得難い体験に、浮かれていないわけがなかったのだったりする。