第12話 現状把握
憧れの相手に自分がなったとか、そもそも性別を超えてしまったとか、そんな非現実的なハプニングに、頭は混乱して体もどうしていいか分かっていない。
そんな僕を動かしたのは、侍従長だ。
「ひとまずここを離れましょう」
そもそも自分が言い出したことだから否やはない。
先頭はマーナという30代のメイド。続いて僕とその足元をうろちょろする兄妹――兄がトウヨ、妹がカミュという名――の2人、そのすぐ後ろにセイラという一番若いメイド。最後尾に侍従長が従う形だ。
目的地は兄妹およびメイドたちが住まう大使館。
どうやらこの兄妹の父親が外交官として働いているので、外国に住んでいるらしい。
外国と言っても、彼女らの生まれた国とはそこまで距離が離れているわけではない、というか隣国らしい。外国イコール海の向こう、という認識の日本人からすれば、なんとも不思議な感覚だ。
「イリス様も大変でございますね。従兄妹様に会いに来たというのにこんな……」
セイラが同情するように声をかけてくれた。
どうやらこのメイド、根が気楽にできているのか、こんな状況でもよくしゃべる。
その中での情報を集めると、自分ことイリス・グーシィンという少女の立ち位置が見えてくる。
彼女が生まれたのは今いるここザウス国の隣にあるイース国。
その大臣の次女というのだから、まぁお嬢様だ。
そのお嬢様がなんでこんなところにいるかというと、父の弟の子供、つまりのこのトウヨとカミュの2人に会いに遊びに来たらしい。
外交官を置いているというのだから、一応、両国の関係は良好ということなのだが。
「しかし、何なのでしょう。あれは間違いなくザウス国の兵士。それが私たち――いえ、お三方を襲おうなど」
「セイラ」
後ろから侍従長が静かに、だが厳しくたしなめる。
「な、なんでしょう。侍従長」
「…………いえ、なんでもありません」
言い淀んだ侍従長はそれ以上を言おうとはしなかった。
その視線が自分に、そして足元の兄妹に向けられたのを見て、僕は理解した。
突然の襲撃、その犯人はこの国の軍、兄妹の父親の立場、僕ことイリスの父親の立場、同盟国、そして乱世。
それらを考慮に入れたうえで、相手の立場になって考えれば、この世界に来て十数分の僕にも1つの仮説が思い浮かぶ。
他国の外交官の家族を、自国の兵士が襲うなんて大スキャンダル、外交問題だ。
通常ありえないこと。
一部の過激派の暴発なのか、偶然なのかは分からない。
けど実際に起きてしまった以上、ザウス国としては大問題だ。
すぐさま外交問題として対処しなければならないはずだ。
だがここで別の角度から見てみる。
これが暴発でも偶然でもなく、最初から計画されていたことだとすれば?
国のトップも、軍部も承知の上でのことだとすれば?
あるとすればそれは――イース国に対しての宣戦布告だ。
自国にいる他国の人間を斬って宣戦布告するなんて、歴史ものの漫画や小説を読めばゴロゴロある。
そもそも外交官なんてものは、他国を調べてそれを自国に報告するのが仕事みたいなものだ。
もしザウス国が侵略の準備を進めているとして、邪魔なのは自国内にいるイース国の人間。その筆頭が外交官。侵略の準備を気取られてイース国に報告でもされたら、せっかくの先制攻撃が無に帰す。
だから先に目と口を封じることにした。
イース国に一切、情報が入らないよう、外交官にいる人間すべてを殺す。その決断をしたいに違いない。
たまたまそこに僕ことイリスが遊びに来て、そして森に遊びに出かけたのは不運と言ってもいいことだろう。
「ったく、なんてことになった」
「おねえちゃん、どうしたの? 大丈夫?」
ぼやきが口から洩れてしまっていたようだ。
妹の方、カミュが悲しそうなまなざしで聞いてくる。
「ああ、ごめん、大丈夫だよ」
正直、子供の扱いなんてどうしたらいいか分からない。
けど、こうも慕ってくれる相手を――それが僕こと切野蓮じゃなく、イリスというがわの存在を慕っているにせよ、それを無下にはできないのだから、なんとか優しい言葉を選んで返す。
それにしても、この子らは自分の立場を分かっているのだろうか。
いや分かっていないに違いない。だからこうも純粋にいられる。
僕らが狙われたということはつまり、今この時に彼らの父親も危機に遭っているということ。
それなのに、こうも僕のことを心配してくるのは。無知というのもあるだろうけど、うん、いい子だ。
こんな良い子に、父親を失わせる悲しみを背負わせたくないと思ってしまうのは人情じゃないか。
だからこの後に起こること。それをなんとかしてあげたいと思うわけで。
「あぁ、あれは!」
と、先を行くマーナが突如として立ち止まり、左手を見て叫びをあげた。
その声に険があって、僕たちも思わず足を止める。
「なにか、あったんですか?」
「あぁ、こんなことが、こんなことが……!」
なにやら派手に動揺した様子で口元に手を当てるだけで、答えにならない。
仕方なく僕は彼女の場所へと急ぐ。
そこは森から少し出っ張った場所のようだった。
高台になっているらしく、そこから遠くの景色が一望できる。
その景色が問題だ。
手を伸ばせば届きそうな距離に、周囲を石壁に囲まれた城が見える。
今僕らがいる場所は、その城壁より少し高い位置だから、場内の様子がよく見える。
といっても、これはどこから見ても異常事態が起きているのはまるわかりだ
なんせ城内の一角が黒煙を上げているのだから。
「あれは大使館の場所……」
侍従長がそうつぶやくと、セイラがひっと息を呑む。
僕とマーナと侍従長は事情を理解していたからある意味当然と受け入れ、トウヨとカミュの兄妹は理解が及んでいないが不吉な予感を感じて不安そうに僕の腰にしがみついている。
この子たちには、無理に知らせる必要もない。そっとしておこう。
きっと侍従長もそれを思ってさっきは口を濁したのだろうから。
「やはり、こうなってしまいましたか」
侍従長が重々しく、そしてなかば諦めたようにため息をつく。
「え、でも侍従長……これは」
まだ事情を完全に理解しきっていないセイラが不安そうに侍従長に問いただそうとするが、それをマーヤに遮られる。
「もう遅いんだよ、セイラ。こうなったらこのお方たちだけでも無事でいただくしかない」
「じゃあ、だ、旦那様は」
「…………」
沈黙が降りる。
重苦しく、あけることのない空気。
半ばこうなることは分かっていた。
それが事実だと告げられた時に、何をすべきかも。




